早稲田建築AO入試 空間造形力エキスパートコーチ 高橋順一の日記:合格最短の秘密


国内外美大デザイン受験指導32年約1000名累計合格率89.9%
/早稲田建築AO他10年指導コーチング

“ 美大入試におけるデッサン(描写)力と、早稲田大学建築AO入試のドローイング”のちがいとは?”

2017-02-15 16:45:09 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

美大入試におけるデッサン(描写)力と、早稲田大学建築AO入試のドローイング”のちがいとは?”

 

美大入試におけるデッサン(専攻で異なるが、客観的描写と想定描写)は、もちろん美術の専門家になる為の実技入試であり、

音楽大学のピアノの相当するもので、それとは別にさまざまな専攻により色彩に関する実技があり立体や空間に関する実技試験(科により異なるが、だいたい5~6時間から3時間など行われる)と学科試験がある。

 

早稲田大学などの工学系建築などのAO入試などの、デッサンはドローイングであり

どちらかと言うと、アイデアドローイングが求められる。うまさではなく、出題された文章題を自分なりに読解し、その解決提案やイメージやアイデアを絵で描くと

 

いうことであり、前提が異なるが建築科なのでもちろん、外部空間や内部空間が正確に描けるか?という事と、それに伴う絵画の基本である遠近法の理解が必要であり、それらを建築科AO入試という選択を自ら選ぶ以上、自己PR資料や個人と集団

 

面接には、建築模型を制作して持参する事が必要である。入試要項には特に必要はないとあるが、私は38年を美大デザイン全科と建築科を指導して来た経験から、これを額面上そのまま受け入れはならないと言える。相手側がどれだけの手間と時間

 

と労力を費やしているのかを認識すべきであり、明日の日本建築や世界建築の競争世界で秀でた才能を早い時期で発見し、大学で専門教育をする上で早稲田建築AO入試での自己PR資料における、自分の未来を建築家としての夢を表現するアート系作品や建築模型を含むものが、相手側の視点に立つ事で必要であると私は確信している。

 

冒頭で私が今まで指導してきた事をインフォグラフィックスに分析し図解したものを参考にあげておく。美術という専門分野の入試なので、どうしても専門技術の錬磨が必要であり、我が国のどこの芸大や美大受験予備校でも、高校1~2年からスタートし、3年生では毎日のデッサンや純粋美術系とデザイン系の方向に分かれる。

 

高校の授業後に通い午後9時まで、春、夏、冬休みがあり、大手予備校などは公開模試や直前講習なども行われる。大学のオープンキャンパスや入試説明会が夏に多くが開催されるので、地方生も具体的に美大の中の様子や、入試などの説明会では

 

入試作品の展示や、教員による面談もある。また、美大側も少子化で全国の予備校に出張説明会なども行われている。各美大も設備をはじめ、教員、シラバス(描く専攻科の授業説明詳細集)なども子細にわたり用意している。これからは、美大も

 

また国内だけではなく海外大学とも比較競合する時代が、すでに20年前から始まり理念、教育方針、就職をはじめとした現役生だけではなく、卒業生などの活躍など特徴をアッピールした長・中期戦略やビジョンに即したマーケテイング戦力が必要であるのは言うまでもない。

 

私も自分が創立し32年開校したアートスクール時代に、アメリカのシカゴ美術大学やNYパーソンズ大学の副学長をはじめ、英国の国立大学の3年次教授の来校や、中国の大学へ私が留学指導した学生の様子を見に視察旅行に行ったり、さまざまな国に留学生を送っている。

 


「美には2つある、”構造的な想像力の美”と”詩的想像力の美”」

2017-02-15 16:40:26 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

「美には2つある、構造的な想像力の美”と”詩的想像力の美”」

 

こういうとあれなのだが、月を見てそこへロケットで人間を送り未知の世界を徹底的に探検して征服して調べ尽くすことで、次の目標へと進む世界観と、そこにうさぎやあるいは中秋の名月には、庭園の池に写る月を眺め歌を詠むという世界観は

 

とても異なるが、どちらも異なるロマンを感じる。20世紀建築におけるフランクロイドライトの落水莊やグッゲンハイム美術館の曲面と天井からの自然光や、コルビジェのロンシャンの教会もともに有機的であり彫刻的であり、ミースファンデルローエのコートハウスの完成イメージにおける、ギリシャ彫刻のニケ像など….

