”建築と美” goo.gl/3xWaJ2
— 高橋順一JunichiTakahashi (@jtakahashi771) 2017年5月30日 - 09:13
私は建築家の使命は自己の建築を、”世界でただ一つの、独自な空間における立体創造物”を
創造する芸術家であり、その舞台空間の総合オルガナイザーでなければならないと
考えています。”
我が国の都市に見る”羊羹を縦に並べた大小の無個性な箱ではなく”そこに建築家自身が
もっと美術やデザインの基礎を大学入学時点の若い時代の早い時期に、学びそこから世界に誇れる
新しい日本人の感性を生かした21世紀の建築家が生まれると思います。
早稲田建築科はそういう意味では、東大建築科と美大建築科の中間に位置する存在であると
昔からとらえていました。それは私が美大を受験した60年代でも早稲田建築科は実技試験
であるデッサンがありましたことでも、”建築工学”と”建築芸術”の才能を持つ建築芸術家を
養成する目標をもつ長い歴史をもつ専門家育成の大学であると感じます。
私が実際に見て内部を歩き体感した優れた建築には、共通するものがありました。
それぞれの建築を設計したこころ、つまり建築家の内なる魂と内面の価値観や
意識のすべてが、本人はこの世にはいませんが、そこに独自な”美”として
いまも息づき存在しています。
私はNYのグゲンハイム美術館は1977年から数回しか行きませんが、いつも
美しい外観である立体の造形と内部空間と、えもいわれぬ美しい天空からの
光りが優しく内部を包み、訪れるたびに感動を覚えます。
バルセロナのサクラダファミリア、シャルトルの教会、駅の機能と合体したオルセー美術館
ルーブルの地下切符売り場から伸びた各時代への展示会場のレイアウト、機能美の最大化とも
言えるポンピドーセンター、大英博物館の大きな天蓋などは古くから残る伝統建築を現代の
要求に合わせリビルトし新しい意味と機能とイメージを創造しています。
日本も京都や奈良に見る、1300年前の飛鳥時代から建っている”法隆寺”をはじめ東大寺、
金閣寺、銀閣寺、西芳寺などをはじめとする木造建築と同時な庭園美をもっていて、
京都の古い町並みや数寄屋ずくりにみる、建築空間と内部空間に見る陰影美は
さまざまな狭い空間の中で花開いた、さりげない自然との共創ともいう建築独自の美学が
あり、世界中から観光客がくる理由ではないでしょうか。外国にはどこにもない美しさで
あり、ルネサンス同様に絵、仏像、工芸、ことば、食、日本の伝統の色彩、着物、作法
ほかもそういう建築空間から生まれた独自の和の美しさと言えるでしょう。
美術館の目的である機能で最大のものは適切な自然光のもとで、繊細で微妙な
絵画作品の”色彩美”を観賞できることと彫刻作品もまたそうであるべきです。
そして幼児から高齢者、あるいは体にハンデイキャップがある人でも、労力を最小に
快適に観賞できる設計とシステムとが必要ですが、やはりダビンチが言うところの
外観と内観の美しい意匠の調和が必要ではないでしょうか?
