「音のないコンサート」
1985年12月シカゴのクリスマスコンサート」
それはある日、とつぜんにわたしの身に起こった世にも不思議な出来事だった…….
私はその時35才であり、自宅のちいさな絵画塾から美術大学受験生の増加で、イタリアで建築を学んだ友人の設計の新しいRCの打ちっ放しの3階建物で、個人事業から法人化し新しいスタートを初めていた時だった..そしてある機会を得て、1985年の12月に成田発のNorthe West Chicago 4で生まれた初めての
シカゴにある、アート・インステイチュート(シカゴ美術館付属・美術大学)卒業生ではウオルト・デイズニー、ジョージア・オキーフ、ヒュー・フェフナー、ロバート・インディアナ、オーソン・ウエルズ、クレス・オルデンバーグ、ジェフ・クーンズなどのアーテイストやデザインの専門学校への視察の旅に出かけた.
そしてその奇跡の出来事はわたしに突然に起こった。
シカゴ美術館付属(芸術大学)シカゴアートインステイツーとレイボーグ・アートスクールなどの責任者と学内の環境やシステム説明などを受ける旅であった。しかし時は、クリスマスシーズンであり、イリノイ州の最大の都市である。共和党の最高顧問でありプライベートではリンカーン研究家でも有名なラルフ・ニューマン氏の個人宅(クレーの絵画をコレクションしていた)で、
政治あるいはシカゴの経済界で超富裕層のユダヤ系の方々の、ごく内輪のプライベートの自宅のパーテイに何も知らずになぜか参加していた……
時はレーガン政権でありナンシー夫人などが話題であり、そのパーテイでもレーガン氏から電話があった….アメリカの政治がどこで実際に動いている、第3の扉の中でのできごとだった。
その後日ではジョンハンコックセンターの150階の天空の超高級レストランでもまた、見たことも無い光景が… わたしは生まれて初めて行き先階行きのボタンもエレベータの中でも階別表示がない、超高層での厳重な武装した警備
員がいる2段階、厳重な警備員がガードする、一般の人が入れないシステムの乗り換えを経由して天空の超高級の総ガラスバリの美しい夜景が見えるレストランに到着した。レストランに行く1階ロビーでは、プレーボーイ創業者で
大富豪のヒュー・ヘフナーと私がいたグループとは同じインナー・サークルのグループらしく出会い少し立ち話をしていた。最上階のレストランで、成功者であるユダヤ人実業家グループの人たちからは、シカゴフィルで光との奇跡の
遭遇体験は、そこに参加した人たちから「実に羨ましい体験をしたなあ!」と何度も何度も同じことを聞かれてそのたびに羨ましがられた。自分たちもそういう体験を死ぬ魔dえ一度したいものだなあ、と、
そしてついに、それは1985年の12月のシカゴシンフォニックホールで定例の、ショルウテイ指揮シカゴフィルの主要メンバーの、クリスマスコンサートで、生まれて初めて「奇跡の神秘体験」をするとは夢にも考えていなかった。
それは シカゴフィルのパトロンしか手に入れることが出来ない、歴史が在るシカゴオーケストラホールのVIPボックスシート特別チケットだった。出入り口とエレペーターも一般席の入場入り口とはまったく異なる側面入り口から、
周りの女性は品のよい年配上流階級のミンクのコートとゴージャスなドレスで、エスコート役の男性は黒のタキシードにシルクのシャツという出で立ちのまるで黄金期の映画でもみているような品の良い上流階級の人々が揃っていた。
その信じられないような、巡るめく異次元に引き込まれた非日常体験は言菜で語るにはとても難しい体験であった。ギャングの街とアメリカの一地方オーケストラを世界的な存在にした、偉大な音楽史に残る指揮者の衝撃な世界との出会いにしては、今から考えても説明が出来ない不思謡な体験だった。
「コンサートなのに音が…..聞こえない!」……….
"はじめにショルウテイが紹介されてから、私は自分の目がどうかしたのか?
