神が宿るところ

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磯部稲村神社

2019-12-14 23:15:33 | 神社
磯部稲村神社(いそべいなむらじんじゃ)。桜川磯部稲村神社ともいう。
場所:茨城県桜川市磯部779。国道50号線「岩瀬バイパス」の「元岩瀬」交差点から東南、約1.7kmの交差点を左折(斜めに東に)、約1km「稲荷橋」という小さな橋を渡ってすぐ左折(北へ)、途中「桜川公園」の横を通って約1㎞、正面突き当り。駐車場は向って左側にある。
社伝によれば、創建は景行天皇40年(111年)、日本武尊が伊勢神宮の荒祭宮である礒宮をこの地へ移祀したという。嘉祥2年(849年)、旱の折に桜川の水源地である鏡ヶ池で祈雨祭が行われたほか、天慶2年(939年)には平貞盛が平将門の追討祈願を行ったとされる。第108代・後水尾天皇(在位:1611~1629年)から「礒部大明神」の勅額を賜った(現存)。祭神は天照皇大神、木花佐久耶姫命など12柱で、古来から安産子育の神として尊崇を集めたという。常陸国式内社「稲村神社」の論社の1つとされるが、古代には当地は新治郡に属したと考えられるため、「延喜式神名帳」に久慈郡鎮座とあるのに矛盾するところから、可能性は低いとされる。
一方、当地は「白山桜(しろやまざくら)」の名所として古くから知られ、水戸藩第2代藩主・水戸光圀が現・水戸市周辺に盛んに移植したほか、歴代将軍家によっても玉川上水や隅田川などに移植したという。また、世阿弥(1363?~1443?年)作の謡曲「桜川」の舞台ともなっている。現在も、当神社の南側にある「磯部桜川公園」(元は当神社の馬場であったともいう。)は桜の名所で、国の名勝・天然記念物に指定されている。
なお、当神社の境内には「要石」がある。常陸国一宮「鹿島神宮」(2017年10月7日記事)の「要石」が凹型であるのに対して、こちらは凸型で、「鹿島神宮」の「要石」が地震を起こす大鯰(おおなまず)の頭を押さえ、当神社のそれが尾を押さえるという。下総国一宮「香取神宮」(2012年3月3日記事)にも凸型の「要石」があって、両神宮の関係から見ても、こちらのほうが本家のような気はするが...どうなのだろうか。


茨城県神社庁のHPから(磯部稲村神社)


桜川市観光協会のHPから(櫻川磯部稲村神社)


写真1:「磯部稲村神社」境内入口、社号標(「郷社桜川磯部稲村神社」)


写真2:拝殿


写真3:本殿


写真4:境内の「紀貫之歌碑」。歌は「後撰和歌集」にある「常よりも 春べになれば さくら河 花の浪こそ 間なく寄すらめ」(巻第三 春下107。「新日本古典文学大系6」による。)だが、この歌碑では第1句が「いつよりも」に変えられている。また、第4句も「波の花」となっているが、これは昔から両説あるらしい。詞書に「さくら河といふ所ありと聞きて」とあるように、紀貫之自身が当地に来たのではないが、当時から桜の名所だったということが知れる。


写真5:同「要石」


写真6:同上


写真7:境外社「咳嗽社(しゃぶきしゃ)」。境内入口の手前、左手の小道を入ったところにある。


写真8:「御手洗池」
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