東日本のヒトのための奈良市観光案内①
東京駅八重洲口に奈良県へ行こうとの観光ポスターがあって驚いた。(キャッチコピーに「いくなら奈良」とあったように記憶しているが記憶違いか。)最近大型のホテルがいくつも建ったのに観光客が思うほど増えないので、ポスターを印刷したと想像する。(奈良のヒトはよそ者を嫌う性癖があって観光客が嫌な思いをすることが半世紀前まではあった。今もあるかもしれない。)折角ホテル建設の資本を投じたのにこれでは回収できないではないかと資本が慌てて観光キャンペーンをしているのではないか。わたしは奈良で生まれて奈良を去ってもう半世紀である。昔の記憶に基づくと間違いも多かろうが、東日本の人々に奈良の観光案内を書いてみたい。ただし場所は奈良市北部に偏る。南の方にも面白いものは一杯あるだろうが私は知らない。
大仏を見てシカに餌をやるのは、一番いけない旅行である。巻きずしを出されてガリだけ食べて帰るようなものである。ポスターにはシカと大仏が強調されているがこれはいけないことである。寿司屋の看板にガリの絵だけ載せてあるようなものでこれでは普通のお客は入るのを躊躇するはずである。
美味しいものを食べようとするならまず日程を検討しないといけない。興福寺には南円堂と北円堂という小さいお堂があって南円堂には康慶の不空羂索観音、北円堂には康慶の子運慶の無著世親像がある。これ(ほかにもたくさんあるが)が巻きずしの本体である。ただしこの二つは年に一回あるかどうか分からない開放日でないと拝観できないので日程を選ばないといけない。(私が興福寺の偉い人なら連日夜9時までこの二つを拝観できるようにするだろう。世界のヒトに見てもらいたい仏像である。)
これらは白鳳時代ではなく、鎌倉時代の作品でわが国にも確かにルネッサンスがあったことが実感できる作品である。遠路はるばるローマまで行ってミケランジェロのピエタを見ないで帰るヒトは居ないであろう。それと同じことで、遠路はるばる奈良まで行くとなるとこの二つの像は絶対外せないところである。慶派の仏師は、仏像修理の仏師の集団から生まれたとされているが、いきなりこんな彫の技術を開発できそうにないから宋へ渡って修行したか、当時元や金に押されて旗色の悪かった宋から仏師が渡来して康慶と名乗ったのではないかのではないか。この観音像のモデルになったのは多分身分ある女性だと思うが、その気品を見事に写している。
運慶は、頼まれ仕事の仏像彫の合間に本当に自分の彫りたい作品に取り組んだのが無著世親像であろう。このお堂には別に本尊(薬師如来だったと思うが)も脇侍もあるのであるがこれらを鑑賞して北円堂を出てその本尊がどんなのであったかが思い出せないほど、無著世親像の存在感がある。これでは本尊がかわいそうである。多分運慶はここ北円堂に置くように遺言したのだろう、他へ移せないのだと思う。この像も絶対見ていただきたい。芸術家が生涯を懸けた作品がどんなものであるかを知ることができる。頼まれ仕事の仏像も凄いけど、この自分のために彫った像は気迫の入り方が違う。