東日本のヒトのための奈良市観光案内⑱ 法隆寺その②
法隆寺には有名な玉虫厨子の他に、聖徳太子が飢えた虎にわが身を差し出して喰われてしまうという話の絵がある。勿論元ネタは、お釈迦さんが同じようなことをなさったという話を主人公を聖徳太子に書き換えたものだと思われる。わたしがこの絵を見たのは遠足で行った小学3年の時であったが、見て解説を受けた時は本当に怖かった。わたしの母親は常日頃から「聖徳太子または弘法大師せめて菅原道真のような偉い人になれ」と教えていた。その第一番聖徳太子がわが身を虎に差し出したという。自分も将来こんなことさせられるのかと思って本当に気分が悪くなった。(わたしの母親はなかなか強烈な人であったから、当時わが身に本当に起こるかと心配した。)
これを含めた法隆寺に伝わる数々の調度品は、仏像と同様わたしには美術品としては価値あるものとは見えない。(多分多くの美術評論家の人々に叱られると思うけど)ちょうど田舎の素封家がカネとヒマにあかせて集めた収集品に見える。しかし日本のルーツに当たる人が収集したものとなると、ルーツに当たる人がどんな人柄であったかを知るよすがとしてしっかり見ておかねばと思うであろう。ちょうど(我が家が発展しているとして)我が家の爺さんが大事にしたものは、自分には古臭いし実用に適しないと思っても大事にしてたまには取り出して爺さんどんな人だったんだろうと眺めたりする。それと同じである。ご先祖がどんな人で何が得意かを知っておくと自分がどんな人であるかが分かる。ご先祖が得意であったことを引き続きやり、不得意であったことは避けることは、人生をロスなく生きるに大事なポイントではないのか。
宮崎市定さんの説に従えば太子は瀬戸内海沿いの国に船を輸出することで大をなした。他国どうしが交易で発展するお手伝いをすることで自国も発展する。どうやら武力でまたは宗教の力で相手を支配して儲けようとしたのではなさそうである。
太子の仏教に対する姿勢は、「篤く三宝を敬え」と言ってるくらいだからこれから広めたいと思っていたはずである。社長が朝礼の時に「仕事に気合を入れよ」と言ってるのと同じである。仕事に気合が入っていなかったからそういうのである。同じように皆三宝を敬わなかったからそう言ったのである。当時骨がらみの思想としての仏教ではなかった。骨がらみなら、わざわざ「篤く三宝を敬え」とは言う必要はないのである。法隆寺の仏像群や調度品を見ても、心の底からの信仰ではなくファッションとしての仏教との印象を免れない。少し前、アメリカの大学へ留学してMBAの資格を取ると会社内で出世が早かった。または取引先に押しが効いた。仏教はそれと同じような働きをした印象がある。
日本のルーツは、平和な実業家で宗教は借りてきた衣装のようなものとの認識を持つ人々の集まりではないのか。(思想に惑溺しないことは良いことなのかどうかはさておきである。)これを知っておけば、われわれは自分の不得意を避け得意なものを伸ばして生きていける。平和な実業家で宗教は借り物である。
これが今法隆寺を思い出したときにわたしの感じたことです。日本のルーツがここにあるのです。歩いてみてどうお感じになるかは人それぞれですが。なお興福寺の北円堂特別開扉は10/21~11/5
南円堂特別開扉は10/17らしいです。わたくしの写し間違いがあるかもしれませんのでどこかでご確認をお願いします。
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