 

ライトは熱心な日本画のコレクターであり、おおいなる音楽愛好家でもあった。

旧帝国ホテルの依頼を受けて調査のために来日した時のくだりに、京都の老舗の旅館の周り回廊の離れにある、檜の風呂に入った時に窓を開けたら、そこに見事な月

 

が夜空に浮かんでいる絵画の様子に、心底感動し日本画持ついにしえの頃からの価値観である伝統建築における、木と紙と土という簡素な建築素材に秘めた永劫の美学を

学んだとあるエッセイに書いてあった。だからライトの建築の完成ドローイングは

 

ひときわその画面の比例も又、縦長であり、横長であり美しい背景の雲の配置と

植栽などと建築が一つに調和し、Birds Eyeという日本古来の俯瞰図の手法が

取り入れられて美しい水彩と多色の色鉛筆で美しく完成のイメージがみずからの手

 

で描かれているのは、ミケランジェロと同じように自身の手でイメージを細部と全体を想定したのだろう。彼はみずからの工房である、砂漠のような荒野の中のタリアセンと名付けた大きなアトリエで、世界からきた若い弟子達と音楽を常に流し自分たちでも演奏して自身の建築へのインスピレーションとした.

 

 

 

自分たちでも演奏して自身の建築へのインスピレーションとした。


”将来は世界で活躍する国際的な建築家のなりたいと考えている人へ”

2017-02-14 08:45:05 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

”将来は世界で活躍する国際的な建築家のなりたいと考えている人へ”

 

具体的にはやはり大学の建築科で体系的に学ぶのが近道で、だいたい我が国の場合は、総合大学工学部系や芸大、美大などの芸術系の建築科などに進学して、学部内で二級建築免許を取得し、卒業後にゼネコンや建築事務所などで3年ほどして一級

 

試験を受験するというかたちが主ですが、世界的な建築家の安藤忠雄さんは高校卒業後からボクサーや独学で建築を苦労して学び今のキャリアを築きました。代々木のオリンピック競技場で有名になったザハ・ハデッドは、イランで学んでからロンドンの有名なAAスクール大学院建築で学んでます。

 

早稲田は私立大学で106年という我が国最古の歴史があり、我が国建築界を二分する東大建築と双璧と言われ、昔から美術実技試験でデッサンが行われる極めて難易度の高い大学です。

 

高校生で受験するかたちではAO入試を希望するのが当然であり、一般入試よりも早くクリスマスまでに合皮が決まるので、家族もまた嬉しい新年を迎えることができます。ただし、定員が15名位なので昔の国立1期校かそれ以上の難易度がありま

 

すので、やはりできるだけ3年生より早い時期から準備して実力を養う事が望まれます。今回は、受験生が持つ一番の悩みとそれに対する解答を図式化して見ましたので、ご覧ください。

 

質問で多いのは……. 

あなたはもしかしたら、こういう問題を持っていないだろうか?

 

    ➡ 何を描けばいいか分からない....

    ➡ そもそもデッサンとは何かが分からない....

    ➡ 早稲田建築AO入試で求められる技量が

      分からない....

    ➡ 自己PR資料に何を提出すればいいかが分からない...
    ➡ 建築の模型を作るにしても、何で、どうやって、ど

      のようなものを作ればよいか分からない............

