また、旅行先での欲しい土産物等は、今度来た時にね(買って上げる)が、母の口癖でした。私はそんな親の言葉もごく幼い頃は信じていました。次に来た時に買って貰えると涙を呑んで我慢したのです。最初の時はかなりきつかった覚えがあります。同じ観光地を再訪した折に、当然私は欲しかった商品が今度こそは手に入れられる、買って貰えると思うと嬉しくて、勇んで母に買ってと言ったものです。そんな事が数回ありましたが、いずれも母の応対は決まり文句を返すだけに徹していました(何でしょうか、この点節約、躾としての教育だったんでしょうか)。
私の方はすっかり当てにして、この場この時を待ちに待っていただけに、当然今度と言っていたじゃないかと猛烈に抗議したものです。しかし、全く買って貰えなかったのでした。この様に約束に反して欲しい商品を買って貰えなかったという事が続き、以降、私はあれが欲しいこれが欲しいという言葉は決して口にしない事にしようと決意しました。約束を破られたのだ、次には買って貰えると涙を呑んで諦めたのにと、前回の無念な気持ちが甦えり、多分怒りが倍増したのだと思います。その後は言っても無駄な事は言うまいと自身に硬く誓ったのでした。
以降、何も欲しい商品を希望する事が無くなった私に、今度は母の方から何か欲しい物は無いの?と聞かれるようになりましたが、頑なになって仕舞った気持ちは解れませんでした。私は常に何も(要らない)と答える事に徹していました。結構意固地な子供時代が続いたと言えるでしょう。拒否されたら1回で懲りた方が身の為だと、無理強いしないあっさりしたタイプになりました。私のそれ以降の独身時代の人生は、『家は貧しいのだから何でも買えないのだ、贅沢は出来ない。』という信念のような物を持っていました。幼い頃から節約や、贅沢、過分な物は買えないという質素な生活が必要以上に身についてしまったと言えるでしょう。お陰で両親が老齢になり気の弛んだ生活に入ると勝手が違って見え、一体どうしたのだろうと思い、今まで私は騙されていたのだ、家にはお金が有ったのだと考えるようになりました。