小説 徐福と童男童女3000人の子孫⑫
ワガ高野山にお見えの皆さんは、その所蔵している美術品に驚かれると思います。これを見に世界中から人がお見えになるのはありがたいことです。これは、よくある金持ちが金にものを言わせて収集したものではありません。成金はお客に見せびらかすために、または夜中こっそり一人でこれを見てニタニタするために集めるんですがそういうものではないのです。銀行や保険会社の重役室や通路にかけてある「弊社にはこれだけの資産がありますから安全です。」という見せ金みたいなものでもありません。
実は倫理(ethics)と美学(aesthetics)はほとんど同じものなのです。人間の脳の中で倫理を司る部分と美学を司る部分はほぼ同じ位置にあるのです。西洋ではこのことが古くから知れていたので、言葉までこのように似ているとされています。こんなわけで宗教と美は仲のいい関係にあって、両者相助ける関係にあります。教義は私のと全く違うけどローマ教皇も美術品を多く集めたことで有名です。
宗教家は美によってその宗教を表現しようと試みるものです。それは仏像や曼荼羅によってだけではありません。私どもが仏像にお経をあげるのは、仏さまを喜ばすためではありません。お経の声が壁に跳ね返って、それがあたかも仏様が発していると思われるような美しい音楽を私どもの後ろで聞いている善男善女にお聞かせして、そのことで宗教の世界にお連れしようとするのです。
西洋では、歌を歌うんですがそれは天井にあるアーチで増幅されてあたかも天から降ってくるように工夫されています。西洋では神さんは天にいて、わが国では仏陀は西方極楽浄土に居ることになっているのはこのような違いによるものなのです。まあ、大げさに言えば西洋では石造りだからアーチにせざるをえず、東洋では木造だから長方形の建屋にせざるを得なかったことが、神さんや仏さんの居場所まで決めてしまったということでしょうか。
ローマ教皇には、ミケランジェロという御贔屓が居られました。この人ただのアーチストではないようで政治活動にも熱心だったようです。この人追われて地下に潜伏した時に暇つぶしに壁に描いたそうですが、その絵を観ようと人々が安くはない入場料を払って見に来るという話を聞いたことがあります。
さて私が名誉会長に退いてからずいぶん経ってからですが、運慶というアーチストが当教団の美術品の制作にあたってくれました。彼は、わざわざ高野山に出張製作所を開いてくれるほどの熱の入れようでありがたい限りです。しかし、世間では秘密の政治活動をしていたのではないかとうわさされています。事実上大和一国をおさめていた興福寺の御出身で、東大寺や京都の寺社とも行き来がありさらに頼朝君に頼まれて東の国々にも仏像を刻みに行ったのですから、各国の事情を知っているのです。あちらこちらで内緒の話を聞いては、こちらあちらでしゃべるくらいのことはしていたと思います。
アートも宗教もはじめはパトロンが無いと成立しないのです。これという有用性が無いのですから人々が値打ちありと認めてくれるまでは存在することができないものです。その間存在を支えてくれるものにはゴマをする必要があるのです。運慶君もそこを苦しんだのではないかと想像します。
松尾芭蕉も西行法師も似たようなものでしょう。特に気の毒なのは西行法師で、彼は北面の武士でした。天子は北極星を背にして南面して座りますからそれに対面する武士はまあ武士としては位は高い方じゃないかと想像されます。それがにわかに、漂泊の思い発してなんて嘘に決まっています。命ぜられて偵察に出たのです。その時歌詠みを仕事にする振りをしたに決まってます。その時行くなと取りすがる自分の幼子を縁側から蹴落としたと伝わっています。漂泊の思いではそんなことできるわけありません。こんなことばに騙されてはいけません。言葉は常に人を裏切るように発せられます。かれのこの場面をなぜ物語小説コミックにしないのか。少し前の日本のサラーリーマンとその家族は血涙を流してこれを見るはずです。
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