答え:上記図表

 

 

➡私は横浜でアートスクールを1977年から2009年まで開校して、その後、

Web塾洋々(株)で早稲田建築AO入試空間造形コーチや横浜国大の建築実技

立体構成などを教えそのほか、コーチングやコンサルタントとして、また関連

教材販売をしています。ここにアマゾンで現在発売している(現在3版改訂中)

kindle版も記載しておきます。


美術史の天才たちはどういう構図法を使っていたのか?

2017-02-13 13:13:42 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

美術史に残る天才たちはどういう構図法を使っていたのか?

これは、美大受験のデザイン系に限らず想定描写、グラフィックや立体デザイン系などの実技試験や横浜国大建築などの立体造形入試や早稲田建築AO入試における、自己作品集(ポートフォリオ)に入れる建築模型作品をはじめ、三年次編入試験や大学院、海外大学の留学生の自己作品集(ポートフォリオ)あるいは、

学部を卒業して国内外の大手上場会社やデザイン会社のクリエイテイブ系におけるデザイナーなどの就職試験や、将来の自分の制作した作品にまで続く大きな問題と言えます。

まず、過去の偉大な天才達はただの勘だけではなく、実践的で古代ギリシャから伝わる秘密の構図法をメンターあるいは師匠から学んでいた事です。西洋絵画に見る無数の人々が入り乱れる

群像などを見ると、それらを全て勘ではとてもできません。無論、東洋もまたさまざまな構図法がありますが、空間のとらえ方が極めてことなります。西洋の絵画は実際と同じような奥行きと光りや色彩を、平面で極めて論理的かつ科学的な理論で再現することで、一つの仮想空間を構築したとも言えます。

建築が総合芸術と言われるのは、ダビンチもまた建築の事をさまざまに研究し図面や完成予想図などを素描で残しています。

今回は、わかり易い例で世界的に有名なバチカンのミケランジェロの”システイナ礼拝堂・天井画と周囲の壁画”を例にして説明します。一番難しいのは天井が曲がっているためにミケランジェロは、現在のようなチューブ入りの油絵具などない時代で、しかも照明もろうそくで漆喰

の下地にテンペラ技法で顔料と卵の卵黄と酢を使い、下地が乾かない内にテンペラ絵の具を塗るという、一日にごくわずかの面積を夜間に制作する苦難の大作に挑んだ作品です。それも全体の物語は聖書で、しかもその場面、場面はことなり、絵画にする構図化する事の難しさは想

像を絶するものがあったと思います。しかしその構図法は古代からの秘密を踏まえた見事なもので、真下から天井を見るとその中心に、ゼウスとアダムの指と指が向かい合い天地創造の最初があり全体の構図の起点になっています。シンメトリック(左右対象系/ギリシャ建築に見

られる)であり、かつ全体のダイナミックな動勢はやはり、彫刻家特有の構造性と同感が随所に見られます。後生のルーベンスなどにもみられ、レンブラントやそれから遙か時代を超えて

ミロなどの抽象的な画家の作品の黄色の下地にも作図線が見られます。添付したアメリカの優れた風景画家のパリッシュや、幻想的でロマンチックで有名なイラストレション作家で、パリッシュの残した下絵にもその構図線があります。実際にある場面をそのまま描いたのではなく、やはり自分で内面的価値観のオイメージングがなされています。

これらの左右対象系の構図や構成ではなく、非対称系がまた動的な構成を平面でも立体でも、私は応用して、美大入試や早稲田建築AO入試で、建築模型制作に応用し受験生に実際に入試でも、本番のわずかな時間で構成してできるように教えて、ずいぶんと美大側の参考作品に採用してもらいました。

 

 

 

 

 


美大デザイン科受験や早稲田建築AO入試を考えている人へ......アドバイス

2017-02-12 13:41:19 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

美大デザイン科受験や早稲田建築AO入試を考えている人へ......アドバイス

 

