
左はモーツァルト:クラリネット五重奏曲 (イラストはオリジナルだがブラームスの文字が加えられた復刻 CD 版ジャケット)、右はブラームス:クラリネット五重奏曲 (オリジナル LP ジャケット)。 中央はウラッハ。 どちらもウィーン・コンツェルトハウス四重奏団が加わる。
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かつて存在したウエストミンスター・レーベルの室内楽はそれなりに評価されていたようですが、時代とともに新鮮味がなくなり、ほぼ忘れられた存在でした。 ウラッハのクラリネット五重奏曲やバリリ四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲などは、昔は評価が高かったようですが、段々取り上げる評論も減っていったように記憶しています。
しかし 1990年代だったと記憶していますが、日本のレコード会社の女性スタッフが音源を追跡して渡米、ついに倉庫の奥からオリジナル・マスターテープを探し出し、復刻 CD として世に出すと、これが評判になりました。
まるでインディ・ジョーンズ映画『失われたアーク』の世界みたく、あの映画の最後には貴重な遺物が梱包され、広大な倉庫の奥にしまわれてしまい、もうこれを探し出すのは無理だろうと思わせるようなシーンがありましたね。 その何十年も忘れられていたテープを探し出してきたのですから、スタッフの発掘にかける執念は大した物でしたね。
肝心の演奏ですが、モーツアルトの弦楽器奏法は今出回っている現代の演奏スタイルと少し違う箇所があります。 それも魅力の1つです。 ブラームスは違っていませんね。 ダイナミックレンジは広くはありませんが、室内楽そのものが広い帯域を必要としないので、この半世紀以上前の、しかもモノーラルの1951、52年録音でも何ら不満を感じません。
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【ウエストミンスター室内楽名盤 BOX】 1949年にニューヨークで創設され、短期間に綺羅星のごとく名録音の数々を残したウエストミンスター・レーベル (※追加1へ)。
海外旅行紀行・戯言日記から __『ウィーン・フィル 音の響きの秘密』-文春新書 (中野 雄著) __ 1950年代から1960年代に掛けて、世界は戦火の傷痕未だ消えやらず、人々も貧しかったが、人類には夢があった。 その証の一つがウェストミンスターというマイナー・レーベルの LP の溝に刻まれたバリリのモーツアルト、ベートーベンであった (※追加2へ)。
「ウィーン・フィルハーモニー ~その栄光と激動の日々」野村三郎 著 (中央公論新社) 冒頭のウェストミンスターの原盤発掘のくだりからグイと惹きこまれる! この本全体からウィーンの香りが漂うような文章は秀逸。 今のウィーンフィルの音が長い年月と栄光・苦渋の歴史の上にあること痛感できる一冊。 ウィーンフィルファンなら絶対読むべき、お勧めです!(2ch.net)
レオポルト・ウラッハ (Leopold Wlach 1902〜56年) は、オーストリアのクラリネット奏者。 ウィーン生まれ。 1928年からウィーン国立歌劇場およびウィーン・フィルの首席奏者、ウィーン・フィル管楽器アンサンブルの主宰を務めた。 ウィーンにて没。
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蛇足ですが オケものもありましたが、ウエストミンスターは室内楽が多かったようですから、枚数はあまり出なかったのでしょう。 クラシックの中でもマイナーですからね。 どうしても人気はオケもの、シンフォニーですが、録音にコストがかかる、それで新興レーベルは室内楽が中心になる傾向があります。 でもそうなると売れない。 経営者の悩むところですね。
以上
※追加1_ 創設の中心メンバーであったジェイムズ・グレイソンがイギリス人で、もともとロンドンのウエストミンスターのそばに住んでいたので、「ウエストミンスター」と命名されました。
創設当初の中心的なアーティストは、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団とウィーン・フィルハーモニー木管グループで、1952年からはこれにバリリ四重奏団が加わりました。 彼らはみなウィーン・フィルやウィーン交響楽団など、ウィーンで活躍していた演奏家たちでした。 この初期の室内楽は、録音から50年以上も経た現在に至ってもいまだその輝きを失うことなく、名演の誉れ高い演奏です。
ウエストミンスターは、その演奏内容と録音の良さでアメリカ新興レーベルの中で傑出した評価を勝ち得ていましたが、次第に資金繰りに行き詰るようになり、次々とオーナーが変わっていき、いつのまにか「幻のレーベル」として人々から忘れ去られて行きました。 そしてその後は、日本の MCA ビクター・スタッフが、ニューヨークのビクターの倉庫にマスターテープを発掘しに行き、「幻のレーベル」が見事蘇ったのです。 オリジナルテープから復刻された CD は、一大センセーションを呼び起こしました。
