早稲田建築AO入試 空間造形力エキスパートコーチ 高橋順一の日記:合格最短の秘密


国内外美大デザイン受験指導32年約1000名累計合格率89.9%
/早稲田建築AO他10年指導コーチング

“NEW YORK SOHO 1977” 私は1977年に荒川修作のNY SOHOアトリエを訪ねた

2020-02-04 10:03:45 | ニューヨークソーホー1977年
“その時私は27歳だった1977年、なぜかニューヨークのソーホーがアート街になる瞬間の時それを目撃した”



パリから大西洋を超えてニューヨークのホテルに着いて、その時代ニューヨークはとても治安が悪いと感じたが朝、すぐに地下鉄に乗りソーホー近くの駅で降りた。改札の係の男性に切符を渡すと、鉄製円柱が入った防弾ガラス越しにマイクで「いまNYに着いたのか?」と聞かれた。それで変だなと思ったらこの時間はこの辺は人がいないので、とにかくすぐに地上に出ろ!と言われた…

そこから今回の目的はNYに住む憧れの日本人画家の純粋芸術家でアメリカでも有名な“荒川修作”さんにパリの美術評論家の方からの手紙を届けるのと、自分のファインアート系作品を観てもらい、感想を聞きたかったので直接封筒に書いてある住所を探した。

なんとかその住所を歩いて見つけたが、入り口の住んでいる人の部屋番号に呼び出しボタンがあるだけで、表札や名前の表記がないので非常に迷ったが押したら、日本語で荒川さんが返事をしてくれて解錠してくれてロフトのアトリエに入った。中はとにかく天井が高く10メートルもあるぐらいで、アトリエの中には描きかけの300号ぐらいのキャンバスの絵画が立てかけてある。ソファーに座りSOHOの両方の通りが窓から見える、左側からの自然光採光で絵を描くのには最高のロケーションと雰囲気だと感じた。右には巨大な図書館にある大型のスチールの書架が下にキャスターが着いていて自由に動かせるようだった。本棚には数千冊もあろうか図書館のような膨大な書庫である。たぶん奥さんが詩人マドリン・ギンズさんだからだと感じた。

話を初めて荒川さんは「僕はここに来てからほとんど14年も外に出てないから、どこに何があるかもわからない、君のほうがよく知ってると言われた」のは、驚いた。そういえば白い顔色はまだ41歳だけれど日本の美術雑誌で見ていた顔と違わない印象だった。私が手紙を渡して私の作品したポートフォリオを見ていただき、いろいろとアドバイスいただき真摯な本当に誠実な自分の感じていることを自分の言葉で選んで話されたのが印象的だった。

そこから淡々とご自身が作りたい迷路のような空間の概念と匂いについて、何度も私に聞かれた。印象的なのはデュブッフェの作品は見たことがありますかと言われたので、パリのポンピドーセンタで何点か見た事と渡しの印象を話した。それから延々と荒川さんは夕方まで長い時間話された。話に熱中されご自分の思考空間と時間の境界を飛び越えていると感じた。とにかく広大な宇宙空有のようなはるかかなたにある、御自分の目指すものがいつも掴めそうでいて、またもや手の届かない遥か彼方に行ってしまうというようなことを話された。死ぬまでにはそこに到達したいのだけれど…..ということを何度も何度もご自身が
   
イメージする迷路のような空間の話をされたことがとても記憶に刻まれた。とても壮大で大きく広がりと奥行きも広大無限の夢の中のような映像的な感覚も時々感じた。絵画だけれど映画のような時間芸術とでも言うような、哲学的な世界観と宇宙の創造のような空間的で建築的な構造哲学的な美と詩的な美とが境界がなく、ねじれてリバースしている複雑な絵画で表現するには難しい印象を27歳の自分がその時は感じ夕方に、時間をさいて頂いたお礼を述べて外に出た。

そこから、ソーホーの街を順番に歩きながら巡り外に張り出した階段や屋外から運ぶ油圧エレベータのある、レンガとキャスト・アイアン鋳鉄製建築の特徴ある倉庫群をリビルトした独特の無骨な男性的な建物と太い円柱のあるアイボリーや白い塗装の建築群だった。とにかく1階天井が高いのと広さが広いので、やはり寸法の単位が日本とはまったく異なるし窓の縦横のも比例が全然ちがうが、ギャラリーがとにかく大きく広く天井が高いので、荒川さんやアメリカあの画家が、年配の画家でもとにかく巨大な絵画をほとんどの画家が描く理由がうなずけた。

そして、私はしばらく1週間位NYの美術館や5番街などのギャラリーとソーホーをくまなく順番に1階から上まで見て歩いた、そういえばジャスパー・ジョーンズやラウシェンバークを見出したレオ・カステリギャラリーも興奮しながら見た。







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