幸いこの21世紀は、ザハ・ハデイットやフランク・ゲイリーといった前衛精神をもつ
建築芸術家が出て来て、ほとんど抽象彫刻とも言うべき外観や内観も、ポンピューターの
性能の高速化と、構造計算なども一昔前にはできなかった複雑な素材や構造計算、
建築工程の短縮化、納期の期日などがAIなどの登場により可能になってきた時代と言えます。
私は建築家の使命は自己の建築を、”世界でただ一つの、独自な空間における立体創造物”を
創造する芸術家であり、その舞台空間の総合オルガナイザーでなければならないと
考えています。”
我が国の都市に見る”羊羹を縦に並べた大小の無個性な箱ではなく”そこに建築家自身が
もっと美術やデザインの基礎を大学入学時点の若い時代の早い時期に、学びそこから世界に誇れる
新しい日本人の感性を生かした21世紀の建築家が生まれると思います。
早稲田建築科はそういう意味では、東大建築科と美大建築科の中間に位置する存在であると
昔からとらえていました。それは私が美大を受験した60年代でも早稲田建築科は実技試験
であるデッサンがありましたことでも、”建築工学”と”建築芸術”の才能を持つ建築芸術家を
養成する目標をもつ長い歴史をもつ専門家育成の大学であると感じます。
私が実際に見て内部を歩き体感した優れた建築には、共通するものがありました。
それぞれの建築を設計したこころ、つまり建築家の内なる魂と内面の価値観や
意識のすべてが、本人はこの世にはいませんが、そこに独自な”美”として
いまも息づき存在しています。
私はNYのグゲンハイム美術館は1977年から数回しか行きませんが、いつも
美しい外観である立体の造形と内部空間と、えもいわれぬ美しい天空からの
光りが優しく内部を包み、訪れるたびに感動を覚えます。
バルセロナのサクラダファミリア、シャルトルの教会、駅の機能と合体したオルセー美術館
ルーブルの地下切符売り場から伸びた各時代への展示会場のレイアウト、機能美の最大化とも
言えるポンピドーセンター、大英博物館の大きな天蓋などは古くから残る伝統建築を現代の
要求に合わせリビルトし新しい意味と機能とイメージを創造しています。
日本も京都や奈良に見る、1300年前の飛鳥時代から建っている”法隆寺”をはじめ東大寺、
金閣寺、銀閣寺、西芳寺などをはじめとする木造建築と同時な庭園美をもっていて、
京都の古い町並みや数寄屋ずくりにみる、建築空間と内部空間に見る陰影美は
さまざまな狭い空間の中で花開いた、さりげない自然との共創ともいう建築独自の美学が
あり、世界中から観光客がくる理由ではないでしょうか。外国にはどこにもない美しさで
あり、ルネサンス同様に絵、仏像、工芸、ことば、食、日本の伝統の色彩、着物、作法
ほかもそういう建築空間から生まれた独自の和の美しさと言えるでしょう。
美術館の目的である機能で最大のものは適切な自然光のもとで、繊細で微妙な
絵画作品の”色彩美”を観賞できることと彫刻作品もまたそうであるべきです。
そして幼児から高齢者、あるいは体にハンデイキャップがある人でも、労力を最小に
快適に観賞できる設計とシステムとが必要ですが、やはりダビンチが言うところの
外観と内観の美しい意匠の調和が必要ではないでしょうか?
幸いこの21世紀は、ザハ・ハデイットやフランク・ゲイリーといった前衛精神をもつ
建築芸術家が出て来て、ほとんど抽象彫刻とも言うべき外観や内観も、ポンピューターの
性能の高速化と、構造計算なども一昔前にはできなかった複雑な素材や構造計算、
建築工程の短縮化、納期の期日などがAIなどの登場により可能になってきた時代と言えます。
だからこれから建築家を目指す若い人は、世界を見据えて美術やデザインの展覧会や
作品などを見て、更に専門的に美術の造形表現力を見に付けるようアドバイスします。
「やろう」と思う強い意志は、これまで行ってきた行動の回数と
その時の決意の強さによって決まります。そして行動にかかる
たびに、人間の脳は成長します。
そうなった時、本当の信念が生まれのです。
せっかく決心しても、また決心しても、また、美しい気持ちを
抱きかかえても実を結ぶことなく立ち消えになってしまっては、
その損害は機会を失った時よりはるかに大きいでしょう。
その人の将来の目的の達成が遅れてしまうし、こころの冷たい人
になってしまうからです。
口先だけなら誰でも強そうなことが言えます。
でも実際にその場で発揮できる勇気は、いつの場合でも
