イエス・キリストは弟子たちに全き信仰があれば海の上も歩くことができることを示されました(マタイ14:24~34)。イエスの弟子たちは、イエスの奇跡を行う姿を見て、「たしかにあなたは神の子です」と言いました(マタイ24:33)。次いで、イエスはパリサイ人や書士たちの、「伝統ゆえに神(エホバ)のおきてを踏み越えている」ことを暴きました。次のようにマタイの福音書に記録されています。イエスの教えから、真の宗教と偽りの宗教違いを理解することができます。
「その時、エルサレムからパリサイ人と書士たちがイエスのところに来て、こう言った、「あなたの弟子が昔の人々からの伝統を踏み越えているのはどうしてですか。たとえば、食事をしょうとするときに、彼ら(イエスの弟子たち)は手を洗いません」。
イエスは答えて言われた、「あなた方も自分たちの伝統ゆえに神(エホバ)のおきてを踏み越えているのはどうしてですか。たとえば、神(エホバ)は、「あなたの父と母を敬いなさい」、そして、「父や母をののしる者は死に至らせなさい」と言われました。ところがあなた方は、「自分の父や母に向かって、「わたしの持つものであなたがわたしから益をお受けになるものがあるかも知れませんが、それはみな神に献納された供え物なのです」 と言うのがだれであっても、その者は自分の父を少しも敬ってはならない」と言います。こうしてあなた方は、自分たちの伝統ゆえに神(エホバ)の言葉を無にしています。偽善者よ、イザヤはあなた方について適切に預言して言いました。「この民は唇でわたし(エホバ)を敬うが、その心はわたし(エホバ)から遠く離れている。彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである」」。そうして群衆を近くに呼んでこう言われた。「聞いてその意味を悟りなさい。口の中に入るものが人を汚すのではありません。口から出るものが人を汚すのです」(マタイ15:1~11)。
パリサイ人や書士たちは宗教上の違法行為でイエスを責める口実を探していました。ですから、「あなたの弟子が昔の人々からの伝統を踏み越えているのはどうしてですか」と、尋ねました。そして、「食事をしょうとするときに、彼らは手を洗いません」と、言いました。これは、神エホバから要求されている事柄ではありませんでした。パリサイ人の定めた儀式では、ひじまで洗うことが含まれ、この伝統的な儀式を行わないことを重大な罪と見做していたのです。
イエスは彼らの非難についてはお答えにならず、彼らがよこしまで神エホバの律法を故意に破っているをことを指摘されました。上記の聖句の通り、「あなた方も自分たちの伝統ゆえに神(エホバ)のおきてを踏み越えているのはどうしてですか」、問いかけられました。そして、神エホバは「あなたの父と母を敬いなさい」と教えていることに対し、パリサイ人たちと書士たちは、上の聖句に示したとおり「・・・・・その者は自分の父を敬ってはならない」と言います」述べて、具体的に暴露をされました。これはどのような意味でしょうか。
パリサイ人と書士は、実際には、献納された供え物は献納した人が持っていたのです。こうして息子は、神や神殿に献納された品物と言いさえすれば、年老いた両親が非常に苦しい状態にあるとしても、両親を援助するという責任を免れるようにしていたのです。
神エホバの律法・教えをゆがめているパリサイ人の悪辣なやり方に義憤を感じたイエスは、「あなた方は、自分たちの伝統ゆえに神(エホバ)の言葉を無にしています。偽善者よ。・・・・」と明快に暴露しました。現在も、神エホバの教えから遠く離れた諸宗教に同様の偽善が見られます。偽善的な宗教から離れる方々は幸いです。
甘夏の 爽やかなりや 朝の卓 今日の一句
通りがかりの庭に咲いていた「ユリ」