それも音が聞こえないのも自分の耳がどうかしたのか? しかも2階ボックスシートにいるはずの隣の人達も見えない。しかし私には荘厳でまぶしいほどの光り輝く、この世のものと思われない壮大な深い慈愛感情と幸福で平安な感情を感じさせるものに抱かれていた。
その世界には音もなく、一切の言葉もなく壮大なギラギラと光るエネルギーの源の中に自分が存在していた….
私は自分が包み込まれた、3次元的な定位感もない世界で、デッサンをする時のように、とにかく冷静に全神経を集中して細部とその存在全体を冷静に観察した。それはあたかも生命体のように呼吸している。その圧倒的なギラギラ光る周りには輝く“光輪のような”赤と青、そして黄色という線状の色彩の光輪の輪郭が見えそれが光輝いてる。 光全体の白い輝きと共に不規則に輝きながら
連動していた….
それからその“ぎらぎらと光る生きている無限の存在”は……………
そのクリスマスコンサートの間中に、私の心に語りかけたのである….細かい記憶は残っていないが、たぶんわたしの潜在意識にはそのメッセージが刻み込まれているように感じた。その広大無限な圧倒的な生命エネルギーの源である存在を感じた。ぎらぎらと光り生きている………広人な生命エネルギーの存在は無限であり、宇宙意識のように感じその存在が私に同じ言葉を伝えていた。
「全ては慈愛であり、それがすベて…」その無限の宇宙意識はただその事を静寂な無音の世界で私に語りかけていた。
自分がおかしく なっ たのかと思ったが、手と足は自分の意思で勁く、そうではない事を自分で冷静に確認していた。
わたしは周囲を見渡したが、隣の席の人も誰の姿も見えない。自分の場所も認識できない…… わたしはその不滅のような無限生命のような壮大な、創造神のような壮大な「光のエネルギー」存在に全神経を集中した。
その光から発するマージナルな境界に動く赤と青と黄色の不定形の筋のような、光彩のような光輪のような、美しい色彩の不定形に輝く線が、呼吸をしている。不滅の生命感で動いているその光景は、絵で再現することができないほどの超越した存在の、宇宙の源であり、意識とでも感じる無限の生命エネルギーである“光”そのものが存在している不思議ななんと説明してよいか?
難しい生まれて経験した想像を絶するはじめて遭遇した神秘的な心ときめく世界だった。それからどのくらい時間が経過したのか?時間と自分の場という、定位感覚といういう客観的な認識感覚はもはやなくすべてが消滅していた…
そのすべての感覚から遥かにかけ離れた、超越した次元の、異なる位相と時間も無い世界が、そこにはしっかりと存在しそれを自分が体験していたという事実と経験は実在していた。それは事実だった。わたしに起きた出来事は全く客観的に説明ができない。わたしは普通の日本人として儒教、神道、仏教などが
適当に入り乱れて存在している国で育ち、それまでは宗教観という認識も概念として書籍では学んできて、美大入学後の七〇年安保紛争でバリケードの中の授業をはじめ、外部ゼミなどの日常の中で、マルクス主義関連の書籍を読んだ
が、自分が属し探求している美術という極めて個人主義的な価値観とは、政治や哲学は概念的には論理構造的で政治的な世界観は頭で理解できても、個人的な価値観とは附に落ちない世界で相容れないものだった。また、宗教という世界も概念的なものとして自分の意識中では位置していた。
そういうことが事前にあったが、それが理由かはわからないが、演奏終演後に再び ショルウテイが舞台でお辞儀をしている。また顔が見えない。最初の場面と同じだったが、楽団貝と共に観客のスタンディングオベーションと万雷の拍手の音が聞こえた。ついに現実の世界へと意識が戻った。
この特別な私に実際におこった出来事であり神秘的なエピソード体験は、その特別の神、あるいは宇宙の無限の叡智である意識から啓示を私がもらい、それを人生で実践しなさいといういう風に、私は受け止めた。それはわたしの中で予期せぬ出来事であり、革命( Revolution,)であり、啓示(revelation)それまで出会ったことの最大の衝撃であった。
