神エホバがモーセを通して命じたとおりに、心の賢い者たちはアカシアの木で香を祭壇を造り、純金をかぶせたことが記されていました(出エジプト記37:25~29)。次に、心の賢い者たちは、同じくアカシアの木で焼燔の捧げ物の祭壇を造り、銅をかぶせたことが次のように記されています。
「さらに彼は焼燔の捧げ物の祭壇をアカシヤの木で造った。その長さは五キュビト、その幅は5キュビトで、真四角であり、その高さは三キュビトであった。次いで、その角をその四隅の上に造った。その角がそれから出ていた。次に、それに銅をかぶせた。その後、祭壇のすべての器具、すなわち缶とシャベルと鉢、肉刺しと火取り皿を造った。そのすべての器具を銅で造った。さらに、(焼燔の)祭壇のために、格子つまり銅の網細工を、そのへりより下、下方、その中央のほうに造った。次いで、銅の格子の近く、四つの突端に、さおの支えとして四つの輪を鋳造した。その後、アカシアの木でさおを造り、それに銅をかぶせた。次いで、そのさおを祭壇の輪に差し込み、それで(焼燔の)祭壇を運ぶようにした。それを厚板で空洞の大箱の形に造った。
次いで彼は銅の水盤とそのための銅の台とを造ったが、それは、会見の天幕の入口で組織的奉仕に携わっていた婦人たちの(銅の)鏡を用いて造られた」(出エジプト記38:1~8)。
上記の聖句に示されている通りに、焼燔の捧げ物の祭壇をアカシアの木で造り、それに銅をかぶせたことが記されています。香の祭壇は純金がかぶせられました、焼燔の捧げ物の祭壇には銅をかぶせていますので、用途によって純金と銅を使い分けて、エホバは指示していることが分かります。焼燔の捧げ物の祭壇もアカシアの木に銅をかぶせたさおで担えるようになっていました。
焼燔の捧げ物のためのこの銅の祭壇は、幕屋の入口の前に置かれました(出エジプト記40:6、29)。この焼燔の捧げ物の祭壇はそれほど高くなかったので、近づくための手段は必ずしも必要ではありませんでしたが、中に置かれた焼燔の捧げ物が楽に扱えるように、祭壇の周囲の地面が高くされか、祭壇に近づく斜道が設けられていたのではないかと思われます(レビ記9:22と比較。そこには、祭司アロンが捧げ物をしてから「下りて来た」と記されている)。動物は「祭壇のわき、その北側」で犠牲にされ(レビ記1:11)、祭壇から取り出した「脂灰のための場所」は東側に(レビ記1:16)、祭司たちが身を洗うための水盤は西側に置かれましたから(出エジプト記30:18)。理論的に言って、祭壇に近づくそうした手段を置くために残されているのは南側になります。
ピンク色 平和を告げる 椿かな 今日の一句
ポストの上に置いたパンを食べに来た「雀」