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東日本のヒトのための奈良市観光案内⑤

2024-08-13 21:42:00 | 日記

東日本のヒトのための奈良市観光案内⑤

東大寺を出てすぐ斜め前(といっても国立奈良博物館をはさむからかなりの距離がある。歩ける距離である。)が興福寺である。今奈良公園といっているところは、もと興福寺に勤めていた僧侶のお家が並んでいたというから東大寺に比べてずいぶん広い。廃仏毀釈の時にお家が焼き討ちにあって燃えてしまったという。余談だが「お坊さんは一夜にして髪を蓄えて春日大社の神官になった」という話を小さいころ近所の老人から聞いた。小さかった私は一晩で頭の毛が生えてくるそういう特異体質の人がいるのをずいぶん不思議に思ったものである。「一夜にして」は「神官になった」を修飾するということが理解できなかったからである。

廃仏毀釈の時にひどい目にあったということは。それ以前にあまりよくないことをしていたという証で、もと藤原氏の氏寺ということは今の政府に対する政党本部みたいな立場にあったと考えられる。その後荘園を持ったり封建領主みたいな立場であったろう。住民に課税するときに家の間口の広さに対して課税したので奈良まちを散策されるとお分かりだと思うが奈良の町屋は間口が狭い家が多い。(間口が狭いと窓のない部屋が多くて不便である。)行政機関であって信仰の対象としての寺院ではなかったのである。

興福寺五重の塔が廃仏毀釈のさい風呂の薪にする用に売りに出されたというのは有名な話である。その塔の中にごく小さいころ入らせてもらった記憶がある。外から見ると結構な広さがあるように見えるが真ん中に巨大な心柱が貫いているから、一つのフロアーは今のワンルームマンション分あるかどうである。しかも上がらせてもらえなかったが三階以上は床もないらしい。中は埃っぽくとても住めない。ごく粗末な彫刻が置いてあるだけである。あれは外観だけをヒトに見せるためのものでそれ以外何の役にも立たないものである。その後知ったが心柱が塔を支えているのではなく、塔が心柱を支えているのだそうである。あんな大きなものを支えるとはまたご苦労なことで、そのために居住もできないのであるから二重の損害を被っているではないか心柱は何のためかと長いこと思っていた。(しかも心柱は地面に突き刺さっていないのである)

やっと今頃分かった。塔が心柱を支えるのはふわっと支えているのだと。ふわっと支えるということはばねで支えるというのと同じことで、あの巨大な心柱は地震計の不動点に当たるのである。普段は塔が心柱をご苦労にも支えているのだが、地震の時は心柱が巨大な不動点になるから今度は塔の方が動かない心柱にしがみついて地震の災害から逃れられるということになる。古代のヒトはずいぶん賢い。

わたしは浅草寺の境内を歩いてそのお堂や塔が勇ましく雄々しいと感じて寺院でなくなんだか砦のように見えることがある。興福寺はそれに比べると女性的優美である。室生寺の塔がもっと女性的であるという話であるが、私は一回しか見ていないから何とも言えない。しかしである。浅草寺ではお経があげられ、人々はお願い事をするまたはしてもいいという雰囲気である。興福寺でお経の声を聴いたことはない。お祈りをする人はあんまりいないのではないかと思う。庶民に愛され支持された寺院と、もともとは政府機関の一部であったような寺院はその性格に決定的な違いがあって、それが千年以上たってもその場の雰囲気に反映している。ここは寺院ではなくて美術館であると考え、五重塔は美術館入り口のモニュメントと見て散策すると良いのではないかと思う。