聖書の冒頭にある創世記1:3「神は言われた。光あれ」という記述は本当に事実だということが本当に理解できそれは附に落ちた瞬間だった。
それは事実だということを、わたしはクリスチャンではないし、ジャンヌ・ダルクが遭遇したイエス・キリストの姿は見ていないが、その壮大な宇宙の叡智の存在は、まさしく神という創造神が実際に在るという、西欧の宗教的価値
観を直に理解した瞬間だった。「宇宙一元論」というと変な考えと思われるが、その体験はそういうことを啓示していた。 神秘体験と言うのは人の人生にそう何度も有ることではないが、私には心にのこる大きなできごとがいくつかある。
そう多くはないと思うが、曖昧なぽんやりした体験ではないので、実際に見て経験 したことはそう そう忘れることは一生忘れることができない。 わたしの身に起こったこの出来事は、心の奥深く潜在意誤に深く刻まれた.理屈では説明できないが、それが現実に起こったことである。
それは、その後に自分が1977年に設立した32年間でのアートスクールでの美大受験生や社会人、あるいは子供コースを指導をする上で自分の「ミッションや使命や価値観」の礎になっていると感じてきた。さまざまな事情で2009年でアートスクールを閉校してから、知り合いの塾や自分で早稲田建築AO入
試で空間造形表現スキルを10年コーチングしてきたので、もう40年も国内外のデザイン全科の美大受験や一般大学工学部建築AO入試などの空間表現のデッサンや立体造形や建築模型や、自己PR資料やポートフォリオ制作とプレゼンとパフォーマンスにおけるストーリーテリングなどを指導している。
20代での自分が本当にやりたいことを探す旅の中で、自身のアイデンテイテイを構築しながら歩んだ時間と習慣は、その後の30代はその習慣を基盤に自分を自己発展させる時間と旅の中で、ほとんどの上手く行かず失敗の連続だった
が自分がなにかに挑戦して行動した結果から得られることだから、失敗もまた成功への大事なものを含んでいると感じる。20代でも30代でも、40代、50代でも新しいことに挑戦しては失敗しノックアウトされたが、しかしそこ
から何度倒されても立ち上がれば、その大きな存在は後で答えてくれた。その「失敗から学ぶ経験は何よりも得難い[精神的資産]という利益が後で含まれているのがわかる。その経験は人生から本当に学ぶことができ、自分を成長させた。
まるでコインの裏表のように感じる。つまり同じものなのだということであり、また再び立ち上がり前に向かって進むという自分が選んだ好きな分野で自分の強みを磨くことで、また新たな扉が開き道が開かれ新たな運命が作られるように感じる。
何もしない、守るだけの同じ事の連続した退屈な時間は選びたくなかった。たくさんの失敗は自分を内面的に成長させる。この不思議な体験のあと長男が誕生した、そこに自らが選んだ原因があり結果がある。その、一番愛する息子は今はこの世にいないが、自分は大きな存在に生かされていると
いう感覚がいつも感じる。あーとやデザインで才能あふれ社会に貢献しながら、自身のアイデンテテイをもち、素晴らしいレガシーを残し、本気で生きているパワフルな尊敬する数人の級友たち、そして国内外で優れた仕事をしている数多くの教え子達がいることは、日々自分が恵まれ幸せを感じている。
➡アメリカの書籍を色々読んだが、自己啓発やビジネス書関連で同じような光の体験の記述は、クラウド・ブリストルの「信念の魔術」、マイケルガーバーの起業家への名著「EMyth神話」、R・M・バック博士の「宇宙意識」などにも同じような体験の記述が書かれているが、キリスト教圏でもまれな体験のようです。
高 橋 順 一
Design and Copyright ©️ Junichi Takahashi 1977~2020