備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

5.布勢神社(赤磐市)

2008-05-24 22:25:21 | Weblog
布勢神社(ふせじんじゃ)。
場所:赤磐市仁堀西1027。赤磐市役所赤坂支所から国道484号線を西に自動車で約2.5km。国道に面して鳥居があり、駐車スペースは鳥居の前に1台程度。周囲には何も無く、寂しいところだが、道路がややカーヴしており、自動車が猛スピードで通ったりするほか、(国道だが)中央線がなくやや狭いので、路上駐車は避けたい。なお、手前約1kmのところに、式内社鴨神社三座(赤磐市)がある。
岡山県神社誌(昭和56年4月)によれば、祭神は大穴牟遅神で、旧郷社。古伝にいわく、垂仁天皇の時代、南海の渡船がしばしば転覆するので、帝が博士に占わせたところ、「吉備国の布勢大明神の神威である。社殿を七谷七畝の山麓に遷し、北面に勧請するのがよい。」とのことで、現在地に勧請したという。現在の社殿は寛文9年に再建されたもので、池田光政公の造営になる。
なお、もともとは「竜天山」山頂、現在の布勢巨神社のある場所に鎮座していたという。

神ナビさんのHP:http://www.geocities.jp/kibi_setouchi/fusejinja/fusejinja.htm

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/huse_title.htm

4.神根神社

2008-05-24 21:56:57 | Weblog
神根神社(こうねじんじゃ)。
場所:備前市吉永町神根本1147。JR「吉永」駅から自動車で北(八塔寺方面)へ約8km。神根郵便局が目印で、向かいの神根駐在所の裏の狭い道に回り込むと、真正面に見える。駐車場あり。
旧和気郡唯一の式内社で、備前国三宮。かつては500mほど東にある「古美山」に鎮座していたというが、どうだろうか。上にも書いたが、駐在所の裏から神社正面にまっすぐな道があり、周辺は田。五穀豊穣を祈願する地主神だったのではないだろうか。
なお、一説によれば、もとの祭神は和気氏の始祖「鐸石別命」であるといい、和気氏ゆかりの神社であろうという。また、鎮座地についても、現在地の北西にある「神道山」(山上に磐座があるという。)のほうに関連があるのではないかという。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=11039

コラム3.綱掛石神社

2008-05-23 16:05:48 | Weblog
綱掛石神社(つなかけいしじんじゃ)。
場所:岡山市東区東片岡1695。「安仁神社」の前の狭い道路を神社の丘沿いに左(東)に回っていく。途中「咳神宮」があるが、そこから先は更に道路が狭くなり、駐車スペースもないので、自動車は手前のやや広い道路に止めておく。そこから綱掛石神社までは徒歩で約500mほどであるが、農道から更に脇道に入る感じで、入口には手書きの案内板もあるが、小生も最初は気づかなかった。できれば、付近住民の方に聞いたほうが良い。
社殿自体、巨石の前に建てられている(写真上)が、社殿の脇から登る小道があり、その奥に、神武天皇が綱を掛けたという尖った岩がある(写真中)。今は不動尊が彫られ、祈祷所(小屋)もある。そして、更に上っていくと磐座(あるいは磐境)がある(写真下)。ここからは児島湾が見える(「高島神社」(岡山市南区宮浦)も見えるという。)。
式内社「安仁神社」についての記事は多く、そのなかで、当神社に言及していることもあるが、実際に現地に行っている人は少ないのではないか。場所が分かりにくいが、是非実物を見てほしいと思う。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=12041


写真上:社殿の後ろの大岩


写真中:「綱掛石」。右下の屋根はミニ祈祷所。


写真下:頂上にも立石。この石の回りにも石が並べられている(環状列石?)。


3.安仁神社

2008-05-23 15:17:32 | Weblog
安仁神社(あにじんじゃ)。
場所:岡山市東区西大寺一宮895。やや交通が不便なので、自動車で行く。県道「岡山牛窓線」で牛窓方面に向かうと、「神崎町」の交差点(「ほんぶしん」という宗教団体の巨大な本部施設がある)を左折してしばらく行き、県道234号に入るが、ここらあたりから案内看板があるので、あまり迷うことはない。広い駐車場もある。
備前国の式内社は21社あるが、名神大社とされたのは当社のみ。このことから、備前国の一宮は当社であるという主張もされている。ただ、諸般の事情を考えれば、一宮はやはり「吉備津彦神社」で、当社は二宮ということになろう。ただ、創建は古く、長らく主祭神不明となっていた。小生の妄想であるが、当社の南東約1kmに「綱掛石神社」がある。ここには神武東征の際に船のとも綱をかけたという岩があり、もちろん伝説にすぎないだろうが、磐座遺跡ではあるらしい。そうすると、本来ここが安仁神社の旧宮だったかもしれない。
神社名の「アニ」の由来については諸説あり、「玄松子」さんのHPでも紹介されている。そのほかでも、例えば志賀剛氏の「式内社の研究(第五巻)」では、アニはハニ(埴土)の転訛であろう、としている(当否は不明。)。ただし、少なくとも「アニ」=「兄」(神武天皇の兄)というのは疑問。現在のように「兄」を「アニ」というのは中世以降で、往古は「え」とか「せ」とかといったはずだからである。個人的には、「阿智使主」説を最有力としたい。近くに「阿智」という地名のほか、織部に関連の深い「服部郷」や「麻御山神社」(国内神名帳所載の古社)があることが傍証。

