三嶋大社(みしまたいしゃ)。
場所:静岡県三島市大宮町2-1-5。JR「三島」駅の南東、約1km。駐車場あり(有料)。
伊豆国はもともと駿河国の一部だったが、天武天皇9年(680年)に分割して設置された。このときまで、駿河国の国府は駿河郡(現・沼津市大岡付近?)にあったが、安倍郡(現・静岡市)に移転したという。そして、伊豆国の国府は田方郡(現・三島市)に置かれた。
三嶋大社は延喜式の神名帳では「伊豆三島神社」(名神大)であるが、創建時期は不明。元は三宅島(現・富賀神社)→下田市白浜(現・伊古奈比命神社)→伊豆の国市(現・広瀬神社)→現在地と遷宮したともいわれる。このあたりは、主祭神とも関連してくるのだが、一説には伊予国一宮「大山祇神社」の分社であるともいい(逆に、「大山祇神社」が当社の分社であるともいう。2010年3月19日記事参照)、また一説には出雲国御穂崎に隠棲した事代主命が海を渡って三宅島に到って鎮まったとされる。前者の説では祭神は大山祇神となり、後者の説では事代主命となる。現在では、この2神をもって「三嶋大明神」と称し、同座として祀っているというが、俗に「恵比寿さん」とも呼ばれており、永らく事代主命が主祭神だったことを窺わせる。
しかし、「三島」というのは、やはり元は「御島」であり、人格的な神ではなく、海底火山の噴火や新島の隆起など「自然の驚異」に神威を感じて祀ったものだろう。駿河国一宮「富士山本宮浅間神社」と同様、噴火などの自然災害がある度に神階が上がっていった、とみられていることもこれを裏付ける。
ところで、現在地への遷座は、平安中期以降に伊豆国の国府の近くに新宮として祀られたことによるといわれている。国府の場所は確認されていないが、かつて当神社の近くに長谷町という地名があった。長谷は「ちょうや」と読み、ここに「庁屋」(=国庁。国府の中枢建物)があったとされる。また、当神社が伊豆国の総社を兼ねていたらしい。当神社の西、約900mのところには、「伊豆国分寺」(2011年11月1日記事)もあり、当神社周辺に伊豆国の主要施設が集中していたようだ。
なお、伊豆国には、古代東海道の駅はない。駿河国の「長倉」駅の位置は不明であるが、仮に現・静岡県駿東郡長泉町本宿付近とすると(2011年10月21日記事参照)、当神社付近(≒伊豆国府付近)まで約3kmと近く、駅を設ける必要がなかったものとみられる。江戸時代になると、東海道は箱根峠を越えるルートとなり、当神社の前を東西に通じている。
三嶋大社のHP
玄松子さんのHPから(三嶋大社)
写真1:「三嶋大社」正面鳥居(大鳥居)。この鳥居前の道路が旧(近世)東海道。

写真2:大鳥居を潜って直ぐ右手にある「たたり石」。「たたり」は「祟り」ではなく、糸のもつれを防ぐ道具であり、当神社前を通る旧東海道の中央にあって人の往来の整理をするために置かれていたものらしい。現在のように自動車が行き交うようになると当然邪魔になり、当神社の境内に移された。交通安全に御利益があるという

写真3:「腰掛石」。神門前の参道脇にある。治承4年(1180年)、当神社に源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした際に腰掛けたとされる石(向って左)。自動車のシートみたいな形をしている。なお、向って右側は北條政子が腰掛けた石という。

写真4:「三嶋大社の金木犀」。樹齢1200年以上ともいわれ、国内で現在知られている金木犀の中で、もっとも古く、巨大なものという。高さ約10m、目通り周囲約4m。国の天然記念物。

写真5:社殿。観光客が絶えない。

場所:静岡県三島市大宮町2-1-5。JR「三島」駅の南東、約1km。駐車場あり(有料)。
伊豆国はもともと駿河国の一部だったが、天武天皇9年(680年)に分割して設置された。このときまで、駿河国の国府は駿河郡(現・沼津市大岡付近?)にあったが、安倍郡(現・静岡市)に移転したという。そして、伊豆国の国府は田方郡(現・三島市)に置かれた。
三嶋大社は延喜式の神名帳では「伊豆三島神社」(名神大)であるが、創建時期は不明。元は三宅島(現・富賀神社)→下田市白浜(現・伊古奈比命神社)→伊豆の国市(現・広瀬神社)→現在地と遷宮したともいわれる。このあたりは、主祭神とも関連してくるのだが、一説には伊予国一宮「大山祇神社」の分社であるともいい(逆に、「大山祇神社」が当社の分社であるともいう。2010年3月19日記事参照)、また一説には出雲国御穂崎に隠棲した事代主命が海を渡って三宅島に到って鎮まったとされる。前者の説では祭神は大山祇神となり、後者の説では事代主命となる。現在では、この2神をもって「三嶋大明神」と称し、同座として祀っているというが、俗に「恵比寿さん」とも呼ばれており、永らく事代主命が主祭神だったことを窺わせる。
しかし、「三島」というのは、やはり元は「御島」であり、人格的な神ではなく、海底火山の噴火や新島の隆起など「自然の驚異」に神威を感じて祀ったものだろう。駿河国一宮「富士山本宮浅間神社」と同様、噴火などの自然災害がある度に神階が上がっていった、とみられていることもこれを裏付ける。
ところで、現在地への遷座は、平安中期以降に伊豆国の国府の近くに新宮として祀られたことによるといわれている。国府の場所は確認されていないが、かつて当神社の近くに長谷町という地名があった。長谷は「ちょうや」と読み、ここに「庁屋」(=国庁。国府の中枢建物)があったとされる。また、当神社が伊豆国の総社を兼ねていたらしい。当神社の西、約900mのところには、「伊豆国分寺」(2011年11月1日記事)もあり、当神社周辺に伊豆国の主要施設が集中していたようだ。
なお、伊豆国には、古代東海道の駅はない。駿河国の「長倉」駅の位置は不明であるが、仮に現・静岡県駿東郡長泉町本宿付近とすると(2011年10月21日記事参照)、当神社付近(≒伊豆国府付近)まで約3kmと近く、駅を設ける必要がなかったものとみられる。江戸時代になると、東海道は箱根峠を越えるルートとなり、当神社の前を東西に通じている。
三嶋大社のHP
玄松子さんのHPから(三嶋大社)
写真1:「三嶋大社」正面鳥居(大鳥居)。この鳥居前の道路が旧(近世)東海道。

写真2:大鳥居を潜って直ぐ右手にある「たたり石」。「たたり」は「祟り」ではなく、糸のもつれを防ぐ道具であり、当神社前を通る旧東海道の中央にあって人の往来の整理をするために置かれていたものらしい。現在のように自動車が行き交うようになると当然邪魔になり、当神社の境内に移された。交通安全に御利益があるという

写真3:「腰掛石」。神門前の参道脇にある。治承4年(1180年)、当神社に源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした際に腰掛けたとされる石(向って左)。自動車のシートみたいな形をしている。なお、向って右側は北條政子が腰掛けた石という。

写真4:「三嶋大社の金木犀」。樹齢1200年以上ともいわれ、国内で現在知られている金木犀の中で、もっとも古く、巨大なものという。高さ約10m、目通り周囲約4m。国の天然記念物。

写真5:社殿。観光客が絶えない。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます