シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

元スパイ毒殺事件の真相は?

2007年07月30日 | 歴史をひも解いて
英国亡命中の元ロシア情報機関員が昨年11月 怪死した事件についての続報です。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「英ロ関係の悪化阻止を=ゴルバチョフ氏、ちょっぴり苦言」(7月27日 時事通信) __ ※追加1へ
「ロシア政府、報復措置で英外交官4人を国外追放」(7月20日 ロイター) __ ※追加2へ
「元スパイ毒殺事件 “動機” を推測する」(7月18日 COURRiER Japon + hitomedia) _ ※追加3へ
「英政府、露外交官を国外追放」(7月17日 ロイター) __ ※追加4へ

「リトビネンコ暗殺 Death of Dissident」(アレックス・ゴールドファーブ著 / マリーナ・リトビネンコ著/ 加賀山卓朗訳 早川書房 / 刊行日:2007/06/22) __ 世界中を震撼させた毒殺事件の驚くべき真相! リトビネンコの友人と未亡人が描く衝撃のノンフィクション。 日英米同時刊行 (※追加5へ)。

ウィキペディアから … アレクサンドル・リトビネンコ Alexander Litvinenko (1962年8月30日 - 2006年11月23日) は、元露市民で、ソ連国家保安委員会 (KGB)、露連邦保安庁 (FSB) の元職員。 階級は元中佐 (※追加6へ)。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
元ロシアスパイの毒殺事件を巡って、英ロが外交官を国外追放などの報復合戦をしています。 英捜査当局の容疑者引き渡しに応じようとしないロシアには、この暗殺事件を解決しようという気がないと疑わざるを得ません。

加えて リトビネンコが「99年に300人近い死者を出した露高層アパート連続爆破事件」は FSB が仕組んだ偽装テロだと証言したり、遺書のなかで プーチン大統領を毒殺事件の黒幕と名指ししているため、ロシアの現政権にとっては煙たい存在だったことは明白ですね。

もし これらのことが真実だとしたら、ロシアの現政権が崩壊するのは眼に見えています。 けれど、それはまだ証明された訳ではありません。

プーチン政権に批判的な報道をしていたジャーナリスト アンナ・ポリトコフスカヤが06年10月、モスクワ市内の自宅アパート建物エレベーター内で射殺体で発見されました。 リトビネンコが死亡したのは翌月です。
………………………………………………
昔 35年前 米国でウォーターゲート事件が発生し、ニクソン大統領が盗聴に関与していたことが明らかになり、大統領を辞任しています。

米国では大統領が犯罪を犯しました。 ロシアではそのようなことはない、とはいいきれないことをこの毒殺事件は暗示しているのかも知れません。

そのような疑いを晴らすためにも、ロシア当局は英国の捜査に積極的に協力すべきだと思います。

以上 (2006年11月30日「1たす1は幾つ?」も参照下さい)

新事実が出てきたようです __ 以下は後日追加した記事内容です。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「『プーチン氏の関与は嘘』毒殺ロシア将校の父謝罪」(12年2月4日 ロシア・トゥデイ/テレビ朝日系) _ 5年前に毒殺されたロシア情報機関の元将校・リトビネンコ氏の父親が、「殺害はプーチン氏の仕業」といってきた内容は作り話だったと告白し、ロシア政府に謝罪しました。

ロシア連邦保安庁元将校・リトビネンコ氏の父親:「プーチン、あなたについて書いた誹謗中傷の記事を許して下さい。 あなたへの憎しみから私が書いた記事は、作り話だったことを許してほしい」
 
ロシア連邦保安庁の将校だったリトビネンコ氏は2006年11月、ロンドンで何者かに放射性物質のポロニウムを飲まされ、殺害されました。 イギリスに亡命後のリトビネンコ氏が、プーチン政権のチェチェン政策などへの批判を繰り返していたこともあり、ロシアの情報機関の関与が取り沙汰されていました。

リトビネンコ氏殺害容疑で英国が手配中のルゴボイ氏:「この告白により、事件がロシアの信用を失墜させるための英国情報部による計画だったことが証明された。 彼らは失敗計画だったことが証明された。 彼らは失敗し、恥をかいた」

事件は、5年たった今も殺害の真相をめぐり、ロシアとイギリスとの間でしこりとなっています。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
でも この記事を読んで感じるのは、毒殺された元ロシア情報機関員の父親が、作り話だったと告白したと聞いても にわかに信じられません。 そういわせる何かの圧力が働いていないともいい切れません。 真相は益々藪の中に?

以上


以下は興味ある人のみ お読み下さい。

※追加1_ ゴルバチョフ元ソ連大統領は27日の記者会見で、元ロシア情報機関員アレクサンドル・リトビネンコ氏毒殺事件をめぐり、英ロが外交官追放合戦を演じていることについて「ここで立ち止まり、対話に戻る必要がある」と語り、これ以上の関係険悪化を食い止めるよう訴えた。
 
ゴルバチョフ氏はまた、事態沈静化に向けてロシアの政治家は過激な発言を慎む必要があるとも指摘。 プーチン大統領は先に「英国は脳みそを取り換えるべきだ」などと非難しており、 “後輩” に苦言を呈した格好だ。
………………………………………………
※追加2_ 露政府は19日、英外交官4人を国外追放すると発表した。 英政府が先に露外交官4人の国外追放を命じたことへの報復措置という。 露はまた、英外交官への査証の発給や、テロ対策での同国政府との協力関係を停止する。

英政府は、旧ソ連国家保安委員会 (KGB) の元スパイ、リトビネンコ氏が毒殺された事件で、露側が容疑者の身柄引き渡しを拒否したため16日に露外交官の追放を命じた。

露外務省のカムイニン首席報道官は、英国の当該外交官を召喚し「英国の露に対する非友好的措置に関連して」と記した文書を手渡したことを明らかにした。 また「モスクワにいる4人の英国大使館スタッフは好ましからざる人物 (ペルソナ・ノン・グラータ) であり、10日以内に露連邦の領土から退去しなければならない」と述べた。 外交官の氏名は公開されていない。
………………………………………………
※追加3 _ 昨年11月にロンドンで、露の元情報機関員、リトビネンコが放射性物質のポロニウムで毒殺された事件で、英検察当局は、露連邦保安局の元幹部、アンドレイ・ルゴボイを殺人の容疑者と断定した。 だが、露側は、ルゴボイの英国への身柄引き渡しは「露憲法に抵触する」として拒否している。

英検察当局は、動機などの詳細を明らかにしていない。 その答えは逃亡犯の送致要求に盛り込まれており、間もなく露にももたらされるだろう。

ルゴボイ自身は無実を訴えており、リトビネンコの死について、英情報機関か、露から英国に亡命し、リトビネンコと親交が深かった実業家のボリス・ベレゾフスキー、あるいは露のマフィアが関与していると主張している。

だが、その証拠は示していない。 では、英国の言い分どおりルゴボイが関与していたとすれば、どんな動機がありうるのだろうか。

一つめの仮説は、ロンドンでビジネスをしようとしたルゴボイに、リトビネンコが仲介料を要求したため、彼を始末したというものだ。 これは、現段階の情報から判断して彼が個人的にリトビネンコ殺害に及ぶ唯一の動機といえるだろう。 しかし、そのために数百万ポンドはするポロニウムを購入するのでは、あまりに高くつきすぎだ。

第二は核物質の取引である。 リトビネンコは金に困っており、ポロニウムを売ろうとした可能性がある。 ルゴボイにも話を持ちかけたかもしれない。 彼がポロニウムを購入し、その口封じとして毒を混入したとすれば、ルゴボイは殺人の容疑者となりうる。

第三の可能性は、復讐だ。 だが、リトビネンコの死は、露にもルゴボイがつながる特殊部隊にも何の利益もない。 第四に、亡命先の英国でプーチン批判を続けてきたベレゾフスキーがリトビネンコを邪魔に思い、旧知のルゴボイに殺害させた可能性も挙げられる。

ポロニウムによる殺害は発見が極めて困難で、英検察当局ですら当初は発見できなかったのに、リトビネンコの入院中から、ベレゾフスキーに非常に近いアレクサンドル・ゴリドファルブは、これが毒殺であり、用意したのは露特殊部隊だとの発言を繰り返していた。

彼こそが、リトビネンコに代わって露と特殊部隊を弾劾し、死の床にある被害者の遺書を読み上げた当人である。 それゆえに、ゴリドファルブの役割は、今後も見守るべきものがある。 _イズベスチヤ(露)より。
………………………………………………
※追加4 _ 英政府は16日、露外交官4人の国外追放を命じた。 旧ソ連国家保安委員会 (KGB) の元スパイ、リトビネンコ氏が毒殺された事件で露側が容疑者の身柄引き渡しを拒否したため。

露政府は、外交官の追放を「背徳行為」と非難、報復措置を講じる方針を示した上で、「露と英国の関係に極めて深刻な結果をもたらす」恐れがあると表明した。
 
外交官の追放は1996年以来初めて。 英政府は露政府関係者の入国を難しくする措置も講じるほか、他の問題に関する協力関係も見直す方針。 露と欧州連合 (EU) 全体の関係に悪影響が出る可能性もあるとも表明した。

