神が宿るところ

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楯縫神社(茨城県美浦村郷中)(常陸国式内社・その4)

2018-03-24 23:27:07 | 神社
楯縫神社(たてぬいじんじゃ)。同村内の同名の神社と区別して、通称:一宮楯縫神社、又は木原楯縫神社。
場所:茨城県稲敷郡美浦村郷中2988。国道125号線(旧道)「美浦村役場入口」交差点から、国道を北西へ約600m進み右折(北東へ)、約60mで正面に鳥居。駐車スペースあり。なお、鎮座地は、茨城県神社庁のHPの記載では「美浦村木原」となっている。
社伝によれば、創建を推古天皇16年(608年)とするが、神武天皇18年とも、和銅元年(708年)ともいう。現在の祭神は「普都主命」(経津主神)で、これは「常陸国風土記」信太郡の条に、古老の話として「天地始めの頃、高来の里(現・茨城県阿見町竹来が遺称地)に普都大神が降り、葦原中国を平定した後、甲(よろい)・鉾・楯・剣と玉を全て取り外し、白雲に乗って天に帰った」という記事があり、「楯脱ぎ」から「楯縫」となったという。「普都大神」は一般に「経津主神」(フツヌシ)と同神とされ、下総国一宮「香取神宮」の祭神と同じで、常陸国一宮「鹿島神宮」の祭神・「武甕槌神」(タケミカヅチ)とともに葦原中国を平定した神とされる。ただし、「フツ」というのは刀剣で物を断ち切る音を神格化したものという説もあり、謎の多い神でもある。それはさておき、当神社は「延喜式神名帳」に登載された同名の「式内社」に比定されており、近世には信太郡(荘・庄)一宮とされ、「一宮明神」とも呼ばれていたとのこと。
ところで、祭神については、「彦狭知命」(ヒコサシリ)とする説もある。「式内社」としては、同名の神社が他に3社(但馬国に2社、丹波国に1社)あって、いずれも「彦狭知命」を祀っているという。「彦狭知命」は、「天照大神」が天岩戸に隠れてしまった際、「手置帆負神」(タオキホオイ)とともに「天御量(あめのみはかり)」を使って木材を集め、「瑞殿(みずのみあらか)」を造営したとされる。また、「日本書紀」では、祭祀に用いる神聖な盾を作る「作盾者(たてぬい)」であるとされている。こうしたことから、工匠の守護神とされ、建物の地鎮祭・上棟式の際に、地域の産土神とともに祭神となっている。紀伊国の忌部氏の祖神ともされているのだが、当神社の鎮座地は旧・木原村で、境内に巨大な杉(スギ)の木があったことに因むものという説があるので、「木」を通じて何らかの関係があるのかもしれない。一方で、「出雲国風土記」によれば、出雲国意宇郡には「楯縫郷」(現・島根県出雲市)があり、「布都怒志命」(フツヌシ)が「天の石楯」を縫い直した場所というのが郷名の由来だとされていることから、「楯縫神社」が「経津主神」を祀るのも強ち理由のないこととは言えないともいう。


茨城県のHPから(楯縫神社)


写真1:「楯縫神社」境内入口の鳥居と社号標。鳥居の扁額は「一宮楯縫神社」。


写真2:長い参道の途中にある二の鳥居。深い樹叢の中にあり、茨城県の自然環境保全地域に指定されている。


写真3:拝殿


写真4:本殿
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