シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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英国の “最も有名なスパイ” が亡くなる

2020年11月04日 | シネマ何だかんだ
左から フラナガン一等兵+ “史上最大の作戦 (62年)“ で検索した画像。『007 ゴールドフィンガー』から (64年)。 アカデミー助演男優賞 受賞 (87年)。 TV『スーパーマンの冒険』のジョージ・リーヴス。 
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英国の俳優ショーン・コネリー Sean Connery が90歳で亡くなりました。 ああ あの初代ボンド役の俳優だったなと、大概の人は思い浮かべるのではないでしょうか。

出演美人女優と “にやけた顔で演技する” 調子のいいスパイ役で、ハマっていましたね。 スパイが工作する現地で 必ず美女が待ち構えているという 現実ではありえない設定で、原作の娯楽スパイ小説を忠実に (?) なぞって ”娯楽の王道” を行っている映画でした。

実際のスパイは、想像ですが __ 非情・違法・劣悪な環境・長い拘束時間・少ない達成感・少ない報酬などの塊でしょう。
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「初代ボンドのショーン・コネリーさん、死す 90歳 … 日本のテレビCMにも出演」( 11月1日 スポーツ報知) __ 「007」シリーズの1作目「ドクター・ノオ」(テレンス・ヤング監督) に主演し、一躍有名に。
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彼は62年の「ドクター・ノオ」から83年の「ネバーセイ・ネバーアゲイン」まで7作でボンドを演じましたが、71年の「ダイヤモンドは永遠に」以降は一連の「007」映画に出演しておらず、「ネバーセイ …」は一連の「007」ものとは別の製作ものだったと記憶しています。 65年「サンダーボール作戦」のリメイクですね。

彼が「007」ものに集中して出演したのは60年代で、70年代以降はボンド役から離れて別物に出演し、イメージを変えようとしていたように想像します。 ある意味 “ボンド役しか演じられない俳優” として固定されるのを嫌ったのでしょう。

それは次のエピソードでも想像できます __ 67年の「007は二度死ぬ」で日本ロケに来た時、ロケ先でコネリーが登場すると 待ち構えていた多くのファンから「ジェームズ・ボンドがきたぞ」とどよめく声が聞こえたので、「ボンドじゃない。 ショーン・コネリーだ」とぼやいていたそうです __「名優ショーン・コネリーの栄光と苦悩 … 代名詞 “ボンド” 毛嫌いし話題禁句だった」(11月2日 日刊ゲンダイ) でも似た話しが載っています。

テレビもののスーパーマン役が、イメージが強すぎて他の役が得られず、自殺した例もあるくらいですから、超人気の1つの役を演じすぎるのも考えものなんですね。
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ウィキペディアから __ 1951年放送のテレビシリーズ『スーパーマンの冒険』でジョージ・リーヴスがスーパーマン役を演じ、ブレイクする。 1958年に放送終了したが、スーパーマンのイメージが強過ぎて他の役が得られずスランプに陥る。 1959年 ロサンゼルス市内の自宅寝室でルガーによる射殺死体となって発見された。 リーヴスの死は自殺と見なす説が有力であるが、他殺説もある。
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けれど 俳優業の世界では イメージが固定化されようが されまいが、その他大勢から抜け出して 人気作の主演者役を掴むのは至難の業です。 殆どの俳優人は一生を大部屋組で終わるのですから。

「義務教育修了後 最初は牛乳配達し、17歳で海軍に入り、様々な仕事をしたのち 1954年からテレビや劇団に出演、8千5百万ポンドの財産」(ウィキペディア) を形成したコネリーの人生は大成功だったでしょう。 1つの時代が過ぎ去った感がします。
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オーストリアから米国にやってきた 元ボデイビルダーのアーノルド・シュワルツェネッガーも、82年の「コナン・ザ・グレート Conan the Barbarian」でブレイクするまでの、36歳までは大きなヒット作はなかったと思います。

彼はその後 84年の「ターミネーター」のロボット悪役で更に有名となり、アクション映画の看板男になりました。 最近 心臓手術を受けたそうですが、開胸して “ロボットじゃなかったのが証明された” というわけですね __「シュワルツェネッガーさんが心臓の大動脈弁を手術」(10月24日 テレ朝 news)

今日はここまでです。

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