Love Letter
1995
岩井俊二
2004年に亡くなられたカメラマンの篠田昇さんの追悼で1週間だけシネアミューズのレイトでリバイバルしていた本作。
gg(ジジ)という毎月展示テーマを変える雑貨屋の様な店とのタイアップ企画です。
私が鑑賞したのは水曜日。とはいえ、ほぼ満席。1000円ということもあったのでしょうか。イヤ、値段は関係ないはず。
岩井俊二監督作品の中でも大好きな作品で何度も観ています。
劇場で鑑賞するのは初めて。
この作品を映画館で観られるという幸せ。
ありがとうございます。
スクリーンの中では実写で物語が進んでいるものの、どこか現実的ではなく、別の星か、別の世界の様に進んでいく。
ある景色からフレームが切り取られている、というよりは本来そこに無いものを写し出しているかのような映像。そのフレームの外では私の全く知らない生活があるんだな、というよくわからない感覚。
岩井監督の演出の真骨頂とも言える事実のねつ造っぷりが素晴らしいですね。
博子と樹(女)がニアミスするシーンでの雑踏の描き方といい、図書館のカーテンに隠れ一瞬消えてしまう樹(男)といい、病院の廊下に滑り込んでくるストレッチャーとか。
現実に起こっている出来事とは別に「頭の中で光や音はそう感じる」ことを映像に表現しています。これこそが演出。
非現実を描くことによって現実味が増すとでも言うのでしょうか。
私達が普段感じていることは人によって全く違う。
ちょっと話はズレますが、アインシュタインが相対性理論の概略を子供に説明したときに「同じ一時間でも、退屈な授業はすごく長く感じるのに、好きな子と一緒にいる時間はすぐ過ぎちゃうでしょ?それが相対性理論なんだよ」と。
まさにそういうことを映像で表現することが映画では。
感じ方というのは視点によって全く違います。「恋人にフラれたばかりのA」と「初デートの待ち合わせをしているB」という二人の人物が同じ時間に場所にいたとしても、その二人には全く違う時間が流れ、全く違う体験として残るものです。
その瞬間の視点に込められた想いを表現することに於いて岩井監督はもの凄いセンスを発揮します。後の作品よりも本作がもっとも顕著かもしれません。後の作品はあまりにも全編にその想いが行き渡りすぎて、おとぎ話の領域に行ってしまっている気がします。それはそれで好きなんですが。
ストーリーボードが切れる程に観ている作品ですが、やはり観るたびに何か想い入るところがあります。
それは私の時間も前とは違うと言うことでしょう。当然ですが。
鑑賞後、連れに「鼻息が荒かった」と言われてしまった。それほどに見入っていたというこか。
これからも何回も観るんだろうなぁ。
とにもかくにも、幸せな映画体験でした。
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