イエス・キリストはイスラエルの民以外の異邦人のフェニキア人の女性の信仰ゆえに、その娘の「ひどく悪霊につかれて」る状態を治されました(マタイ15:21~28)。さらに、イエスは移動し、多くの体の不具合の人、病気の人々を治したことがマタイの福音書に記されています。大群衆は体の悪い人たちを即座に治したイエスにではなく、神エホバの栄光をたたえています(マタイ15:31)。
「そこから移って行き、イエスは次にガリラヤの海の近くに来られた。そして、山に上って、そこに座っておられた。すると大群衆が、足のなえた人、不具の人、盲人、口のきけない人、その他多くの人を連れて彼(イエス)に近づき、それらの人を彼(イエス)の足元に投げ出さんばかりにして置いた。それでイエスは彼らを治された。そのため群衆は、口のきけなかった人がものを言い、足のなえた人が歩き、盲人が見えるようになったのを見て非常に驚き、イスラエルの神(エホバ)の栄光をたたえた」(マタイ15:29~31)。
イエス・キリストの伝道の目的は神の王国の良いたよりの宣明でしたが、行く先々で大群衆に取り囲まれ、大勢の体の不具合の人や病気の人々を治されました(ルカ4:43;8:1)。上記の聖句の通りに、イエスは休むことなく人々の福祉のために働かれました。上記の通りにマタイの記録によれば、大群衆は、体の不具合の人が瞬間に治されたのを見て、神エホバの栄光をたたえています。大群衆のほとんどの人は、イエスに信仰を働かせたのではなく、イエスの奇跡の業を見たい人たち、いわば好奇心を満たすための人々でした。それでも、イエスに栄光を帰したのではなく、神エホバに栄光を帰したのです。このことは、イエスに奇跡を行う力を与えておられるのはみ父エホバであることを理解していたことを示しています。み言葉・聖書は唯一まことの神エホバに栄光と誉れを帰すように促しています(啓示4:11)。キリスト教世界のように、イエスを神にしたり、イエスの母親のマリアを崇拝させる教えなどは、聖書のどこにも記されていません。み言葉・聖書をお読み下されば、いったい誰が、イエスの真の弟子・クリスチャンなのかが分かります。
トマト摘む 露地栽培の 美味しさよ 今日の一句
小雨の中の「ランタナ」