シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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呪われたヴァイオリン (5) ベルゲン博物館

2012年12月08日 | 音楽関係の本を読んで
写真は映画「レッドヴァイオリン」から。
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「呪われた名器チェリーニ」からの紹介です。 呪われたヴァイオリン (1)~(4) からお読み下さい。
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レスリー伯爵の次に、クレメントがこのガスパロの楽器を愛用した。 彼は19世紀前半に活躍したヴァイオリニストで、ベートーヴェンは有名な協奏曲を彼のために書いた。 クレメントは1813年プラハ歌劇場の楽長になり、四年後にウィーンへ戻って、その後7年間はヨーロッパ各地の演奏で名声を博した。

その後、「ガスパロの楽器」を手に入れてからは大酒呑みになり、人を避け、公開の場でも演奏しなくなった。 一時はヴァイオリンの先生をしていたが、アル中のため弟子も来なくなり、最後には酒場でひいて食いつないだ。 1842年酒場での演奏中に脳出血で倒れた。

死ぬ数年前に金に困って、愛器「ガスパロ・ダ・サロ」をかつての弟子マルギッターに売った。 彼女は若い有望な女流ヴァイオリニストで、この楽器を使ってウィーンでデビューして間もなく ウォラコフ伯爵と駆け落ちし、楽器ともども行方不明になった。 

伯爵はその後 落ちぶれて彼女の愛器をワルシャワでユダヤ商人に売り払った。 マルギッターのその後は全く不明だった。 ユダヤ商人はウィーンで売り出し、エンツマイヤー宮廷顧問官が入手した。
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19世紀ノルウェーのヴァイオリニスト オーレ・ブルのウィーンでの演奏会と演奏会の間の日に、宮廷顧問官がこの楽器をブルに手渡し、「このチェリーニのヴァイオリンの呪いを解いてやってほしい」と名前も告げずに立ち去った。 ひいてみて素晴しい音色にすぐにとりこになったが、ぐったりと疲れてしまった。

しかし 次の演奏会ではいくら力を込めてひいても全く疲れず、陶酔させるような音が出た。 次いで米国演奏旅行で得た莫大な収益金を詐欺師にあってなくしてしまい、ノルウェーに帰る旅費にも事欠いてニューヨークの蒐集家に愛機を買い取ってもらい、やっと帰国した。

後にノルウェーのある金持ちがブルのために買い戻してくれた。 1880年ブルが亡くなった後、未亡人は誰にもひかせないという条件で 1901年ベルゲン博物館に寄贈した。
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いかがですか? 不幸を呼ぶ「呪われたヴァイオリン」の話は。 冷や汗が出て涼しくなったでしょうか? この文を入力している最中に、私の部屋のどこかで ガ タ ッ と 不 審 な 音 が聞こえました … 

私はチェリーニのヴァイオリンの渦巻きが天使の頭の彫刻となっているために、演奏者は演奏中にこの天使に見詰められるような感覚に陥り、それが重音のときなどで他人が弾くような錯覚になってしまうのではないか、と想像します。 演奏中には視線がどうしても駒から指板へ行き、その先に渦巻きがありますから、そこに顔があれば …

今日はここまでです

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