これから自分の将来を決める時に、現在高校2年生やあるいは3年生、もしくは受験して

志望校ほか合格しないで、苦しんでいる浪人生のかたへ、

受験生が一番悩むことは、学科力だとある程度予測がつきますが(受験専門のトレーナがいて

傾向と対策でやれば、それだけ効果が出ます)しかし、美術やデザインの場合は過去問の傾向と対策だけでは、100点は取れません。なぜか、それは過去にすでにある解答を記憶して、再現するという手法そのものが、すでに陳腐であり専門家の間ではもはや唾棄すべきものだからです。

アートはものまねではなく、自分の心の中にある理想へのかたちや、ある想いや言葉ではどうしても表現できない領域であり、感じや、そのアーテイストのスピリチュアルな想いをかたちにする事であり、新たな魂の経験でもあるのです。むろん、大学受験ですので専門的似必要な基本的な表現

技術も必要であり、厳しい自己管理能力である目的へ達成のための、集中力や忍耐力、あるいは

時間や目的達成のための自己管理能力も必要です。

 

しかし、一つのわかり易い図式化をすると、早稲田建築AO入試や他の建築工学系大学の入試で

空間造形表現能力を考査される大学であれば、要求水準はさまざまですが基本的な事は

デッサン能力(自分の考えを絵を表現できる能力)と、立体造形や建築模型などの能力を

事前に知りたいと考えていることは確かです。


 






エピソードその2:奇跡の”音のないコンサート/創造神との遭遇”の話….再考 

2017-02-12 12:56:20 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

エピロードその2:奇跡の“音のないコンサート/創造神との遭遇”の話……再考

 

 

私はその時35才であり、自宅のちいさな絵画塾から偉大受験生の増加で

新しいRCの打ちっ放しの3階建物で新しいスタートを初めていた時だった..

そしてある機会を得て1985年の12月に、成田発のNorthewest Chicago 4で

 

シカゴの美術大学やデザインの専門学校への視察の旅に出かけたのである。

そしてその奇跡は私一人に起こったのである。シカゴ美術館付属(芸術大学)

シカゴアートインステイツーとレイボーグアートスクールなどの責任者と

学内の環境やシステム説明などを受ける旅であった。

 

しかし時は、クリスマスシーズンであり、イリノイ州の最大の都市である。

ミシガン湖からの吹き下ろしの風はトンでもなく寒いのである。

 

共和党の重要なロビイストの人の個人宅や政治あるいは

シカゴの経済界の重鎮などとのプライベートの会合に参加していた。時は

レーガン政権でありナンシー夫人などが話題であった….

 

連日のジョンハンコックセンター100階の

レストランでもまた…

 

そしてそれは1985年の12月のシカゴシンフォニックフォールで定例の

ショルウテイ指揮の、シカゴフィルのクリ スマスコンサトでの、幸運に

恵まれた。それは シカゴフィルの主要パトロンしか手に入れることが

出来ないVIPボックスシートで聴ける特別チケットであった。

 

出入り口とエレペーターも一般席の入場入り口とは異な り、周りは品のよい

上流階級のミンクのコートと、エスコート役の男性は焦のタキシードに

シルクのシャツという出で立ちの人々であった。

 

その信じられない巡るめく異次元に引き込まれた体験は言菜で語るには

 

とても難しい体験であった。ギャングの街とアメ リカの一地方オーケストラを

世界的な存在にした作大な指揮者の衝撃な世界との出会いにしては、今から

考えても説明が出来ない不思謡な体験であった。

 

「コンサートなのに音が闘こえないのである,

 

" はじめにショルウテイが紹介さてから、私は自分の目がどうかしたのか?

それも音が聞こえないのも自分の耳がどうかしたのか?

周りの人々はみんな聞き入っているし私には 見えるにはまぶしい

ほどのこの世のものと思われない壮大で荘厳な光が動いている姿でがなんと眼の前に

光り輝いている…音もなく、一切の言葉もなく….

