シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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オナシスはカラスに何をしたのか

2017年01月11日 | 音楽関係の本を読んで
左写真は58年 ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス公演『椿姫』でのカラス。 右はオナシス。
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1950年代に活躍した歌手マリア・カラスを知らない音楽ファンはいないですね。 特にオペラファンには伝説の人物です。 彼女が活躍したという、その絶頂期は10年ほどに過ぎなかった、といわれます。

それは 47年のヴェローナ音楽祭で『ラ・ジョコンダ』の主役から 58年のローマ歌劇場での『ノルマ』に主人公役で出演 (第1幕だけで出演を放棄)、パリ オペラ座にておこなわれたコンサートの成功までだったらしいです。 年齢では24歳〜35歳という短期間です。

なぜ そうなったのでしょうか。 
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『音楽家が語る51の物語<1>』(レンツォ・アッレーグリ 星雲社 2011年4月発行)
 ウィキペディアから __ アリストテレス・ソクラテス・オナシス (1906〜75) はギリシャの実業家 (※追加1へ)。
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上記本の “マリア・カラスの項目” では、まず成功談として こうあります __ ヴェローナ音楽祭で『ラ・ジョコンダ』を歌ったが、どこからも出演依頼の声はかからなかった。 しかし この時の指揮者セラフィンが、ヴェネツィア フェニーチェ劇場での『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデにカラスを望み、大成功をおさめると、次々に仕事が入り始めた。

黄金時代は59年までの11年間だった。 59年 海運王オナシスのヨットでカラスは新しい世界を発見する。 だが 彼女はオペラ公演に備えて完璧な体調を維持するために守ってきた規則正しい、抑制された生活を止めた。

生活を変えたために声は損なわれていく。 オナシスは暫く彼女の名声を自分の仕事に利用したのち、彼女より有名な女 ジャクリーン・ケネディと結婚するために彼女を棄てた __ というのがあらましです。
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彼女の歌手としての維持管理をする所属事務所はなかったのでしょうか。 それはどこにも書いてなく、唯一 歌劇場などとの交渉を行っていたのが夫のメネギーニでした。 彼はただのオペラファンで、交渉の度に出演料を釣り上げるので劇場からは嫌われていました。 しかし カラスがオナシスと知り合うまでは、それなりに “歌手カラスを維持管理” していたようですね。

彼女の母は、マリア・カラスの姉を偏愛し、彼女には愛情を注がなかったようです。 彼女が13歳のとき 両親が離婚、母親は2人を連れて米国からギリシャに戻りました。 そこで音楽学校に通っていましたが、40〜45年の戦争時代 母はマリアに占領軍の (イタリア) 兵士に歌を聞かせるよう強要したことから2人の間には溝ができてしまいます。

のちに有名になった彼女に、経済的な援助を求める母に対し、手紙でこう書いています __ 身投げするか 窓から飛び降りればいいでしょう、と。 その親子関係がどんなものだったのか想像できるほどです。

戦後 マリア・カラスは、旧ドイツ・イタリア占領軍にコンサートを開いていたとして非難され、ギリシャにいずらくなり、ニューヨークにいた父と短期間暮らします。 そして47年 ヴェローナで歌ったとき 近づいてきたのが煉瓦屋のメネギーニでした ...

オナシスのあと、ディ・ステファノ (テノール歌手) と恋愛関係に入りますが、彼との関係も1976年に終わり (同じ本の “ディ・ステファノの項目” ではカラスは独占欲が強い女だったと吐露しています)、77年パリのアパルトマンで54歳で亡くなりました。 一緒にいたのは2人の使用人と2匹の犬でした。
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というのが彼女の人生ですが、歌手ではない1人の女として眺めると、その人生は親に十分愛してもらえなかった、男からも利用された、哀れな女が浮かんできます。 また小さいとき 母親が姉を偏愛し、可愛がってもらえなかったことも心に傷を残し、成人後 近づいてきた男がどういう下心があるか見極められなかったことも、自分を不幸にしたのかも知れませんね。

オナシスはオペラ歌手としてのカラスをどう思っていたのでしょうか。 利用するだけで大歌手としての生命を断ち切ってしまった、利己的な男じゃないでしょうか。 (パーティやカジノなどの) 夜遊びに引きずり込んで、結果として完璧に歌える状態でなくさせてしまうなど とんでもない男で、歌手として尊重するなら、とても考えられないことです。

同じ本の “ジュリエッタ・シミオナート (ソプラノ歌手)” の項目でも、オナシスのカラスに対する発言は良くないですね。 オナシスと出逢わなかったら、大歌手カラスの寿命はもっと続いていたのではないでしょうか。 かえすがえすも残念です。

以上


※追加1_ 戦後 余剰化した連合国軍の船舶を安値で購入し海運業をはじめ、さらにギリシアの海運王の娘アシーナと結婚、これにより規模を拡大した海運業は、戦後復興を進めるギリシアとヨーロッパ諸国においてまたたくまに成功した。

女性遍歴  1957年にヴェネツィアで開かれたパーティーでオペラ歌手マリア・カラスと知り合い、60年にアシーナと離婚。 カラスとは9年ほど関係していたが結婚はせず、68年には アメリカ大統領のジョン・F・ケネディの未亡人であるジャクリーン・ケネディと結婚し、世界的に話題を呼んだ。

しかし ジャクリーンとの結婚は「恋愛によるものではなかった」といわれ、事実夫妻は滅多に時を共に過ごさなかった。 ジャクリーンはその多くの時間を旅行と買い物に費やし、オナシスとは別々にゴシップ誌の紙面を飾った。

オナシスの莫大な遺産は、彼の遺書に基づいて娘のクリスティナが 55%、アレクサンダー・S・オナシス財団が 45% の遺産を得た。 また 妻ジャクリーンは、1,000万ドル (2,600万ドル とも) いわれている財産を手にした。

同性愛  2007年に 映画監督のフランコ・ゼフィレッリは生前のオナシスにいい寄られたことがあることを明かし、彼を両性愛者であるとした。

以上

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2013/1/5  音楽界最大のゴシップは   音楽界よもやま話

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