ただ、インタファクス通信は、モスクワの情報筋の発言として、露側が必ずしも報復措置を講じるとは限らないと報道。

アナリストの間でも、今回の国外追放は露側から強い反発を招くが、両国の経済関係に影響するほどエスカレートすることはない、との見方が出ている。

バーミンガム大学の露専門家デレク・アベリー氏は「事態が急激にエスカレートすることはないだろう。 露側の利益にならないためだ」と述べた。
………………………………………………
※追加5 _ 佐藤優氏 (『自壊する帝国』の著者) 推薦「プロのスパイの世界がいかに恐ろしいかが本書からわかる。 リトビネンコは優しすぎた」_ 06年11月23日、元 FSB (ロシア連邦保安庁) 中佐リトビネンコがロンドンで変死した。 彼の体内からは、猛毒の放射性物質ポロニウム210が大量に検出され、ロンドン警視庁は毒殺が企てられたものとして捜査を進めていく。

そして07年5月22日、英検察当局は元 FSB 将校アンドレイ・ルゴボイを殺人罪で起訴すると発表した。 世界の耳目を集めるこの暗殺事件はなぜ起きたのか? リトビネンコは、FSB によるオリガルヒ (新興財閥) のベレゾフスキー暗殺計画を内部告発して当局の反発を招き、トルコから英国へ亡命、ロンドンで露政府に対する反体制活動を続けてきた。

本書はそのリトビネンコの生涯を克明に綴ったもので、暗殺の背景にあるものとして、リトビネンコ、ベレゾフスキーを中心とする反体制派と、FSB、その背後にいる大統領プーチンとの対立の構図を浮かび上がらせていく。 そして泥沼のチェチェン紛争に絡んだ謀略、相次ぐジャーナリスト、政治家の暗殺も白日のもとに晒す。

リトビネンコの友人でイギリスへの亡命を手助けしたアレックス・ゴールドファーブと未亡人マリーナが、世界を震撼させた暗殺事件の真相を描く話題のノンフィクション。
………………………………………………
※追加6_ 経歴
1962年に露のヴォロネジに生まれた。 80年、中学校卒業後、軍に召集。 88年から KGB の防諜部門に勤務。 91年からロシア保安省 (MB)、露連邦防諜庁 (FSK)、FSB の中央機構で勤務。 専門は、テロ対策と組織犯罪対策。 97年、FSB 組織犯罪組織工作・活動阻止局の先任作戦職員、第7課副課長。

98年11月、局の同僚7人と共に記者会見を開き、97年11月に局長エフゲニー・ホホリコフ少将とアレクサンドル・カムイシュニコフ大佐がボリス・ベレゾフスキーとミハイル・トレパシュキンの暗殺を口頭で指示し、彼らは、命令を拒否したと発表した。 

また彼は、FSB の一部幹部職員が 政治的脅迫や契約殺人 (つまり殺し屋) などの犯罪活動に FSB を利用していると告発した。 それ以来、彼は脅迫を受けるようになった。ウラジーミル・プーチンは当時、FSB 長官を務めていた。

99年3月、権限踰越の容疑で逮捕され、レフォルトヴォ拘置所に収監。 同年11月、無罪となったが、無罪判決の言い渡し直後に FSB 職員により別件逮捕され、ブトゥイルスカヤ刑務所に収監。

2000年、犯罪構成要件の不在により裁判は停止されたが、3度目の刑事告発が行われた。 今度は、出国しないという条件の下で釈放された。

2000年11月1日に彼は、政治的弾圧を非難して、露からトルコ経由で英国に亡命した。 このため、4度目の刑事告発が行われ、02年、欠席裁判において禁固3年半 (執行猶予1年) の判決が下された。 06年10月に英市民権を得た彼は、露のプーチン政権と、チェチェンに対する露政府の対応を徹底的に批判する。

02年に Yuri Felshinsky、Geoffrey Andrews と『Blowing Up Russia : Terror From Within』を共著。 そのなかで彼は、「99年にモスクワなど露国内3都市で発生し、300人近い死者を出した露高層アパート連続爆破事件は、チェチェン独立派武装勢力のテロとされたが、 実は第2次チェチェン侵攻の口実を得ようとしていたプーチンを権力の座に押し上げるため FSB が仕組んだ偽装テロだった」と証言した。