 

私はそれをデッサンをする時のように、細部と全体を冷静に観察した。

それはあたかも生命体のように呼吸しているではないか、その周りには輝く

後輪のような赤と青、そして黄色という色彩線状の輪郭が見えて その色彩が

光全体の輝きとと共に連動しているではないか, それからそのぎららと

光るいる存在は、私の心に語りかけたのである….

 

存在を感じた。ぎららと光るいる………広人な生命エネルギーの存在は

無限であり、宇宙意識のように感じた。その存在が私に同じ言葉を伝えて

いるのである。「全ては慈愛であり、それがすベてである…」

 

無限の宇宙意識はただその事を私に語りかけていたのである。

 

 

瞬、自分がおかくなったのったが、足は自分の意思で

勁くのでそうはないことが確。それからどのくらい時間が

経過したのか?全くわからないが演奏終演後に再び ショルウテイが孵台で

 

お辞儀をしているショルーテイと楽団貝と共に観客の万雷の拍手の音

共に意識が戻ったのである。これはその特別の啓示を私がもらいそれを

実践しなさいといういう風に私は受け止めたのである。

 

 神秘体験と言うのは人の人生にそう何度もあることではないが、私には

心にのこるできごとがたくさんある。

 

 そう多くはないと思うが、曖昧なぽんやり した体験ではないので、

実際に見て経験 したことはそう そう忘れることできない。 

潜在意誤にとても深く焼き付けたのであった。

 

それは、その後のアートスクールの美大受験生や社会人、あるいは

子供コースを指導する上で自分の「使命や価値観」の礎になっている。

 

 

 


エピソード:音のないコンサート”神との遭遇〜シカゴでの体験

2017-02-11 16:07:31 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

エピロードその2:奇跡の“音のないコンサート/創造神との遭遇”の話……再考

 

 

私はその時35才であり、自宅のちいさな絵画塾から偉大受験生の増加で

新しいRCの打ちっ放しの3階建物で新しいスタートを初めていた時だった..

そしてある機会を得て1985年の12月に、成田発のNorthewest Chicago 4で

 

シカゴの美術大学やデザインの専門学校への視察の旅に出かけたのである。

そしてその奇跡は私一人に起こったのである。シカゴ美術館付属(芸術大学)

シカゴアートインステイツーとレイボーグアートスクールなどの責任者と

学内の環境やシステム説明などを受ける旅であった。

 

しかし時は、クリスマスシーズンであり、イリノイ州の最大の都市である。

ミシガン湖からの吹き下ろしの風はトンでもなく寒いのである。

 

共和党の重要なロビイストの人の個人宅や政治あるいは

シカゴの経済界の重鎮などとのプライベートの会合に参加していた。時は

レーガン政権でありナンシー夫人などが話題であった….

 

連日のジョンハンコックセンター100階の

レストランでもまた…

 

そしてそれは1985年の12月のシカゴシンフォニックフォールで定例の

ショルウテイ指揮の、シカゴフィルのクリ スマスコンサトでの、幸運に

恵まれた。それは シカゴフィルの主要パトロンしか手に入れることが

出来ないVIPボックスシートで聴ける特別チケットであった。

 

出入り口とエレペーターも一般席の入場入り口とは異な り、周りは品のよい

上流階級のミンクのコートと、エスコート役の男性は焦のタキシードに

シルクのシャツという出で立ちの人々であった。

 

その信じられない巡るめく異次元に引き込まれた体験は言菜で語るには

 

とても難しい体験であった。ギャングの街とアメ リカの一地方オーケストラを

世界的な存在にした作大な指揮者の衝撃な世界との出会いにしては、今から

考えても説明が出来ない不思謡な体験であった。

 

「コンサートなのに音が闘こえないのである,

 

" はじめにショルウテイが紹介さてから、私は自分の目がどうかしたのか?

それも音が聞こえないのも自分の耳がどうかしたのか?

周りの人々はみんな聞き入っているし私には 見えるにはまぶしい

ほどのこの世のものと思われない壮大で荘厳な光が動いている姿でがなんと眼の前に

光り輝いている…音もなく、一切の言葉もなく….

