神が宿るところ

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天志良波神社(常陸国式内社・その24)

2019-10-26 23:20:09 | 神社
天志良波神社(あめのしらはじんじゃ)。
場所:茨城県常陸太田市白羽町1670。国道349号線「茅根町」交差点から茨城県道37号線(日立常陸太田線)に入り東へ、「白羽運動公園入口」交差点を右折(南西~南へ)、約700mで参道入口(案内板あり。ただし、県道側から来ると、見えにくいところに立っている。)。駐車場はあるが、参道入口からの道路が狭いので、手前に置いてきた方が良いかも。
創建時期は不明。一説に、延暦14年(794年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の折に当地に宿り、夢告により白羽の矢を得たことから社を建立したという(ただし、坂上田村麻呂が征夷大将軍になったのは延暦16年である。この伝承は社号に基づく後付けのように思われる。)。祭神の天白羽命(アメノシラハ)は、太玉命(フトダマ。布刀玉命、天太玉命とも書く。)の一族で、天照大神が天岩戸隠れしたときに、太玉命が奉げ持った御幣のうち、青和幣(あおにぎて)を作った。このとき、父神の天日鷲命(アメノヒワシ)が白和幣(しらにぎて)を作ったとされる。青和幣は麻布で、白和幣は穀(かじのき)の繊維から作った木綿(ゆう)の布のことだという。白羽というのも、衣服の古語だということで、織物の神様ということになる。因みに、常陸国二宮(式内社・名神大)「靜神社」(2018年2月24日記事)の主祭神である建葉槌命(タケハヅチ)は弟神であるという。式内社「長幡部神社」(2019年9月21日記事)も久慈郡鎮座なので、織物に関係する式内社がこれだけ集中しているというのは、何かそれなりの意味があったのだろう(なお、父神・天日鷲命は栃木県・茨城県境にある「鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)」に祀られている。)。「衣食住」が生活の基本であるというだけではなく、往古には織物自体が神聖なものであったということだろうか。だからこそ、織物の神様なのに、武人が戦勝祈願した(当神社=坂上田村麻呂、「長幡部神社」=源頼義)とか、悪神・天津甕星神(香々背男)を討った(「靜神社」)などといった伝説が生まれたのだろうと思われる。
さて、史料では、「日本三代実録」の貞観8年(866年)条に常陸国の「天之白羽神に従五位下を授ける」、同じく貞観16年(874年)条に「天之白羽神に従五位上を授ける」という神階授与の記事があり、これが当神社のこととされる。また、「延喜式神名帳」(延長5年:927年)に登載された「天志良波神社」に比定される神社となっている。天文13年(1544年)には佐竹氏第16代当主・佐竹義篤が社殿を造営し、江戸時代に入ってからも水戸藩から篤く庇護されたという。現在の祭神は天白羽命、天之志良波神、長白羽神となっているが、いずれも別名で同神であろうと思われる。


茨城県神社庁のHPから(天志良波神社)


写真1:「天志良波神社」鳥居と社号標(「延喜式内(郷社)天志良波神社」)。黄色い鳥居が印象的。


写真2:石段を上って社殿


写真3:拝殿・本殿


写真4:境内社
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