神が宿るところ

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佐志能神社(茨城県石岡市村上)(常陸国式外社・その5の2)

2018-10-06 23:34:06 | 神社
佐志能神社(さしのじんじゃ)。同名の神社と区別して通称:村上佐志能神社。
場所:茨城県石岡市村上494。茨城県道7号線(石岡筑西線)「大砂」交差点から南~南西に進み、「竜神山入口」交差点から北西方面に向かう。この辺り、道がわかりにくいが、「竜神山入口」交差点から西に入ったら突き当りを右折(北へ)、直ぐ二岐の道になるので、左側の道路を進む。また二岐の道路があるので、これも左側の狭い道路に入る。「村上農村集落センター」という施設があるので、これが目印。そこから更に先へ進んで、突き当りを左(南西へ)、次の角を右折(北西へ)、直ぐ。駐車場なし。
当神社の創建時期は不明。常陸国式内社「佐志能神社」の論社とされるが、鎮座地は古代には「茨城郡」内であったため、「延喜式神名帳」の「新治郡」というのに合わず、現・茨城県笠間市の「佐志能神社」(2018年9月15日記事)に比定するのが通説。一方、「日本三代実録」仁和元年(885年)に「村上神」が「従五位上」の神階を授与された記事があって、その式外社「村上神」であるとする説が有力。ただし、その「村上神」は「染谷佐志能神社」(前項)のことであるとされていて、それは同神社が元は「村上村」にあったのだが「染谷村」を分村した際に「染谷村」内に入ったからだとし、当神社は、神社が無くなった「村上村」で新たに創建されたという。もっとも、これは「染谷佐志能神社」の方の伝承によるものであるらしく、同神社を当神社の分社とする説もある。
現在の祭神は「豊城入彦命」と「村上大神」で、「日本武尊」と「闇龗神(クラオカミ)」を配祀するとされるが、資料によっては「日本武尊」と「闇龗神」を主祭神とするものがある。そして、「染谷佐志能神社」を雌龍(「高龗神」)、当神社を雄龍(「闇龗神」)として一対の存在とする(ただし、一般的には「高龗神」=陽龍=男神、「闇龗神」=陰龍=女神、とするらしいので、逆になっている。)。当神社の方には現在も「御手洗池」として泉が湧いており、近世には「雨乞いの霊水」として信仰されていたということである。


石岡市のHPから(村上佐志能神社)


写真1:「佐志能神社」境内


写真2:社殿


写真3:今も泉が湧いている。


写真4:「御神水」と刻された石碑


写真5:境内の巨石。小祠がある。


写真6:社殿の左の鳥居


写真7:同上の鳥居を潜り、急な山道を5分程登ったところにある巨石(磐座?)


写真8:「竜神山」。「村上農村集落センター」前から撮ったもの。岩肌が剥き出しになっているところは、なかなか迫力がある。

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