神が宿るところ

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玉井(茨城県小美玉市)

2019-02-02 23:31:26 | 史跡・文化財
玉井(たまい)。玉乃井之跡(たまのいのあと)。
場所:茨城県小美玉市上玉里。茨城県道144号線(紅葉石岡線)「玉里郵便局前」交差点から北東へ約260mのところで左折(北へ)、約180m進んだところの右側(東側)。駐車場なし(手前にある「小美玉市 玉里総合支所」に広い駐車場がある。)。
「常陸国風土記」茨城郡の条の最後に、「茨城郡家の東、10里(約5.3km)のところに桑原岳(くわはらのおか)がある。昔、倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)が岳の上にしばらく休み、食事を差し上げようとしたとき、水部(もいとりべ)に命じて新たな井戸を掘らせた。湧き出た泉は清浄で香気があり、飲んでみると美味しかったので、「能き停水かな(よきたづみかな)」とおっしゃった。これを、地元の人は「よくたまれる水かな」という。これによって、この里の名を今は「田余(たまり)」という。」という記述がある。「桑原」という地名には遺称地がないものの、旧・茨城県新治郡玉里村は昭和30年に田余村と玉川村が合併してできたもので、田余村の名は「和名類聚抄」にある「田余郷」に由来し、これが「常陸国風土記」にいう「田余」の里であるとされる。そして、「小美玉市 玉里総合支所」(旧・玉里村役場)の向かい側に鎮座する「大宮神社」社地及びその北西部の台地(「宮平」という。)が「桑原岳」、「大宮神社」の東側にある「玉井」が泉の跡に比定されている。
社伝によれば、「大宮神社」は和銅年間(708~715年)の創建で、祭神として武甕槌命(タケミカヅチ)を祀り、鹿島明神と称していたが、元禄9年(1696年)に徳川光圀が巡視のときに「大宮大明神」と改め、明治になって「大宮神社」としたという。「玉井」のある場所は、台地を少し下ったところだが、ここもかつては「大宮神社」の社地内であったらしい。「玉井」は昭和20年まで水が湧いていたが、現在は埋められ、暗渠に水を流しているとのこと。なお、当地には「六井六畑八館八艘(ろくい・ろくはた・はったて・はっそう)という言葉が残っており、6つの井戸、6つの畑、8つの館(城)、8つの艘(前方後円墳)という豊かで歴史のある場所だ、ということのようである。
ところで、上記の「食事を差し上げようとしたとき」の原文は「進奉御膳時」となっていて、これを「(ヤマトタケルが)土地の神に神饌を献じようしたとき」と解釈すれば、あるいは「桑原岳」が神聖な場所だったのかもしれず、「大宮神社」はその後身であるのかもしれない。


茨城県のHPから(玉井)

小美玉観光協会のHPから(大宮神社)


写真1:「小美玉市 玉里総合支所」敷地内にある「閉村記念碑」。上記「常陸国風土記」を引用して「玉里村」の地名が1300年の歴史のあることを記している。


写真2:「大宮神社」境内入口(場所:茨城県小美玉市上玉里119。「小美玉市 玉里総合支所」の向かい側)


写真3:同上、立派な両部鳥居。


写真4:同上、社殿


写真5:「玉井」。「玉乃井之跡」という石碑が建てられている。
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