備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム3.綱掛石神社

2008-05-23 16:05:48 | Weblog
綱掛石神社(つなかけいしじんじゃ)。
場所:岡山市東区東片岡1695。「安仁神社」の前の狭い道路を神社の丘沿いに左(東)に回っていく。途中「咳神宮」があるが、そこから先は更に道路が狭くなり、駐車スペースもないので、自動車は手前のやや広い道路に止めておく。そこから綱掛石神社までは徒歩で約500mほどであるが、農道から更に脇道に入る感じで、入口には手書きの案内板もあるが、小生も最初は気づかなかった。できれば、付近住民の方に聞いたほうが良い。
社殿自体、巨石の前に建てられている(写真上)が、社殿の脇から登る小道があり、その奥に、神武天皇が綱を掛けたという尖った岩がある(写真中)。今は不動尊が彫られ、祈祷所(小屋)もある。そして、更に上っていくと磐座(あるいは磐境)がある(写真下)。ここからは児島湾が見える(「高島神社」(岡山市南区宮浦)も見えるという。)。
式内社「安仁神社」についての記事は多く、そのなかで、当神社に言及していることもあるが、実際に現地に行っている人は少ないのではないか。場所が分かりにくいが、是非実物を見てほしいと思う。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=12041


写真上:社殿の後ろの大岩


写真中:「綱掛石」。右下の屋根はミニ祈祷所。


写真下:頂上にも立石。この石の回りにも石が並べられている(環状列石?)。


3.安仁神社

2008-05-23 15:17:32 | Weblog
安仁神社(あにじんじゃ)。
場所:岡山市東区西大寺一宮895。やや交通が不便なので、自動車で行く。県道「岡山牛窓線」で牛窓方面に向かうと、「神崎町」の交差点(「ほんぶしん」という宗教団体の巨大な本部施設がある)を左折してしばらく行き、県道234号に入るが、ここらあたりから案内看板があるので、あまり迷うことはない。広い駐車場もある。
備前国の式内社は21社あるが、名神大社とされたのは当社のみ。このことから、備前国の一宮は当社であるという主張もされている。ただ、諸般の事情を考えれば、一宮はやはり「吉備津彦神社」で、当社は二宮ということになろう。ただ、創建は古く、長らく主祭神不明となっていた。小生の妄想であるが、当社の南東約1kmに「綱掛石神社」がある。ここには神武東征の際に船のとも綱をかけたという岩があり、もちろん伝説にすぎないだろうが、磐座遺跡ではあるらしい。そうすると、本来ここが安仁神社の旧宮だったかもしれない。
神社名の「アニ」の由来については諸説あり、「玄松子」さんのHPでも紹介されている。そのほかでも、例えば志賀剛氏の「式内社の研究(第五巻)」では、アニはハニ(埴土)の転訛であろう、としている(当否は不明。)。ただし、少なくとも「アニ」=「兄」(神武天皇の兄)というのは疑問。現在のように「兄」を「アニ」というのは中世以降で、往古は「え」とか「せ」とかといったはずだからである。個人的には、「阿智使主」説を最有力としたい。近くに「阿智」という地名のほか、織部に関連の深い「服部郷」や「麻御山神社」(国内神名帳所載の古社)があることが傍証。

安仁神社のHP:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/2541/

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/ani_title.htm

2.吉備津彦神社

2008-05-23 14:32:12 | Weblog
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)。
場所:岡山市北区一宮1043。岡山市の主要な観光地の一つであり、行き方の説明は省略。駐車場も広大で、安心。
備前国の一宮とされるが、不思議なことに、いわゆる式内社ではない(備後国の吉備津神社も同じ。)。その理由は諸説あるが、斎藤盛之氏(岡山県出身の方だそうな。)の著書「一宮ノオト」によれば、単なる延喜式のミスで、書き忘れたのだろうという。

吉備津彦神社のHP:http://www.kibitsuhiko.or.jp/

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=07001