*同年の「ルビヤンカの犯罪集団」(Gang from Lubyanka)(2002年) ではプーチンが FSB 時代、自ら組織犯罪に手を染めていたと暴露。

03年には豪テレビ局の取材に対し、モスクワ劇場占拠事件の疑問点を指摘し、犯行グループの内2人は FSB の工作員だった可能性を指摘した。

彼は、FSB での活動に多くの経験をもつ一人であるため、プーチン大統領に対する彼の批判をよく思わない敵がいるモスクワからの手配者リストに載っているとされていた。

加えて、露内務省の特殊部隊「ヴィチャージ」の射撃訓練で、彼の顔写真を標的に使っていたことが、英国の報道等で発覚している。

中毒死事件
06年11月1日に、彼は、プーチン政権に対し、批判的な報道姿勢で知られたジャーナリスト:アンナ・ポリトコフスカヤの射殺事件の真相を究明する為、イタリア人教授:『マリオ・スカラメッラ』(事件後、『武器密輸』『国家機密漏洩』の罪状で、イタリアはナポリの空港で逮捕された) と名乗る人物と、ロンドンのピカデリーサーカス周辺の寿司レストランで会食後、体調が悪化、病院に収容された。

11月19日、英マスコミは、タリウム中毒が疑われ、プーチン政権による毒殺未遂の可能性が濃いと報道、翌日リトビネンコは集中治療室に移された。

ロンドン警視庁 (スコットランドヤード) の対テロ捜査部門は、毒殺が企てられたものとして捜査を開始。 11月22日病院側は,毒物はタリウム以外の放射性物質であると発表した。

露大統領府のペシコフ副報道官は、「リトビネンコ氏の毒殺未遂事件に露政府が関与するなどあり得ない。 全くばかげたことだ」 と反駁した。

彼は、集中治療室に収容されていたが、11月23日に死亡した。 享年44。

11月24日の BBC 放送は、彼の体内から、ウランの100億倍の比放射能を有する放射性物質のポロニウム210が大量に検出されたと報じた。 ポロニウム210が体内に取り込まれた場合、アルファー線を被曝することになる。

大量のポロニウム210を人工的に作るには、原子力施設など大がかりな設備が必要とされる。 英外務省は同日、フェドトフ駐英ロシア大使を通じ、事件関連情報の提供をロシア政府に要求した。

25日付の英紙タイムズは、英国内務省の防諜機関で国内の治安を担当する情報局保安部 (MI5/SS9 と英国外務省の対外諜報機関:情報局秘密情報部 (MI6/SIS) も捜査に加わったと報道。 同紙は、「動機、手段、機会の全てが FSB の関与を物語っている」と指摘した。

捜査当局は同日、リトビネンコの自宅と彼が事件当日に紅茶を飲んだといわれるロンドン市内のホテルと寿司屋を捜索し、この3カ所で放射性物質の痕跡を確認。 英内務省と健康保護庁は緊急ホットラインを設け、寿司屋やホテルのバーを利用した市民に放射能を探知するための尿検査を受けるよう呼びかけた。 中には日本人観光客らも被害を受けた可能性があるとも報じられた。

ロンドン警視庁は27日、プーチン大統領と敵対し、同国に亡命している露の政商ベレゾフスキーの事務所から、ポロニウム210の痕跡が検出されたと発表した。 露国内では、ベレゾフスキーが毒殺に関与したとの見方をした。 29日付の露紙イズベスチヤは、リトビネンコが核物質密輸を行っていた可能性があると報じた。

11月29日、英国の航空会社:ブリティッシュ・エアウェイズ (BA) は、欧州便22機から、少量の放射線反応があったことを発表、10月25日以降の合計221便に搭乗した合計 3万3000人 余りに対し、保健省緊急窓口への連絡を要請した。便名は自社のウェブサイトで公表している。

21日に作成されたリトビネンコの遺書は、25日に公表された。 その遺書のなかで、プーチン大統領を名指し、「冷酷者プーチンよ、あなたは一人の人間を黙らせることに成功したかもしれない。 だがプーチンよ、あなたの耳には終生、世界中の人々の抗議の声が響き続けよう」と警告。 更に、「あなたは、自らの野蛮で冷酷な一面を示したのだ」と指摘して、プーチン大統領を激しく糾弾した。

07年1月に、リトビネンコの中毒死事件を題材にした映画をジョニー・デップがプロデュースし、制作すると報じられた。

英警察当局は、07年1月20日リトビネンコの毒殺の容疑者を確認したと発表する。 5月22日に主犯とされる旧ソ連国家保安委員会 (KGB) 元職員アンドレイ・ルゴボイ容疑者を殺人罪で告発し、露政府に対し身柄引き渡しを求めた。

これに対し 露側は、07年7月5日に憲法により露の市民の受け渡しは出来ないとして拒否する。 これに対し抗議として英国は露外交官を4人国外追放する。 露はそのさらに報復として英外交官を4人追放する。 このように、英側は殺害されたとの見方を固めているが、露側が拒否するという状況が続いている。

以上

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。