安仁神社のHP:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/2541/

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/ani_title.htm

2.吉備津彦神社

2008-05-23 14:32:12 | Weblog
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)。
場所:岡山市北区一宮1043。岡山市の主要な観光地の一つであり、行き方の説明は省略。駐車場も広大で、安心。
備前国の一宮とされるが、不思議なことに、いわゆる式内社ではない(備後国の吉備津神社も同じ。)。その理由は諸説あるが、斎藤盛之氏(岡山県出身の方だそうな。)の著書「一宮ノオト」によれば、単なる延喜式のミスで、書き忘れたのだろうという。

吉備津彦神社のHP:http://www.kibitsuhiko.or.jp/

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=07001

コラム2.神名帳(西大寺本)について

2008-05-22 22:43:44 | Weblog
具体的な神社名が一覧となっている備前国内神名帳も原本は失われ、多少の異同がある写本がいくつか残っている。そのなかで、多分最も引用されることは多いのは「西大寺本」といわれるもので、西大寺観音院に伝えられたもの。しかし、西大寺本では「125社」とされており、欠落がある。例えば、備中国のように、神名帳そのものが失われていても、総社合祀の社数だけは伝えられているので、128社ということは動かせない。
ところで、なぜ寺院に神社のリストが伝えられたのか。これは、春迎えの行事である「修正会(しゅしょうえ)」(正月に修される法会)の際に、無事に春を迎えられるように、神に祈願し、神社名を読み上げる(この法会の結願の行事が「会陽(裸祭り)」である。)。八幡雄島宮が最初に記載されているのは、(当社が重要な神社であることはもちろんだが)国庁に最も近い、本地垂迹的な八幡神を挙げたのではないだろうか。なお、他の神社も「明神」となっているのも同じ理由と思う。

1.八幡雄島宮

2008-05-22 22:26:11 | Weblog
八幡雄島宮(はちまんおしまぐう)。
場所:岡山市中区原尾島1-7-39。天満屋ハピータウン原尾島店の裏(北側)にあり、店正面と平面駐車場との間の狭い道路を右に回っていくと鳥居がある。小島神社と合祀されており、扁額も両社名が併記されている。駐車スペースはあるが、狭いので、境内に駐車するのは遠慮したい。
もとは国富村雄島山(操山)に鎮座していたとされているが、その場所は不明。操山は古墳も多く、神名帳に載る古社もいくつかあるので、往古は神聖な山だったのだろう。
神名帳の写本のうち、西大寺本などでは一宮吉備津彦神社などを差し置いて、最初に記されているが、この点は別記事で書きたい。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01021

コラム1.総社と神名帳

2008-05-22 21:34:35 | Weblog
国の長官である国司は、任地の主要な神社に巡拝し、祭祀を執り行うのが重要な仕事の一つでした。それによって、国家安寧や五穀豊穣等を祈願することが「行政」の一部だったわけです。しかし、実際に巡拝するのは大変(自動車が利用できる現在でさえ)なので、簡略化のために、1ヶ所の神社で済ませられればとても楽です(最初に考えた人は頭が良いですね。)。
その本来巡拝すべき神社の一覧表(リスト)が神名帳です。備前国は128社、美作国は112社、備中国は304社ですが、具体的な神社名が伝えられているのは(吉備の国では)備前だけ。備前の神名帳も、写本によって多少の異同がありますが、神社名がわかるということだけでも幸せなのことと思います。
ところで、上記のようなことから、総社と国庁は近くにあるのが当たり前です(備前国総社宮の南約1kmに国庁の跡といわれる「国長宮」があります。)。神名帳は、その国庁に備え付けられた正式文書だったと思います。

0.備前国総社宮

2008-05-22 21:03:32 | Weblog
備前国総社宮(びぜんのくにそうじゃぐう)。
場所:岡山市中区祇園596。「祇園」というバス停の近くに案内の看板があり、北へ200m。住宅地の奥にあり、鳥居前まで自動車で行けるが、道路が狭いので駐車には注意。
残念ながら社殿は放火により焼失、再建準備中のようです。神様は、南に700mほどのところにある素盞嗚神社に仮住まいされているとか(出典不明)。
最初の記事に書きましたが、当社のHPに、合祀された備前国内128社の一覧が掲載されており、比定される現在の神社の鎮座地住所も紹介されています。本家に異をとなえてもしかたがないのですが、神名帳の原本は無く、いくつかある写本には多少の差異があります。そうしたことを踏まえて、備前古社を訪ねたいと思います。

備前国総社宮のHP:http://www.geocities.jp/bizenksoja/#

このブログについて

2008-05-22 00:37:39 | Weblog
思うところあって、備前の古社を訪ねる旅を始めました。最初は、いわゆる「式内社」だけだったのが、備前国内神名帳の128社を目指して、小豆島の2社を除く126社はほぼ回り終わりました。
始めた当初は「本家」である備前国総社宮のHPはなく、案内となる神社の一覧は、ネットでは「島村壽男氏編」というものしかありませんでした。
式内社は、有名な「玄松子」さんのHPはじめ、研究書もありますが、神名帳の神社研究はあまり進んでいないようです。
現地に行ってみると、なかなかたどり着かないこともあり、苦労しました。このブログは、ひょっとして同じようなことを考える人がいれば参考にしてもらえれば、という気持ちで始めたいと思います。
このブログは日記ではなく、神名帳所載の神社毎の覚書で、随時修正・付加していく予定です。
参考:http://www5.ocn.ne.jp/~yoshik/jinmeicho.html