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東日本のヒトのための奈良市観光案内⑰ 法隆寺

2024-08-26 22:11:07 | 日記

東日本のヒトのための奈良市観光案内⑰ 法隆寺

奈良市からはずいぶん離れるが、有名な寺である。正岡子規がここで柿を喰ったのだから、仲良しの夏目漱石も屹度来たであろう。お叱りを受けるかもしれないが、わたしはここの仏さまには深い精神性を感じない。有名な百済観音さんもデザインは現代に通じるような美しさがあるが、その表情やしぐさから自分の人生の指針に関する示唆をうけとることはできそうにない。(そのうえ百済観音は胸が薄い、だから吉祥天女のように肉感的でない。)ちょうどフランスのハンドバッグのお店の看板に出てくるきれいなモデルさんの写真のようなものである。きれいですぐれたデザインだけど、そこまでである。ちょっと今抱えてる自分の問題を棚卸して、もうちょっとうまく生きるにはどうするべきかなんてことを考えるきっかけになりそうにない。

聖徳太子から東大寺興福寺の時代まで百年から百五十年である。この期間に彫刻の技術も、それを彫るヒトの心も、それを拝むヒトの心も変化したと見える。現代人にかなり近くなったと考えられる。ここまでおいでになれば、聖林寺の十一面観音像をご覧になることをお勧めしたい。七世紀後半というから奈良時代が始まる前の仏像であるが存在感と威厳がある。わたくしが仏像に「聡明」さを感じたのはこの仏さまが初めてである。

宮﨑市定さんの「古代大和朝廷」(筑摩書房)を読むと、古代は外洋を航海する船はほとんどなかった、波静かなところだけであった。そこで古代地中海の交易の船は地中海の突き当りレバノンの杉によってつくられた。同じように古代瀬戸内海の交易は瀬戸内海の突き当り大和の国の杉によってつくられた。(当時大阪平野はまだない)それぞれ杉を切って船を作る国は栄えたという。なるほど今の自動車メーカー兼造船所みたいなものだから儲かったでしょう。そのトップが聖徳太子で「七人の訴えを同時に聞いて処理した」というのは、「七つの言語を操った」という意味だと思われる。その聖徳太子の居た役所が法隆寺になった。そういえば同じく太子が建てた外国の使節接待のための(今の大阪市にある)役所も四天王寺というお寺になっている。従って宗教施設ではなく日本のルーツを見学に行くつもりというのが妥当だと思う。

というわけで、法隆寺は日本発祥の地として見に行く価値があるところであろう。東京国立博物館の敷地内に法隆寺館という名だったと思うが大きな立派な建物がある。法隆寺が日本の発祥の地であることを大きな声で言わないけれど暗示している建物である。ただし、わたしが見て回った時には仏像はほとんどなく、古い文献の書庫みたいな建物である。内外の学者らしき人が研究のために利用される建物のようである。ここには必ずしも行く必要はないように思うが。



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