十分ではありません。
私には勇気が毎日少しずつ蒸発するに任せている。」
追記:
➡私の父は先の大戦で19才で赤紙で招集され、中国の当時の
台湾の蒋介石の国民党軍と、毛沢東が率いる共産八路軍(ソ連の
援助の近代的な武器を持つ)と、日々激戦地を奥へ奥へと
転戦し最後に、所属中隊が深夜の夜襲で全滅した
残ったただ一人。歩哨で足元の20数個で全身に無数の手榴弾の後が残り、
継続部隊が発見し野戦病院での摘出後、半年間意識不明で右目が
失明した。脳内にも無数の破片が後のMRI画像で見た事がある。
内地転院の時は永久除隊という名目で病院船(横浜の氷川丸も
戦争中は病院船)九州へ帰還。その後、奇跡的に意識を取り戻した
父は九死に何度もそれを逃れた不死身の人だった。
出征前の国鉄の電気技師に復職した。母もまた国鉄職員で
戦争中は男手がないので、根岸線(今の京浜東北線の茶色い
電車のビス留め列車)では、車掌をやっていたがずいぶんと
アメリカ軍のF86グラマン戦闘機の機銃掃射を客車めがけて
何度も機銃掃射を受けたと話してくれたことがある。ずいぶんと
それで亡くなっ多肥とも多くいたという。
戦争になると、軍人同士ではなく民間人も同じように殺される
という話しを聞かされた記憶がある。
父はまた、生後間もない私が、当時の日本を襲った「小児マヒ」
になり(9万人以上もの赤ん坊が亡くなった)ワクチンも何も
ない中で夜通し、祈りを捧げたらしい。アメリカでも同じように
沢山の赤ん坊や幼児が亡くなり、その様子は「5つの銅貨」という
レッド二コルスというスイング時代の直前の時代の、白人の
トランペッターが自分の最愛の娘が「小児マヒ」になり、
ジャズメンを止めて、造船業の従業員になり娘と共に生きた人生で
描かれている。
私も奇跡的にいのちをとりとめた(1才半なので記憶がない)
父はワクチンも薬も何もない中で、神田に当時あった
「ヘレンケラー学院」という、全盲者のための自活のための
国家免許制度の按摩やマッサージの専門学校に入学し、仕事が
終了後に夜間に学び、その資格を取得して毎日、父は帰宅後に
自由がきかない小学低学年の私の右足を「ヘレンケラー学院」
で学んだ技術を食事もそこそこに施術した。
若き日の父親とその隣に並んだ”ヘレンケラー”が写っている。
日本にはじめて来たときに、その専門学校を訪ねたときの
写真だと父は私に話した時がある。
現在、北朝鮮の問題があるが一番怖いのは、大衆心理だと
エリック・ホッファーはすでに書いている。ヒットラーや
スターリン、毛沢東、ポルポトなどの独裁者は、その
心理操作が実に巧みで、知らないうちにそれを利用して
自分が人を自由に操作できるような力を得たと、長年の
分析で解明したいる。時代の狭間で自分の劣等感とか
長年の世間への恨みなどを、そこで巧みに自身のエネルギー
源として使い、時代を翻弄しするという。日本がなぜ
太平洋戦争に進んだのか、スタンフォードの日本現代史の
分析とはまた別の、アメリカ人で沖仲仕などの仕事を
しながら、ハーバード大学などの教授を固辞した一人の
優れた思考がのこされている。
戦争でもうける人がいて、そうではない無数の一般の
人達の平和な日常を失う悲しみを、彼は警鐘を鳴らしている。
政治的視点や経済的視点などではない、市井の人の
視点から見るときに、何をするべきかの答えがあると思われる。
いやなものや、変なものやこと、一般感覚からずれている非常識な
ことを声高に言う人は、歴史に汚点を残す人だとこの作者は
言う。しかし、”大衆心理”という魔物をコントロールしたいと思う’
狂人もまた歴史は多くを語ることも事実なので、”明確な思考を
もつ人”を待つしかないのだろうか?
受験生の年齢で人生のブループリント(建築などの青図面のこと)を作ることは
大変かもしれないが、やはり一度の人生なので創る事を薦めます。自分がこの世を去るときに
本当に自分の人生を生きたか?という自問自答するときに、満足する人生であったか?
やはり、設計図をもたない人生は行き当たりばったりになる確立が多いように思います。
”志をもつ”ことの意義はとても大事な人生の授業であり、植物の生長と同じような大事な
種まきだと感じます。あなたは、どう思いますか?
ブループリント(人生計画)を作る。
カリフォルニア州バーバンクのセントジョセフ病院でウオルトデイズニーは
なくなった。午前8時20分のことだった。その日の前日の夜、デイズニーの
病院で起こった…..
