東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

いざ行かむ、おくのほそ道

2015-03-22 | 散歩
 芭蕉は元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川を出発し
 「行く春や鳥啼魚の目は泪」と詠み全行程約600里(2400キロメートル)、
 日数約150日間で東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰ってきました。
 旅立ちの地は通勤路にあるため自転車を降りて偲んでみましょう。



 

 その前に前回の続き。

 回向院から日光街道へと続くこの道は「コツ通り」、
 刑場のコツ、骨ヶ原、小塚っ原のコツ、そのコツ通りに”コツ通り整骨院”!
 刑場跡の寺は延命寺、そしてコツ通り整骨院、シャレがキツイや。
 背中は日光街道です、振り返ってみましょう。




 

 180度ターンすると「行く春や 鳥啼き魚の目は泪」、
 芭蕉がおくのほそ道へ出立するにあたって詠んだ矢立始めの句が。
 看板の下は石垣、隣の素盞雄(すさのお)神社の境内を借りて交番があります。





 

 芭蕉の旅立ちを記念して毎年今ごろある全国俳句大会のビラ、
 素盞雄神社には芭蕉に関するいろいろなものがあります。





 

 一度外へ出てみます。
 当時荒川、現隅田川に最初に架かった橋が千住大橋、その南詰。
 芭蕉は深川から舟で来てここから陸地を奥州へ目指します。




 

 千住大橋の由来記、最後辺りに芭蕉の記事が。




              

              素盞雄神社にある千住大橋を模したもの。
              左の柱には、「これを矢立の初めとして 行く道なほ進まず
              人々は途中に立ち並びて 枝影の見ゆるまではと
              見送るなるべし・・・とあります。




 

 芭蕉の胸中を見てきたごとく、、、天王様とは素盞雄神社のこと。





 

 千住大橋北詰にある記念碑。
 こちらが奥州側に当たるのでここからの旅立ちと思うけど
 江戸側で見送られてこの橋を渡ったのかな?。




 素盞雄神社は日光街道沿いにあってその前はよく通るけど
 中に入ってみたのは初めて。
 ちょうど「桃まつり」の期間中とあってものすごい数のおひなさま?がずらり
 あしたご披露したいと思います。

 なお一般には「奥の細道」とも表記されていますが、中学校国語の検定済み教科書では
 すべて「おくのほそ道」の表記法をとっているようです、私もそれに倣いました。

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