愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
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詩編42編の紹介:わたしの魂(体全体)は、生ける神を求めて渇いている

2016-10-26 22:51:15 | 神の言葉・聖書

 詩編41編は「立場の低い者に対して思いやりをもって行動する人は幸いです」と記され、エホバ神が「災いの日にその人は逃れさせてくださいます」という言葉で始まっていました(詩編41:1)。病気の時にもエホバ神に祈り、いつでもエホバ神に依り頼む忠誠ゆえに、エホバ神が支えてくださったことが記され、永遠に亘ってエホバがほめたたえられるようにという言葉で締めくくられていました。ダビデ王はどのような時も全き信仰に立ち、エホバ神に栄光と賛美を帰していました。今日紹介する詩編42編は、コラの子孫の一人で、流刑の身になっていたレビ人の状況を私たちを益する為に書き記されています。霊感を受けたそのレビ人の詩編の言葉は、仲間の信者の交わりに対して、また不利な状況の下で忍耐することに対して、エホバ神に喜ばれる認識を保つ点で非常に役立ちます。雌鹿は、水なしでは長く生きることはできません。鹿は猛獣の攻撃にさらされても、命を支える水を探し出し、水を飲みます。鹿が必要に迫られて水を切に求めるように、エホバ神を切に求め「わたしの魂(体全体)は、生ける神を求めて渇いている」と詩編作者は書き記しました(詩編42:1,2)。至聖所に入る特権失ったコラの子孫の切なるエホバを求める気持ちが伝わって来ます。

 詩編42編には次のように記されています。

          指揮者へ。

      コラの子たちのためのマスキル。

 水の流れを慕う雌鹿のように

     神よ、わたしの魂もあなたを慕います

  わたしの魂は、生ける神を求めて

     渇いているのです

     わたしが来て、神のみ前に出るのは

         いつのことでしょうか。

  わたしにとっては、昼も夜も涙が

         食物となりました。

     一方、彼らは一日じゅう、

         「お前の神はどこにいるのか」と

         わたしに言います。

  わたしはこれらのことを思い起こし、

      わたしの内なる魂を注ぎ出します。

      わたしはよく群衆と共に進んで行き、

      神の家に向かって彼らの前を

         ゆっくり歩いたものだからです。

      祭りを祝う群衆の

         歓呼と感謝の声と共に

  わたしの魂よ、なぜお前は絶望しているのか。

      なぜお前はわたしの内で騒ぎ立つのか。

      神(エホバ)を待ち望め

         わたしは、わたし自身の大いなる救いとして、

         なお神をたたえるからだ。

  わたしの神よ、わたしの内で

      わたしの魂が絶望しています。

      ですから、わたしはあなた(エホバ神)を

      思い起こすのです。

      ヨルダンの地とヘルモンの峰々から、

          小さい山から。

  あなたの水竜巻の音で。

      水の深みが水の深みへと

          呼びかけています。

      あなたのすべての砕け波と大波 -

      それがわたしの上を超えて行きました。

  昼、エホバはその愛ある親切を

          お命じになり、

      夜には、その歌がわたしと共にあります。

      わたしの命の神への

      祈りがあります

  わたしの大岩である神

      わたしは言います。

      「なぜあなたはわたしをお忘れになったのですか。

      なぜわたしは敵の虐げのゆえに

      悲しんで歩くのですか」と。

  わたしに敵意を示す者たちは、

      わたしの骨に対する殺害をもって

         わたしをそしりました。

      そして一日じゅう、「お前の神はどこにいるのか」と

         わたしに言います。 

  わたしの魂よ、なぜお前は絶望しているのか。

      なぜお前はわたしの内で騒ぎ立つのか。

      神(エホバ)を待ち望め

         わたしは、わたし自身の大いなる救い

      わたしの神として

         なおもこの方をたたえるからだ」(詩編42:1~11)。 

 上記の聖句に示されている通り、詩編作者はあざけりに遭って、苦悩を深めることがあっても、その悲しみに打ち負かされないようにするため、自分自身を励ましています(詩編42:3~6)。神(エホバ)を待ち望め」、「わたしの神よ・・・あなたを思い起こすのです」と、常に神エホバに焦点を合わし、自分自身を強めたのです(詩編42:5,6)。詩編作者の流刑地の環境は美しいものでしたが、それでも深い苦悩を言い表しました(詩編42:7)。詩編作者は「あなたのすべての砕け波と大波 - それがわたしの上を超えて行きました」と述べている通りです(詩編42:7)。それでも詩編作者はエホバ神を、敵に追われた時に安全を見いだせる強力なと見做していました。それでも詩編作者には苦悩がありました(詩編42:9)。しかし「神(エホバ)を待ち望め。・・私自身の大いなる救い、わたしの神としてなおもこの方をたたえる」と、エホバに栄光と賛美を帰す信仰を表明しています(詩編42:11後半)。詩編作者は試練の時にも、「生ける神(エホバ)を求めて渇望しいる」時にどのようにしたかを学ぶなら、私たちも強められ、み言葉が力を及ぼし、私たちを強めます(詩編42:2.ヘブライ4:12)。

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