愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

目立った言葉:「足のなえた人、不具の人、盲人、口のきけない人、その他多くの人を・・・を治された」

2014-06-24 23:46:31 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストはイスラエルの民以外の異邦人のフェニキア人の女性の信仰ゆえに、その娘の「ひどく悪霊につかれて」る状態を治されました(マタイ15:21~28)。さらに、イエスは移動し、多くの体の不具合の人、病気の人々を治したことがマタイの福音書に記されています。大群衆は体の悪い人たちを即座に治したイエスにではなく、神エホバの栄光をたたえています(マタイ15:31)。

 「そこから移って行き、イエスは次にガリラヤの海の近くに来られた。そして、山に上って、そこに座っておられた。すると大群衆が、足のなえた人、不具の人、盲人、口のきけない人、その他多くの人を連れて彼(イエス)に近づき、それらの人を彼(イエス)の足元に投げ出さんばかりにして置いた。それでイエスは彼らを治された。そのため群衆は、口のきけなかった人がものを言い、足のなえた人が歩き、盲人が見えるようになったのを見て非常に驚き、イスラエルの神(エホバ)の栄光をたたえた」(マタイ15:29~31)。

 イエス・キリストの伝道の目的は神の王国の良いたよりの宣明でしたが、行く先々で大群衆に取り囲まれ、大勢の体の不具合の人や病気の人々を治されました(ルカ4:43;8:1)。上記の聖句の通りに、イエスは休むことなく人々の福祉のために働かれました。上記の通りにマタイの記録によれば、大群衆は、体の不具合の人が瞬間に治されたのを見て、神エホバの栄光をたたえています。大群衆のほとんどの人は、イエスに信仰を働かせたのではなく、イエスの奇跡の業を見たい人たち、いわば好奇心を満たすための人々でした。それでも、イエスに栄光を帰したのではなく、神エホバに栄光を帰したのです。このことは、イエスに奇跡を行う力を与えておられるのはみ父エホバであることを理解していたことを示しています。み言葉・聖書は唯一まことの神エホバに栄光と誉れを帰すように促しています(啓示4:11)。キリスト教世界のように、イエスを神にしたり、イエスの母親のマリアを崇拝させる教えなどは、聖書のどこにも記されていません。み言葉・聖書をお読み下されば、いったい誰が、イエスの真の弟子・クリスチャンなのかが分かります。

         トマト摘む 露地栽培の 美味しさよ 今日の一句

                    小雨の中の「ランタナ」

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ダリア「ロキシー」と蝶と山百合の花

2014-06-24 21:47:55 | 四季折々の花々

 ダリアは初夏から秋に咲きます。ダリアの種類は3万種があると言われています。ダリアは多彩な花形、花色があります。花期は7月~10月と花図鑑では紹介されていますがこちらでは6月下旬には咲いています。用途は切り花、花壇、鉢植えです。花言葉は「豊かな愛情」です。

 今日はダリア「ロキシー」と蝶と山百合の花を紹介致します。

                  庭に咲いている「ロキシーと蝶」

                   庭に咲いている「山百合」

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目立った言葉:異邦人の女性の信仰 - 「小犬も自分の主人たちの食卓から落ちるパンくずを食べる」

2014-06-24 02:58:12 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは、利己的なパリサイ人や書士たちを「盲目の案内人」と糾弾しました(マタイ25:12~20)。次いでイエスは、シリアのフェニキアで生まれた一人のギリシャ人の女性がイエスを見つけ、イエスに信仰を表した場面が、マタイの福音書に次のように記されています。このフェニキア人の女性の娘は「ひどく悪霊につかれて」いました(マタイ15:22)。

 「イエスはそこを離れ、こんどはティルスとシドンの地方に退かれた。すると、見よ、その地域のフェニキア人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、私に憐れみをおかけください。私の娘はひどく悪霊につかれています」と声を上げて叫んだ。しかしイエスは彼女に一言もお答えにならなかった。それで弟子たちが寄って来て、「彼女を追い払ってください。あとに付いて来て、叫びつづけていますから」と頼みはじめた。イエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のほかはだれのところにも遣わされませんでした」。女はやって来て、彼(イエス)に敬意をささげながら、「主よ、私をお助け下さい!」と言った。イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬(フェニキア人の女性)に投げ与えるのは正しくありません」。彼女は言った、「そうです、主よ。けれど小犬も自分の主人たちの食卓から落ちるパンくずを食べるのでございます」。そこでイエスは答えて言われた、「おお女よ、偉大です。あなたの信仰は。あなたの願うことが起きるように」。すると、彼女の娘はその時刻以後いえたのである」(マタイ15:21~28)。

 異邦人の女性の真剣な訴えにイエスの心は大きく動かされていたに違いありません。しかし、イエスは、神エホバの民イスラエルに仕えるという第一の責任を再び言及されています。その女性の信仰を試すためでしょうか。他の国籍の人々に対するユダヤ人の偏見を引き合いに出し、こど「子供たちのパンを取って小犬に投げ与えるのは正しくありません」と言われました。イエスの思いやりのこもった声の調子と顔の表情には確かに、ユダヤ人でない人々への優しい感情が現れています。イエスは異邦人のことを小犬」と呼ぶことによって、異邦人を」(「犬」という呼び方は人をさげすむ呼称です)に例える表現を和らげることさえされています。女性は感情を害するどころか、イエスがユダヤ人の偏見に言及されたのでその点を取り上げ、「そうです、主よ。けれど、小犬も自分の主人たちの食卓から落ちるパンくずを食べるのでございます」と、謙遜に意見を述べています。

 イエスはその女性の信仰を褒め、「あなたの願うとおりのことが起きますように」と言われます。すると、その女性の娘が「ひどく悪霊につかれた」状態から完全に治されたのです(マタイ15:22)。イエスは苦しんでいる人たちへの思いやりを示されていたのです。

          小犬連れ 川端来れば トンボ飛ぶ 今日の一句

                       可愛い「ランタナ」

     

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