東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

遊女たちの行く末は・・・浄閑寺

2015-03-17 | 散歩
 吉原の外れともいえる三ノ輪(みのわ)にある浄閑寺、
 境内には有名な「生れては苦界、死しては浄閑寺」の句碑や
 「新吉原総霊塔」など吉原に関する哀しい物語がいっぱい。
 また永井荷風の文学碑などもあります、2回に分けて、、、。


 

 新吉原総霊塔の基部には川柳作家・花又花酔の有名なこの句が。
 町人文化華やかなりしころ日陰にひっそりと咲いた仇花
 遊女たちの世界を残す浄閑寺です。




 

 
 浄閑寺山門脇にある説明板
 遊女の他に吉原で働いていた人たちも含め2万とも
 2万5千ともいわれる人たちが祀られているという。




              

              新吉原総霊塔
              元々は安政大地震の際に亡くなった身元の分からない遊女たちが
              投げ込み同然に運ばれ埋葬された。
              そのあと病気とかで亡くなった遊女たちも同じ扱いを受け
              遊女の投げ込み寺として有名になった。




              

              真新しい卒塔婆にスポットを当ててみた、
              なんとはなく言わんとしていることが分かる気がする。




 

 新吉原総霊塔基部
 右に花又花酔の句があるが地蔵尊の上を見ると・・・。




 

 口紅、マニキュアから始まっていろいろなアクセサリー類が所狭しと供えられている。
 どれもみな新しい、お参りに来た人たちはどんな気持ちで供えたのだろうか。
 浄閑寺の過去帳によると彼女たちの平均年齢は21.7歳という。




              

              源氏物語の紫の上、幼い日の紫の上を想って「若紫」を名乗った遊女の墓。
              他の遊女と無理心中しようとやって来た男に刺されて死んでしまう、
              あと5日で年季が明け恋人と一緒になるはずだった。
              (明治末期のことかな?、元気なころの彼女の写真が残っている)




              

              新比翼塚
              明治18年に吉原・品川楼での遊女・盛紫と内務省役人・谷豊栄の心中事件を祀った比翼塚
              新とあるのは作り替えられたからという、二人の死を悼んだ人たちによって作られた。
              永井荷風はこの比翼塚に手を合わせる人たちを見て浄閑寺に興味を持ち
              以降足しげく浄閑寺に通うこととなる。




 

 浄閑寺
 入口には説明板と小夜衣供養地蔵尊が見える。
 これは吉原・四つ目屋の遊女・小夜衣の墓という説もある
 吉原では火事が多かったが四つ目屋から出火のさい女主人が
 小夜衣のせいと言い張り小夜衣は火あぶりの刑に。
 しかしその後も何回も出火し、とうとう四つ目屋は潰れてしまった。
 人々は小夜衣の祟りだと地蔵尊を作って供養した、、、との話も残る。




  

  職場近くを・・・。
  江戸時代の小説大好きの私には宝の山のようです。  
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