東日本のヒトのための奈良市観光案内⑭ 三泊四日以上のヒトのために 唐招提寺
東大寺は聖武天皇の頃一時的に朝廷そのものであり、興福寺は今の霞が関で新薬師寺は皇室か有力貴族か分かりませんが別荘またはひょっとすると本宅であったかもしれません。そのころは国に余裕あったと考えられます。私度僧といって勝手にお坊さんになるひとが続出したと言います。何もしなくてもお布施を貰えるのでこんないい生き方はありません。(私も今からでも遅くない、餃子や酢豚を自由に食べてよいなら私度僧になりたいものです)こんなことではいけないと、国家が認める僧だけにしようということでお坊さんを取り締まる専門家を招聘したのが鑑真和上であると聞いております。
鑑真が御住みになるお寺として、国が準備したお寺と考えられる。今でいう最高裁長官兼国立大学学長公邸みたいなものでかなり広いお寺です。様々なお堂が立ち並んでいてここは、ガイドさんに説明してもらわないと短時間ではちょっと無理じゃないか。鑑真はここから戒壇院まで輿に乗ってだろうと思うがお出かけになったであろう。
教科書では、宗論律のうちの律が日本に伝わっていなかったのでこれを日本に伝えるためとある。しかし一番感謝されているのは、薬の伝来だろう。今でも奈良には薬製造の会社がたくさんあるが、奈良発祥で大きくなって今や東証に上場している製薬会社もあると聞きます。
律はお坊さんだけに関係するから我々には直接何の影響もないと誰もが思うが決してさにあらず。思わぬ余禄に、現在の我々が日常何気なく使っている「道理」(論証)は鑑真和上が持ち込んできたとのことです。なにしろお坊さんを律する法律の運用にかかわるのですから、今の裁判と同じく論証は大事でしょう。
わたくしの仮説ですが、インドは暑いので昼間は洞穴の中に暑気を避けた。夕方になればそのあたりにできている果物を取りに出るけど昼間は数人が集まってジーとするより他ない。今なら麻雀でもするかになるのですが、貨幣がまだ無いから賭け事ができない。そこで麻雀は発明されなくて将棋が発明された。将棋なら賭けなくても楽しめます。(囲碁も発明されていいはずなのですが、どやらインドではなかったようです。)将棋では頭の働きが論理的になる。ここで完成された論理が宗教の「律」に取り入れられたと考えられます。論理は西に向かってソクラテスの哲学ユークリッドの幾何学と合体し西洋哲学西洋数学となります。同じく東に向かった終末点が唐招提寺となったと考えられます。
唐招提寺を歩いていただくと実感されると思いますが、厳格で清潔な雰囲気がいまも残っています。他の寺院とかなり異なる雰囲気が味わえます。他の寺院のように荘園をもったり僧兵の集団によって強訴したりせずに、厳しい学問に打ち込んできたという清潔さがあります。権力闘争とは無縁であったと見えます。
東山魁夷の襖絵があるはずなのですが一般公開されているかどうかは知らないのです。わたくしはまだ見たことがありません。有名な鑑真和上像があります。わたしは、鑑真とはガンジーからきているはずだからインドからきた人ではないかと疑ってこの像を見ましたが、どう見ても東洋人のお顔です。それでもこの寺院のたたずまいに古い日本や唐の時代の中国の風情だけではなく、さらにその昔のインドの学院の雰囲気を感じてしまうのです。
お時間に余裕があれば、全く違う性質の奈良の寺院として見学されることをお勧めします。