レポーターは、デイズニーの様態が良くないことをことを知りインタビュー
しようとが病院から断られていた。ようやく許可がおり、病室ではお起き上
がることはできなかった。
ささやくことは出来たが、声は小さく聞き取れなかった。デイズニーは
レポーターにベッドに上がり、自分の横に寝そべるように指示した。ささやき
声がレポーターに聞こえるようにするためだった。
その後、この世の最後の30分間、レポーターとデイズニーはベッドで寄り添っ
て、天井に貼ってあるデイズニーワールドのイメージ図を指しながら、ここに
アトラクション、あそこに建物園内移動のための乗り物やホテル、レストラン
など、自分の構想を話した。それはデイズニーワールドがオープンする6年前の
ことだった。
このレポーターの話は看護師を通じて、会社の開発グループのスタッフ全員に
伝えた。市を前にした男が病院のベッドで30分間将来のビジョン、また自分が
しなければならないことを、レポーターの耳にささやいた。
これがいきるということであり、死ぬ間際でも自分のビジョンを信じていた。
人生は一度の知識を知恵にするただ一度の時間芸術だから、
人生は自分だけのもの。責任もはすべて君が負う。自らの人生を設計する
のであり、親や先生が行うのではではない。
ウオルトデイズニーの死ぬ間際の生き様は、そういう人生の意義や目的を的確に
物語る。人はみな死ぬのだから、悔いのない充実した人生を生きようではないか。
もしもあなたが建築家として生きる事をきめたらば、世界でただ一つの
芸術的建築家としての君のストリーミング・ビデオを!
デザイナーやアーテイストを選ぶ人もいるでしょう。今回のデイズニーの人生最後
の話しは、多くのことを人々に与えていると思います。
左脳は論理的な思考を司り、右脳は創造的想像力の働きをするということが
あります。天才のダビンチはその右脳と左脳の両方を最大限活用したことが知られて
います。美大入試における実技試験は右脳を使います。
横浜国大建築AOの立体造形入試などもこの範疇ですが、入試に関係する問題は基礎的
数学問題や関係する面接などもあるので両方とも使う試験であると言えます。
早稲田建築AO入試のドローイングも問題文のとらえ方は、ふだんの社会に起こる
自然災害をはじめとする、さまざまな社会問題や、我が国独自の歴史における建築
に関係する知識、あるいは文学など幅広い問題が組合わされて問いかけられる入試
であり、”自己PR資料”と言う普通の一般大学でのペーパーの上での成績では
計り知れない、世界を視野に入れた人間性とリーダーシップ力と
”建築芸術家としてのセンスや才能を見るための自己PR資料制作における、
アート作品と空間や立体造形能力並びに、建築への熱意を見るためにさまざまな
アート作品と立体構成や建築模型の制作と、自分の全てを早稲田建築の教授へ
直接プレゼンテーションするとても時間と手間暇かかる入試が用意されています。
現役の高校生で将来世界で活躍する目標をもっている人は、是非とも合否だけでなく
是非、自分の将来への価値ある挑戦経験としてトライすることを勧めます。
ダビンチとステーブジョブスの共通項 goo.gl/2QTu4N
— 高橋順一JunichiTakahashi (@jtakahashi771) 2017年5月20日 - 10:12
ダビンチとステーブジョブスの共通項 goo.gl/02q8QU
— 高橋順一JunichiTakahashi (@jtakahashi771) 2017年5月20日 - 10:12
ダビンチとステーブジョブスの共通項は、共に独自な感覚や発想という
意識つまり感覚と感情やフィールという感じることのフイルターを羅針盤
レーダーとして、過去の知識を覚えたり使うだけではなく、新しい創造つまり
創造的想像力=イメージを自分の常に重要な、核として(コアコンセプトとして)
新たな見た事もない世界を開発する指針とした。今までの知識をただ覚えればいいという
日本の今までの教育は、21世紀の現在の世界ではまったく使い物になっていないことは
自明である。つまり打開策は文系と理系という二つではもはやダメなのであり、これからは
クリエイテイブ系/芸術・デザイン系が必須であり、無論世界でも素晴らしいアイデアや
発想のアーテイストやデザイナー、そしてその予備軍が沢山いるのは、YouTube,Instgram,
Pinterestなどを見ても分かると思う。