東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

今日は初午だったんだねぇ

2019-02-02 | イベント
  朝トイレで新聞見ていたら一面のマンガで「今日は初午だよ」。
  「えっ、知らなかった」、、、目の前に貼ってあるカレンダー見たら
  間違いなく初午とある。知らなかった、知らなかった、知らなかったよ~。
  おっとり刀で一番近いお稲荷様に飛んでいく。


  

     おっとり刀で行った先は自転車で5分、駅より近い。
     でも手抜きではありませんぞ、由緒正しい立派なお稲荷さんです。




  

     今度は手抜きして足立区教育委員会の掲示板よりコピペです。

     江戸時代、この辺りは秋田藩主佐竹家が所有した広さ約五千二百坪の抱屋敷地で
     当社はこの屋敷地の北東隅に位置し、屋敷神として祭られ、「佐竹稲荷」と呼ばれている。





  

     たくさんの鳥居が並んでいます、
     もう一人前のお稲荷さんですね。




  

     鳥居を抜けるとお稲荷さんのお使いであるキツネが4体。
     不審者は通さないぞ、、、ドキッ。




  

     佐竹氏は幕府により秋田へ二十万石で転封され秋田藩主となった。
     屋敷地の東側には旧日光街道が通っており、
     参勤交代で秋田と江戸を往来する時の休息や
     江戸の大火の際の一時避難所等に利用された。





  

     振り返って見る鳥居に暖かな日差しが降り注ぐ。




          

          紙で作られた幟が2本、祠の両脇に立っていた。

          当社を含めたこの一帯は、屋敷地があった遺構であり、
          「佐竹抱屋敷跡」として昭和五十七年に足立区登録記念物(史跡)となった。





          

          お供え物がいっぱい。

          古くから近隣の人々の信仰を集め、寛政十年の幟なども保存されている。
          毎年、二月の初午の祭礼には参詣者も多く、かつて当神社を信仰し、
          よそへ移り住んだ信者からも献納物が寄せられている。


          江戸時代、秋田藩主佐竹候の抱屋敷がこの辺り一帯に広がっていました
          抱屋敷とは幕府から拝領したものではなく自分で買った屋敷を言います。
          すぐ前が旧日光街道、参勤交代などで江戸へ来たとき
          ここでまず旅装を解いたことでしょう。
          また郷里へ帰るときは遠い道のりを思って緊張したのかも。

          今はかつて屋敷守をしていた三谷家で管理されているみたいですが
          いろいろとご苦労もあるのでしょうね。
          遠い秋田に思いを馳せて行ってきました。

          data: EOS5DmarkⅡ/EF17-40 1:4 L USM。 撮影 2月2日 足立区・佐竹稲荷神社
          

コメント
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