神が宿るところ

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大宮神社(茨城県行方市玉造乙)(常陸国式外社・その16の1)

2023-02-18 23:31:57 | 神社
大宮神社(おおみやじんじゃ)。通称:玉造大宮神社、馬場の大宮神社。。
場所:茨城県行方市玉造乙750。茨城県道50号線(水戸神栖線)「緑ヶ丘」交差点から西へ約1.8kmで右折(北西へ。目印がないが、すぐ先に神社の杜が見える。)、約150mで鳥居前。少し手前に、横から境内に入る道があり、その入り口付近に若干の駐車スペースあり。なお、玉造の市街地(常陽銀行玉造支店などがある周辺)から、北東へ約1.4km(参道のように、殆ど直線的に鳥居正面に着くのだが、途中道路が狭かったり、分岐があったりするので、迷うかも。)。
創建年代は不明であるが、社伝によれば、和銅6年(713年)以前の鎮座という。室町時代後期(戦国時代)、第13代玉造城主・玉造左京太夫憲幹が社殿を建立。明治6年、村社に列した。現在の祭神は、武甕槌命・天津彦穂瓊々杵命。毎年5月4~5日の例大祭は、玉造市街地を神輿・大鉾・猿田彦が練り歩き、霞ヶ浦浜地先でお浜降りを行うという、にぎやかなものとなっている。
さて、「常陸国風土記」行方郡の条に「提賀里」の記事があり、「郡家の西北に提賀(てが)の里がある。昔、手鹿という佐伯(先住民)が住んでいた。それで、後に里の名前にした。その里の北に香嶋の神子の社がある。神社の周囲の山野は肥沃で、草木は椎・栗・竹・茅の類がたくさん生えている。」(現代語訳)というような記述がある。多くの解説書で、この「香嶋の神子の社」(常陸国一宮「鹿島神宮」の分社)が当神社のことだろうとしている。根拠としては、①「常陸国風土記」の「提賀里」が現・行方市手賀と玉造に当たると考えられること、②当神社の創建が古代に遡る古社であること、③主祭神が武甕槌命で、「鹿島神宮」と同じであることが挙げられる。しかし、①上記「常陸国風土記」の文章の次に「ここから北方に曾尼(そね)村がある。」という記述があって、「提賀里」と「曾尼村」は別(=「曾尼村」を現・玉造に比定する。)という説も有力で、その場合は、所在地の方向が合わなくなる。また、②当神社の「和銅6年以前の鎮座」というのは、各国「風土記」編纂の官命が出されたのがこの年(「続日本紀」和銅6年の記事)だから、ということからの後付けと考えられる。こうしたことなどから、当神社が「香嶋の神子の社」であることを否定する説も有力となっている。


写真1:「大宮神社」一の鳥居と社号標。


写真2:雰囲気の良い参道


写真3:二の鳥居


写真4:拝殿


写真5:本殿


写真6:御神木は杉(スギ)で、幹囲約4.7m・樹高約35mとされ、行方市指定有形文化財(天然記念物)。
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