 

私はそれをデッサンをする時のように、細部と全体を冷静に観察した。

それはあたかも生命体のように呼吸しているではないか、その周りには輝く

後輪のような赤と青、そして黄色という色彩線状の輪郭が見えて その色彩が

光全体の輝きとと共に連動しているではないか, それからそのぎららと

光るいる存在は、私の心に語りかけたのである….

 

存在を感じた。ぎららと光るいる………広人な生命エネルギーの存在は

無限であり、宇宙意識のように感じた。その存在が私に同じ言葉を伝えて

いるのである。「全ては慈愛であり、それがすベてである…」

 

無限の宇宙意識はただその事を私に語りかけていたのである。

 

 

瞬、自分がおかくなったのったが、足は自分の意思で

勁くのでそうはないことが確。それからどのくらい時間が

経過したのか?全くわからないが演奏終演後に再び ショルウテイが孵台で

 

お辞儀をしているショルーテイと楽団貝と共に観客の万雷の拍手の音

共に意識が戻ったのである。これはその特別の啓示を私がもらいそれを

実践しなさいといういう風に私は受け止めたのである。

 

 神秘体験と言うのは人の人生にそう何度もあることではないが、私には

心にのこるできごとがたくさんある。

 

 そう多くはないと思うが、曖昧なぽんやり した体験ではないので、

実際に見て経験 したことはそう そう忘れることできない。 

潜在意誤にとても深く焼き付けたのであった。

 

それは、その後のアートスクールの美大受験生や社会人、あるいは

子供コースを指導する上で自分の「使命や価値観」の礎になっている。

 

 

 


エピソード:音のないコンサート”神との遭遇〜シカゴでの体験

2017-02-11 16:07:31 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

エピロードその2:奇跡の“音のないコンサート/創造神との遭遇”の話……再考

 

 

私はその時35才であり、自宅のちいさな絵画塾から偉大受験生の増加で

新しいRCの打ちっ放しの3階建物で新しいスタートを初めていた時だった..

そしてある機会を得て1985年の12月に、成田発のNorthewest Chicago 4で

 

シカゴの美術大学やデザインの専門学校への視察の旅に出かけたのである。

そしてその奇跡は私一人に起こったのである。シカゴ美術館付属(芸術大学)

シカゴアートインステイツーとレイボーグアートスクールなどの責任者と

学内の環境やシステム説明などを受ける旅であった。

 

しかし時は、クリスマスシーズンであり、イリノイ州の最大の都市である。

ミシガン湖からの吹き下ろしの風はトンでもなく寒いのである。

 

共和党の重要なロビイストの人の個人宅や政治あるいは

シカゴの経済界の重鎮などとのプライベートの会合に参加していた。時は

レーガン政権でありナンシー夫人などが話題であった….

 

連日のジョンハンコックセンター100階の

レストランでもまた…

 

そしてそれは1985年の12月のシカゴシンフォニックフォールで定例の

ショルウテイ指揮の、シカゴフィルのクリ スマスコンサトでの、幸運に

恵まれた。それは シカゴフィルの主要パトロンしか手に入れることが

出来ないVIPボックスシートで聴ける特別チケットであった。

 

出入り口とエレペーターも一般席の入場入り口とは異な り、周りは品のよい

上流階級のミンクのコートと、エスコート役の男性は焦のタキシードに

シルクのシャツという出で立ちの人々であった。

 

その信じられない巡るめく異次元に引き込まれた体験は言菜で語るには

 

とても難しい体験であった。ギャングの街とアメ リカの一地方オーケストラを

世界的な存在にした作大な指揮者の衝撃な世界との出会いにしては、今から

考えても説明が出来ない不思謡な体験であった。

 

「コンサートなのに音が闘こえないのである,

 

" はじめにショルウテイが紹介さてから、私は自分の目がどうかしたのか?

