シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

融通し合うのはどの世界でも …

2019年05月20日 | コミック界を語る
上段左コミックは『少年ジュピター』扉絵、中央は最後の頃のコマから。 右は楠高治の『遊星仮面』表紙。 下段左と中央上は『8マン』最終版で楠高治が描いたもの。 中央下は『8マン・シャドウボクサー』のコマから。 下段上は別冊少年マガジンから、下はリム出版から『8マン・決闘』の1ページ目の同じコマの絵。
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先ごろ 桑田次郎のコミックを読んでいて、あるページで違和感がありました。 桑田の画風と違うのです。 これは … と訝しく思うと同時に、弟子のタッチだなと分かりました。

具体的には、200ページ余の『少年ジュピター』という1960年代の SF コミックの最後の辺りの13ページ分です。 描いているのは、アシスタントの楠高治ですね。 遠近法で “手を大きく描く” のが特徴ですから、すぐに分かります。

冒頭上段中央と右、下段中央上がそれを表しています。
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ウィキペディアから __ 楠 高治 (くすのき たかはる 1936〜2014) は、日本の漫画家。 1955年 描き下ろし単行本『村のかじやさん』(きんらん社) でデビュー。 その後 桑田次郎のアシスタントとなる。 その中で アニメ版『8マン』の原画制作も担当した。 その後 1968年に制作されたヒット作品、『遊星仮面』の漫画版を担当する。
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楠高治は『月光仮面』(1958〜61) の連載最終の頃も桑田の代筆で描いています。 当時 小学生だった私でも、その画風が違いすぎるのに気づきました。 画風が違うと雰囲気も変わってしまうので、問題だなと思ったものです。 連載では楠名ではなく桑田名だったと記憶します。
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また『8マン』のエピソード編『シャドウボクサー』でも、桑田次郎とは違う画風の顔が見られます。 これを あるブロガーが、園田光慶による代筆 (挿入筆) だろうと見破っています (漫画・劇画よもやま話−②から 冒頭下段中央下 うつむいているボクサーの顔)。
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下段上下は、あるブロガー (投稿者:黄色い手袋) が、同じコマについて 指摘する出版物による絵の違い __ 東探偵事務所の秘書 さちこが運転する絵のページです。 これは誰の絵か分かりません。 初出少年マガジンに桑田が書いたのか、リム出版は別人が書いたのか不明です。
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なぜ こういう代筆が頻繁にあるのか、私の想像では __ 桑田は何本も連載を同時に持つことが多かったために、描き切れない分を別人に代筆させることはあり得たか、もしくは桑田本人の興が乗らないか もしくは二日酔いとか病気で描けない時は別人に代筆させた?

あと 連載の終盤の頃になると代筆が多い傾向は、桑田の性格が “飽きっぽい” のではないかと推理しています。

また 桑田自身も『鉄腕アトム』の代筆をしたことがあるらしいですから、この業界では “一部代筆というか融通し合う” のはよくある事かも知れません。 代筆でも 雰囲気を壊さない程度か 絵の質が同程度ならいいと思いますが、差があると気になりますね (はっきりいうと 楠高治の絵は桑田ほどの域には達していなかったと評価します)。
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桑田の絵の描線も、他人には真似できない域にあるのですが、劇画風でありながら 地面に転がっても顔や服も汚れず破れず、格闘してもあまり汗を吹き出さず、緊張する場面でも表情の変化は少なく、リアリティには乏しかったですね (それが漫画たる所以でもありますが)。

でも 私は桑田の画風は好きです (特に60年代前半の桑田絶頂期の頃)。 桑田オリジナル原作ものよりは、他人の原作ものの方が評価が高いようですね。 桑田コミックは物語りのスジよりは画力で評価されていたのではないでしょうか (画力を70とすれば 話しのスジは30かも)。

この業界の大御所 手塚治虫の描くアトムの絵は、ディズニーっぽいというか デフォルメしすぎて “軟体動物” 人間を連想させましたからね (画力を30とすれば スジは70かも)。

今日はここまでです。

1 コメント

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桑田氏の作品の原稿は原則として使えないそうです (うつぎれい)
2019-07-06 07:25:21
ひとつ知ってることを書いておきますと、桑田氏の原稿は本人の手元には全く残っておらず、最初期の刷版を保存してる秋田書店以外の、復刻本の出版社は皆、入手出来た印刷物を原稿の代わりに使い、潰れてしまってる線は良く分からないままに修正してます。なので、同じ場面の絵が劣化して違ってしまってるのです。
これは桑田氏が、出版社から戻ってきた自分の原稿を全く保存する気がなく、ファンなどに全部やってしまっていたからなのです。
何ともビックリですよねえ。
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