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小説 徐福と童男童女3000人の子孫⑪

2022-09-16 15:12:10 | 日記

小説 徐福と童男童女3000人の子孫⑪

 私が名誉会長みたいになって、教団の運営に口を出さなくなってからも皆は私の言いつけを守り、最初の教義に異を唱えず教団は分裂しなかった。それはいいんだけど今度は時代の変化に対応できないと倒れてしまうことになる。最澄君のところは時の政権に抗うようなことが多かったと見えて焼き討ちに合ってしまうことがあった。どうしても教団を維持するために荘園を支配する必要があったため、または時代が下がって金融のお仕事を始めたためで、時の政権や教団自身にも気の毒なことだ。

 余談になるがこの各教団が金融の仕事を始めたころが、各教団の仕事が目に見えて変化したときで、人々は無条件に神仏を信仰しなくなった。神仏より銭金を信仰し信用するようになった。人々は神仏によってあらかじめ決められた人生を歩むのではなく、努力によって自分の人生を切り開くものと考えるようになった。そうなると、それぞれの人の個人的な悩みが出てくるのでそれにこたえるような教義をこしらえるまたは作り直す必要がある。このころ多くの大衆相手の宗派ができたのはこの需要が出てきたからだ。需要が先に在って供給はそのあとである。人々が何を欲しがっているかを見抜くことが商売の鉄則である。

その点私のところは、キンや水銀が豊富なものでここは乗り切れた。乗り切るどころか都から離れていることを幸いにして、キンを用いて日本中の情報を集めてそれを高く売るようなことを始めた。乱世の時代には、敵味方はっきりしないので皆さんここへ情報をとりにお見えになった。しかも、ありがたいことに秘密の軍資金なども預けていただける。お世話になった各大名の皆さんのお墓は敵同士でも高野山に作ってある。信玄も謙信も、信長も光秀もみなあります。

 いけないのはそのあとで、キン水銀が枯渇してきた。こうなると荘園も金融もやらないで高いところから世間を眺めていた独立王国も苦しくなります。ちょうどそのころ伊勢神宮が朝廷の衰微によって維持費が入らなくなり苦しんでおられた。神社だから人々の心の悩みにこたえる複雑な理論構成が無い。他の神社のように何かの職業集団をとりまとめる利権あさりは誇りがあって、または出遅れたからかできない。どうするのかなと見ていると、なんと観光事業に乗り出された。

 何となくありがたいだけでは、お札も売れない。お札を売る御師がついでに、二見が岩のスキ間からかろうじて見える富士山を拝むと良いことがあると売り込んで江戸から観光客を呼び込んだ。さらに、流行作家に旅がどのくらい楽しいものかを宣伝する本を書かせた。これによって神社がありがたい場所であるとの信仰を保ったまま収入を確保することに成功したようだ。

 同じようなことをしないと我が教団は建物の維持もできなくなる。我が教団には、暦を売って回る集団高野聖があるのだが、その集団に売ったついでに奥の院で大師、吾輩のことですが、にあうと幸せな気分になれるまたはいいことがあると宣伝させた。これでは、私もこれに協力せざるを得ないだろう。

 意外にも都会地では気散じと言って、気晴らしになるものが常に必要になる。ヒトとヒトが密集するとどうしてもこうなる。大相撲や歌舞伎や落語やらがしょっちゅう催される。それだけではまだ不足だから、何となくありがたい神聖であるとの宣伝をしてこのような旅行を仕事にすると大きな需要を掘り出すことができた。多くのお客さんにおいでいただき、神聖さを味わっていただいたおかげでわが教団は教義を一切変えることなく生き残ることができた。ありがたいことです。



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