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小説   三代目

2024-07-21 00:40:36 | 日記

小説   三代目

 久保田万一は商才のある男で、戦前家具屋をひらいて大儲けした。その子万太郎は、戦争で焼けてしまったお店を再開して万一と同じくらいの儲けをだした。ただしその晩年、結婚に際して家具を買い求める風習が廃れて商売が傾くとみると直ちに店を畳んで、その店の土地を売って楽隠居した。タダの隠居ではない、郊外に瀟洒な一軒家を購入してどこからか第二夫人を探してきて第二夫人と一緒に住んだ。勿論万太郎に対する世の中の評判は良いものではなかった。そういえば万太郎の父万一も晩年戦争の始まる少し前まで 第二夫人とともに過ごした。ただしそのころはそうすることは 立派なことと表立って賞賛はされないまでも、「甲斐性のある男」として羨望の眼で見られたのである。不思議なことに万一も万太郎も、第二夫人がいることで第一夫人に苦情を言われたことは一回もなかった。

 万太郎の子万蔵は、何不自由ない青年時代を送ったが継ぐべき商売もなくなったので、やむなく役所へ就職してもう30年は経とうかという頃の話である。万蔵の二人の息子も東京遊学を終えて一人は海外でもう一人は北海道で職を得てホッとしたころ、長く一人で暮らしていた万蔵の叔母が亡くなった。叔母はいったん他家に嫁いだが、事情あってすぐに一人暮らしを始めて長かった。万一は不憫な我が子に相当の支援をしたようで叔母はかなりの財産を残したが、それらはすべて万蔵が引き継ぐことになった。

 ある日のこと、久保田万蔵は新聞に大富豪である郷田万蔵氏が30歳も若いお嫁さんを貰うという三面記事を見つけた。久保田万蔵は、苗字こそ異なるが同じ名前で同じような年齢でありながら、なぜこうも人生違うのかと憤懣やるかたない思いである。

久保田万蔵の嫁は、料理を一切しないヒトで万蔵はスーパーマーケットのお惣菜のみの生活がもう30年も続いている。万蔵の母親は、戦前の女学校で家庭料理を教えられた人である。万蔵は戦前から伝わる日本の味で育ってきた。万蔵は時々、旨いものを食べたいと独りごとを言うことさえあった。今まで家の中での波乱を避けて口に出さなかったが一遍くらいこの不満を口に出してもいいのではないか。あの相続した叔母さんの家にそんなに若くなくてもいいから毎日料理してくれる第二夫人を迎えて一緒に住むことにしても許されるんじゃないか。できれば若くてきれいな人であるに越したことはないが、それはできればということである。

万蔵は勇気を出して、その新聞を嫁に示して「自分はこれからこういうことをするから協力をするように。」と伝えた。ただしその声は少し震えていた。万蔵の嫁はその記事を読んでケラケラ笑って「できるものならやってみなさいよ。」と応じた。

「おれがどんだけ持ってるか知らないであいつはかわいそうだな、おれのオジーちゃんもおとーちゃんもできたんだぞ。人生の最後に少しくらいいい思いをしてもバチはあたるまい。いままで散々苦労したから少しは良い思いもしないと。」

と思いながら、第二夫人を探す算段をどうしようかと考えていた最中の出来事である。

その日、郷田万蔵氏が何者かに薬殺されたとのニュースが役所の中でもちきりであった。家に帰ると、7時のニュースがこのことを大きく報じていた。そのニュースの声を背景に、嫁さんは夕刊一面に大きく郷田万蔵氏の死を伝える見出しのある新聞紙を筒状にして、もう片方の手をポンポンと叩いている。ちょうど巡査が警棒で手を叩くのと同じような姿である。そうしてこういうのである。

「あんたハンたしかこの前、この人みたいな目に遭いたいとかゆーてはりましたな。」

万蔵は嫁さんの眼が、昔見た映画「西太后」の登場人物の眼と同じてあることを見逃さなかった。

爾来、万蔵は家に入る前には小さな庭にトリカブトの花が咲いていないか、家の床下に真っ赤なキノコが生えていないかをひどく気にするようになった。

 幸いにも、万蔵はその後も長く生きた。しかし相続したおばさんの家に灯がともることはなかった。万蔵の没後その家は、万蔵の嫁によって処分され嫁はその代金で世界一周の船旅に出たという話である。



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