【早稲田建築AO入試に合格するための13のステップ➡2:「視覚人間」について】
「視覚人間」について。
この言葉を初めて知ったのは、20世紀の3大建築家の一人である、ル・コルビジェのエッセイだった。彼は自分が「視覚人間」なので、建築家とう非常に社会的制約が多い仕事だけでは、精神的に生きていけないと感じていて、1日の昼までを画家として考え数多くの作品を制作した。つまり、一日を二つの人格でこなしていた。
ビジネス用語で云う”マルチタスク”である。私はレジェとかの世界観と同質に感じるが、そういう全て自由に芸術家=画家として考えることを、人生の第一優先としていた点はとても共感する。
私は32年間を国内外の美大デザイン全科を主に受験生などを指導してきて、2009年事情で閉校したあとは、Web塾・洋々で早稲田建築AO入試空間造形担当講師としてお手伝いさせていただいている。
今回は、テーマの「視覚人間」ということと、建築家つまり空間造形と社会的な制約(各種の建築規制)との関係で、工学的な構造と芸術的表現との融合という点を私なりの考えを書いてみます。
早稲田建築科は「工学的建築」と「芸術的建築」を融合した「総合的芸術建築家」を教育目標にしていて、むかしから、美術能力を考査するために”デッサン” 今は”ドローイング”とそれに関連した美術的作品や空間・建築模型などの造形作品は、自由に自己PR資料の中に入れて自分をアッピールする事が許されていて、昨年からは
理系の学科である、数学や物理などの教科の成績が良くない文系/特に美術に才能がある受験生にも、大きく扉が開かれているのが特筆である。
美には「構造的な美」と「詩的想像的な美」がある事を先回書いたが、その事を20世紀現代建築とそれ以前の特に「創造的想像力のある建築」作品を簡単に述べてみたい。これが一番要求されるのが建築家と言える。今までの我が国の建築は建築免許制度の関係もあるが、ほとんど建築基準法に準じていても外観も総合的な雰囲気もまた、特徴のない構造の建物が無数に創られてきている反省もあるのかも知れない。
私は20世紀建築家の3人である、フランス人コルビジェのコンクリートづくり「ロンシャンの教会」、ドイツ人・ミースファンデルローエの「鉄とガラス」とアメリカ人・フランクロイド・ライトのコンクリートづくり「グッゲンハイム美術館」をそれらの2つの美という点であげてみたい。
コルビジェはコンクリートという可塑性の材料で主に直線的な構造と、モヂューロという黄金比~ダビンチの人体比例からの、さまざまな人体の部位からの矩形比率を割り出し、それを黄金比に落とし込み体系化して国際特許を取得し、キューリー婦人のようにそれを自分自身への富の形成には向かわずに公開特許とした。
その「ロンシャンの教会」はほとんどの直線構成と構造を持つ都市での建築群とは異なっていて、とても暖かみのある、自由なのびのびとした美的自由さを感じる。機能的には教会であるが外部空間と内部空間の境界がなく彫刻的であり有機的な造形だと感じる。
シカゴのミースファンデルローエはドイツバウハウスの学長に当時のヒットラーの美大の介入に嫌気がさしてアメリカに渡ってイリノイ工科大学建築科主任教授になったが、特徴である「鉄とガラス」の建築は、「ガラスを人体の皮膚にたとえ-明るい壁」とした。自身が述べている欧州の建築の歴史である、”石の積み立て構造”か
らくる、内部空間の暗さと重さを嫌い細い鉄とガラスの融合によりそこからの開放を成し遂げた。
むろんアメリカのニューヨークやシカゴにみる20世紀建築の高層化構造を可能にし温度差の空調化は、それに伴い発達したが最初の構想ビルを発表したのは1936年であり、この時は高層化構造や空調化はまだ表れ完成されてはいなかった。つまり、建築家の頭のなかの想像図といえる。
フランクロイドライトのコンクリートづくり「グッゲンハイム美術館」もまたNYのランドマーク的な構造といえるが完成までに約20年も費やしている。ライトは石、木材、ガラスなどで、細部にわたり美術工芸のような
室内インテリアや家具、什器をオリジナルで設計したことで知られる。
これは有名なシドニーの有名なコンクリートづくり建築”オペラハウス”でも同様に長い期間が費やされている。これは現代のようにコンピューターによる構造解析がまだない時代でもあり、大きな複雑な曲面を巨大な質量のあるコンクリートで作成するのだから、巨大な彫刻を創るのと同様に非常に難易度の高い工事であった事が分かる。
私はイラン人女性建築家のザハ・ハデイットは、初期のロシア・アバンギャルド的な世界観から、後の自在な女性的感性をいかした独自の建築的世界観を構築したが、これなどはフランクロイドライトの「グッゲンハイム美術館」系における曲面構造の、「構造的な美」と「詩的想像的な美」融合した「創造的想像力のある建築」作品と
いえる。
つまり、「視覚」で感覚的にとらえて自分の内面的な感性や価値観を、絵にしてそれを具体的な超大形の空間造形的な建築作品に落とし込んでいると言える。これはアメリカの86才の建築家フランクゲイリーや昨年103才で他界したブラジルの偉大な建築家”オスカー・ニーマイヤー”などにもみられる。
画家ではシュールリアリストであった、キースラーの建築ドローイング”繭の家などにも自由さが共通している、
私は、世の中2つの考え方の人間がいて、理屈や論理で全てをとらえている人と、絵や音などのイメージで感覚的に物事をとらえている少数の人間がいると思う。これは我が国では「理系」と「文系」にわけて、現在の政権では生産性や国益になる「理系」を優先し、個人や家族などの幸せよりも社会すなわち、日本全体株式会社を更に推し進めよとしているように見える。海外で言われる”年金社会主義の国”で同質の価値観を最大優先化する….
しかしこの失われた20年という経済的側面をみても、経済、金融、社会インフラにおけるITなどでは圧倒的にアメリカに遅れてきたことは、この我が国では「理系」と「文系」だけではもはやダメで自由な発送を持つ、第3の我が国独自の「アート・クリエイテイブ系」が次のチエンジリーダーとして、前提として求められいると痛切に以前から感じている。