神が宿るところ

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嶽六所神社

2015-07-04 23:59:25 | 神社
嶽六所神社(だけろくしょじんじゃ)。
場所:秋田県大仙市神宮寺字落貝7(「神宮寺岳」山頂)。JR「神宮寺」駅前方面から秋田県道30号線(神岡南外東由利線)を南下、雄物川に架かる「岳見橋」を渡り、約100mのところで左折(東へ)(「神宮寺岳入口」の案内板がある。)、約500m進んで左へ、更に約500m進むと「神宮寺岳」登山口。駐車スペースあり。そこから、登山道を山頂(標高277m)まで登る(徒歩約40分)。さして高い山ではないが、見たとおりの急坂。
出羽国式内社「副川神社」は現在、秋田県八郎潟町の「高岳山」山頂に鎮座しているが、中世には祭祀が廃絶しており、所在も不明になっていた。秋田に入封した領主・佐竹氏が式内社復興のため「保呂羽山波宇志別神社」社家・大友氏に鎮座地を探させたところ、「神宮寺岳」にあったと判ったが、城都の北方鎮護のため、敢えて「高岳山」山頂に再興された(前々項「副川神社」参照)。同様に廃絶していた式内社「塩湯彦神社」の本来の鎮座地には諸説あるが、「副川神社」の場合、「神宮寺岳」にあったことには殆ど異説がない。「神宮寺岳」(別名:「副川岳」、「岳山(だけやま)」)は、雄物川に玉川が合流する位置にあり、河畔からピラミッドのような形で立つ姿は「神奈備山」というに相応しい。現在も、JR奥羽本線(秋田新幹線)や国道13号線からもよく見え、旅路の目印となっている。式内社「副川神社」は、本来は「神宮寺岳」自体を神体山とした自然神だったと思われる。
社伝によれば、大宝元年(701年)に藤原不比等が奏聞して創建(「副川神社」として?)。同2年(702年)に斎藤安房守が「神宮寺岳」山頂に6堂を建立して6柱の神を祀ったという。大同2年(806年)には、坂上田村麻呂が里宮を建立、八幡大神を合わせ祀ったため、「八幡神社」が優勢になり、「副川神社」の名が隠れたという。なお、秋田県神社庁のHPによれば、現在の祭神は大田命、興玉命、句々土命、大山祇命、磐戸命の5柱で、「六所」には1柱足りないが、一説には鹽槌翁を加えるという。
なお、地元の蔵元「刈穂酒造」の関係者の方から聞いた話。当神社の祭礼として「嶽六所神社奉納梵天(神宮寺梵天)」があり、棒の先端に球状の装飾物を着けた「梵天(ぼんでん)」を担ぎ、一気に「神宮寺岳」山頂まで駆け上がる。「神宮寺岳」の神は女神で、「梵天」は男性のシンボルであることから、一気に駆け上がって「梵天」を届けると、女神がことのほか喜ばれる、という。


秋田県神社庁のHPから(嶽六所神社)


写真1:「神宮寺岳」


写真2:山麓には縄文時代の遺跡(「小沢遺跡)もある。


写真3:登山口にある石鳥居。傍らには「式内社 副川神社跡」の木碑が建てられている。


写真4:山頂の「嶽六所神社」社殿


写真5:同上、内部
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