東日本のヒトのための奈良市観光案内③
二月堂を下りたところに三月堂という小さなお堂がある。お水取りが二月だから二月堂は良いが、三月堂は三月に何かがあるわけではない。誰かが洒落でそう言ったのが固定しただけではないかと思う。本当は法華堂という。中は狭いのに大量の天平仏が収められており、一回の入場料で原節子から吉永小百合から田中絹代から何から何までスター総出演の映画が見られるようなものである。ありがたいのだがポイントが絞れないのでなんだか疲れてしまう。御本尊に脇侍一対と武将一対くらいが拝見するほうは心休まる。ここは月曜お休みというようなことがない、いつでも見れる。
噂では、本来他のところにお祭りされていた仏像が火事や地震でご自分のお堂が倒れた時、ここに間借りに来てそのまま居ついたということらしい。京都の東寺にも大量の仏像がお祭りされているが、あちらは仏様間の上下が一目で分かるように配置されている。対して法華堂ではすべての仏さまが自分の存在を別々に主張されているのは仕方のないところである。
中心は光明皇后(藤原不比等の娘聖武天皇の妃)をモデルにしたとされる不空羂索観音である。脇侍になるのか間借りでそのまま居ついたのかは知らないが日光月光菩薩とか帝釈天とか梵天が所狭しと並んでいる。日光月光菩薩はあちこちで拝見するお顔の通りであるが、帝釈天とか梵天は名前はよく聞くが初めて見るお顔であった。
壬申の乱からたった50年で光明皇后の時代である。たった50年で唐の長安には及ばずとも国際都市になって、これだけの仏像を制作する国力のついたことに驚く。古代は時間がゆっくり流れていたなんて嘘に違いない、戦後50年の頃にわが国は新幹線や空港は大きなのができても、巨大な芸術作品群までは生まなかった。われわれは後世に残るようなアートを創造したのか。そんなことを法華堂の中で考えたことがある。
三月堂を出て下っていくと東大寺のお堂の裏に出てくる。裏は広い野原になっているが、ここに昔の学堂が建っていたという話である。大仏様の裏で勉強するのである。ここをもう少し下っていくと戒壇院の裏側に出る。鑑真和尚が勉強を終えた僧に戒を授けるための施設という。ここは三月堂と同じくらいの拝観料なのに主要な像が四天王像で四つしかないので、三月堂のあとすぐに行くとひどく損をした気になるがそんなことは絶対ない。
よくこのくらいリアルに彫れるものだと思う。ギリシャやローマやパリへ行って彫刻を見るには長いこと飛行機に乗らねばならないし税関で嫌な思いするかもしれない、なにより高い旅費を覚悟しないといけない、そんなことなくおそらく世界最高の彫刻を見ることができる。一時間くらい四天王像に相対峙していると、儲かったの損したのとかあいつは怪しからんとか、ブラックだとかあいつあの時あんなこと言いやがってとかいうのが不思議に消えていくのである。消えると新しい生き方を発見できる。もし消えなければ次の日朝からもう一遍相対峙することをお勧めする。この天平の工人の力はモノ凄い。(名前は残ってないけど)見るヒトの心を何らかの意味で変容するものがアートであろう。1200年前にもそんなアートを作り出せる人物が確かにいたのである。
四天王像は三月堂の中にもあるのであるが、いかんせん一杯他の仏像があるもので埋もれてしまっている。なお、四天王の中の多聞天(毘沙門天)だけは七福神の中に現れている。