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日いづる国 雷を天神と言うこと (宮﨑市定全集22)を読みながら考えた

2022-12-30 18:06:27 | 日記

日いづる国 雷を天神と言うこと (宮﨑市定全集22)を読みながら考えた。

 予想される通り天神さんの話から始まって、中国雷州にまで至る蘊蓄が述べられている。菅原道真を迫害した人は大抵雷でひどい目に遭ったらしいが、中には源光という人は泥の中に没して非業の死を遂げたとあります。全員が雷というわけでもなさそうです。

 ああ面白かったで終わりそうだった最後にこんな一文があります。

「苟も中国で名官となるには淫祠征伐は是非やらねばならぬことであり・・・・・」ここでいう淫祠とは雷を祭る祠のことで、中国では皇帝より派遣された官僚というのは地元の祠を征伐し皇帝の徳を有難いものだと教えて回ることが仕事だったようです。そう言うことであの巨大な土地が一つの国になったということだったのか。昔の中国の官僚とは巨大な富を一代で築くことができるそうで、ぜひあやかりたいものだと思っていたが他人が大事にしている信仰を取り上げる淫祠征伐という仕事はあんまりやりたくない。科挙に通ればいいだけとはいかぬようで、どうやらただで富は手に入らないようだ。

 わたくしが高校生であったときに世界史の教師が科挙の制度を説明しながら「大学入試はこの科挙の制度と同じだ。科挙に合格すれば天下の美女が寄ってくるし巨万の富が手に入る。」と盛んにアジ演説をした。そうかよーしと我利勉して合格したのに、天下の美女も巨万の富も転がり込むことはなかった。齢18にして立ち直れない詐欺に遭ったようなものである。爾来ヒトの言うことは必ず裏があると思うことにしている。もっとも合格するだけではいけなくて、ここでいう淫祠征伐という仕事をやらなかったせいであるかもしれない。

 昔の中国の皇帝は、昔のローマ教皇と似たところがあって部下を派遣して各地を同じ信仰に染め上げることで統治する方策をとったと考えられる。だったらローマ教皇の部下の方も儲かったのかどうかそこを知りたいものだ。唯決定的の違いは一方は血族による相続で一方は選挙による移譲をする。それから教皇または皇帝の住むところには大変な量の美術品が集まるところは似ている。

 日本とイギリスはこの官僚の(または部下手下と言うべきか)の派遣を受けなかったので淫祠征伐があまり進んでいないのではないか。それからインドはもっとも淫祠征伐されていないところだろう。淫祠征伐されたほうが住みよいかされてないほうがいいのかは難しい問題であると思う。実際に暮らしてみないとわからないだろう。

 

 



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