私にはお定まりの言葉があって、ついプッツンと切れると、抗議のように父に言ってしまう言葉がありました。
「暫くいいわ。」「会いたくないわ。」「見たくないわ。」
などなど、絶対何々したくないわと拒絶の言葉を並べる事です。
中学校2年生の時もそうでした。
暫く男の子と話をしたくないわ、彼氏もいらない。
そう言った時、父はすかさず何時迄かと聞き返して来ましたが、
離婚直後に私が、もう絶対に私に結婚の話を持って来ないでね。
と言った時には、父は黙して語らず、今回は何時迄とは聞いて来ませんでした。
そこで私はこの時返って拍子抜けしてしまいました。
暖簾に腕押しのような感じで、手応えが無い不思議な違和感という物を覚えたのです。
確かに私は前者の時には、暫くって何時までだと問う父の素早さに面食らい、
何時迄と言っても答えられない、暫くは暫くよ、…ずーっとかもしれない。と答えたものです。
その時には父がこんなに早く機敏に切り替えしてくるとは夢にも思いませんでした。
私が何か言う時には何時も無言であったり、そうさなぁとか、うーんとか、返答や反応が遅い父であったのに、
その時の驚く程の反応の速さが、私には返って意外であり、妙に気に止まる事となりました。
それで、1日2日程、自分が父に留意した点について考えていました。
何故、父は驚き慌てたのか?
私が彼氏を作りたくないと言った事に、何故何時になく素早く反応したのか?
もしかすると、皆が盛んに私に男の子を紹介してくれるのは、父が皆に頼んでいるのではないか。
父の方が私に早くボーイフレンドを作って貰いたいのではないか。
父は家に遊びに来る男の子が欲しいのではないか。将来の息子の目当てが欲しいのではないか。
そんな風に考えてくると、私には父が大変身勝手な人だと思えてしょうがないのでした。
私の感情なんか全然気にしていない。父の方が私のボーイフレンドというものを欲している。
そうなのかもしれない。そう思うと、私は段々むかむかと怒りが湧いて来るのでした。
私に一言の相談もなく、私の感情や意向など全く無視しているのだと感じたのです。
中2の時でこう思ったのですから、結婚後、離婚直後は尚更親子で険悪な状態であったと言わざるおえません。
それぞれに言い分はあったのです。
父はよく言っていましたが、「何時までも、あると思うな親と金」は、
自分の体調が不安であったからなのでしょう。確かに体力的に堅固な人ではありませんでした。
例えそうでなくても、子に対する親の責任を思う時、
早めに子の将来の安定や保険のようなものとして、未来の息子、家を託せる男子を求めていたのかもしれません。
思えば父は、私に対して祖父母程には期待や信頼が無かったのかもしれません。
早めに私の将来を安定させようとしていたのですから。
実際、高校の頃に父は直接私に、先生であったか職員室であったかで彼氏のお世話を頼んで来たんだ。
と言っていました。
この当時でさえ、まだ内心私はえーっと思い、期待というよりも困惑が先に立って父の話を聞いていました。
『自然でいいのに、彼氏が出来たら出来た時で、そんな時でよいのに。』
そう思って、父が何だか無理難題を先生や私に突き付けていると感じたものです。
そんな父の思惑とは逆に、一向に私に彼が出来なかったのは、やはり現実に無理があったせいでしょう。
何事も「急いては事を仕損じる」の良い見本のような物です。
父がせっかちであり(私にすると)、私がおっとりしていたという性格の違いが、
何につけてもお互いの人生の不協和音を生み出していたのかもしれません。
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