それも音が聞こえないのも自分の耳がどうかしたのか?

周りの人々はみんな聞き入っているし私には 見えるにはまぶしい

ほどのこの世のものと思われない壮大で荘厳な光が動いている姿でがなんと眼の前に

光り輝いている…音もなく、一切の言葉もなく….

 

私はそれをデッサンをする時のように、細部と全体を冷静に観察した。

それはあたかも生命体のように呼吸しているではないか、その周りには輝く

後輪のような赤と青、そして黄色という色彩線状の輪郭が見えて その色彩が

光全体の輝きとと共に連動しているではないか, それからそのぎららと

光るいる存在は、私の心に語りかけたのである….

 

存在を感じた。ぎららと光るいる………広人な生命エネルギーの存在は

無限であり、宇宙意識のように感じた。その存在が私に同じ言葉を伝えて

いるのである。「全ては慈愛であり、それがすベてである…」

 

無限の宇宙意識はただその事を私に語りかけていたのである。

 

 

瞬、自分がおかくなったのったが、足は自分の意思で

勁くのでそうはないことが確。それからどのくらい時間が

経過したのか?全くわからないが演奏終演後に再び ショルウテイが孵台で

 

お辞儀をしているショルーテイと楽団貝と共に観客の万雷の拍手の音

共に意識が戻ったのである。これはその特別の啓示を私がもらいそれを

実践しなさいといういう風に私は受け止めたのである。

 

 神秘体験と言うのは人の人生にそう何度もあることではないが、私には

心にのこるできごとがたくさんある。

 

 そう多くはないと思うが、曖昧なぽんやり した体験ではないので、

実際に見て経験 したことはそう そう忘れることできない。 

潜在意誤にとても深く焼き付けたのであった。

 

それは、その後のアートスクールの美大受験生や社会人、あるいは

子供コースを指導する上で自分の「使命や価値観」の礎になっている。

 

 

 


多摩美情報デザイン科/メデイア芸術コースの久保田先生の新刊

2017-02-09 10:33:36 | 早稲田建築AO受験マスタ−コーチの秘密

ここに、紹介する新刊本は知り合いで世界で初めて人工衛星を使い宇宙からのみずからの詩を発信した、多摩美術大学の情法デザイン/メデイア芸術コース教授の、久保田晃弘氏の20年にわたる、みずからメデイアアートの実践者としてアーテイス

 

ト、テクノロジスト、教育者、音楽評論や作曲などを、経験的想像力を超えた創造的想像力を見据えまとめた思索とその足跡のご案内です。

 

2月21日発売 Amazonにて予約販売受付中です。

 

久保田さんの作品の印象は、私が1977年にしばらくパリに住んでいたころ、完成途中のポンピドーセンター前の広場で、放物線のテントで開演していた「クセナキスのポリトープ」を見て今までの美術における人生観が180度変わったことでした。

 クセナキスはコルビジェ事務所の建築家出身であり数学で作曲するという、天才的現代音楽作曲家でジョンケージなどにもまったく、影響を受けない希有な芸術家だった。

 久保田さんの作品の印象は、私はどうしてもクセナキスと通底していると直感的に感じて依頼、あれこれと一方的に連絡しています。私は32年のあいだ国内外の美大に受験生の受験指導のお手伝いをして来て、多摩美の情報デザイン科へは第一期生

 から進学して今では、社会にデザイン情報やメデイアデザイン、グラフィック領域

をはじめ、上場企業をはじめ活躍しています。科の理念や教育方針もまた、大変広くとらえていて、生徒の持つ創造的想像力を自由に引き出すコアコンセプトが生かされていると生徒と話すと感じます。

 私にはロシアアバンギャルドのタトリンやマレービッチ、女流建築家ザハ・ハデッドの初期ドローイング、アースワーク(ランドアート)、荒川修作などの壮大なスケールに共通する意識が感じ取れます…….