現在ウエストミンスター・レーベルはユニバーサル傘下に入り、2007年は様々な形で珠玉のウエストミンスター録音を再発売していきます。 今回は、創立初期の最も話題を呼んだ室内楽作品を BOX でリリースします。(ユニバーサル・ミュージック)
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※追加2_ 会社が消滅したのか、身売りであったのか分かりませんが、新譜がリリースされなくなってからも、音源は日本の大手レコード会社を転々とし、再発は繰り返された。 しかし マスターテープの素性はいかがわしく初期輸入盤と較べると、音質の劣化は覆いがたいものとなりました。
ある日本人が「消滅した」といわれていたオリジナルのマスターテープを求めてアメリカに渡り、何処かの倉庫に眠っていた数万本の録音テープの山の中から、初期カッティングに使われた音源の一部を発見したのです。
「日本人の執念、優れた感性の証左」とウィーンの音楽関係者は口を揃え賞賛しました。 バリリ自身は「私の生きた証が永遠に遺る」と、復刻された音鮮やかな CD を耳にして驚喜したのです。
1959年に右肘故障で、盛名の頂点で演奏家引退となったバリリにとっては「人生は前向きに生きるべきだ。 きっと良いことがある!」と感慨深かったのでしょう。 蘇った演奏を聴き直して驚くのは、この時代の音楽は、一挺のバイオリンで何と多くのことを語り得たのだろうという、情報密度の高さであった。
以上
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かつて存在したウエストミンスター・レーベルの室内楽はそれなりに評価されていたようですが、時代とともに新鮮味がなくなり、ほぼ忘れられた存在でした。 ウラッハのクラリネット五重奏曲やバリリ四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲などは、昔は評価が高かったようですが、段々取り上げる評論も減っていったように記憶しています。
しかし 1990年代だったと記憶していますが、日本のレコード会社の女性スタッフが音源を追跡して渡米、ついに倉庫の奥からオリジナル・マスターテープを探し出し、復刻 CD として世に出すと、これが評判になりました。
まるでインディ・ジョーンズ映画『失われたアーク』の世界みたく、あの映画の最後には貴重な遺物が梱包され、広大な倉庫の奥にしまわれてしまい、もうこれを探し出すのは無理だろうと思わせるようなシーンがありましたね。 その何十年も忘れられていたテープを探し出してきたのですから、スタッフの発掘にかける執念は大した物でしたね。
肝心の演奏ですが、モーツアルトの弦楽器奏法は今出回っている現代の演奏スタイルと少し違う箇所があります。 それも魅力の1つです。 ブラームスは違っていませんね。 ダイナミックレンジは広くはありませんが、室内楽そのものが広い帯域を必要としないので、この半世紀以上前の、しかもモノーラルの1951、52年録音でも何ら不満を感じません。
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【ウエストミンスター室内楽名盤 BOX】 1949年にニューヨークで創設され、短期間に綺羅星のごとく名録音の数々を残したウエストミンスター・レーベル (※追加1へ)。
海外旅行紀行・戯言日記から __『ウィーン・フィル 音の響きの秘密』-文春新書 (中野 雄著) __ 1950年代から1960年代に掛けて、世界は戦火の傷痕未だ消えやらず、人々も貧しかったが、人類には夢があった。 その証の一つがウェストミンスターというマイナー・レーベルの LP の溝に刻まれたバリリのモーツアルト、ベートーベンであった (※追加2へ)。
「ウィーン・フィルハーモニー ~その栄光と激動の日々」野村三郎 著 (中央公論新社) 冒頭のウェストミンスターの原盤発掘のくだりからグイと惹きこまれる! この本全体からウィーンの香りが漂うような文章は秀逸。 今のウィーンフィルの音が長い年月と栄光・苦渋の歴史の上にあること痛感できる一冊。 ウィーンフィルファンなら絶対読むべき、お勧めです!(2ch.net)
レオポルト・ウラッハ (Leopold Wlach 1902〜56年) は、オーストリアのクラリネット奏者。 ウィーン生まれ。 1928年からウィーン国立歌劇場およびウィーン・フィルの首席奏者、ウィーン・フィル管楽器アンサンブルの主宰を務めた。 ウィーンにて没。
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蛇足ですが オケものもありましたが、ウエストミンスターは室内楽が多かったようですから、枚数はあまり出なかったのでしょう。 クラシックの中でもマイナーですからね。 どうしても人気はオケもの、シンフォニーですが、録音にコストがかかる、それで新興レーベルは室内楽が中心になる傾向があります。 でもそうなると売れない。 経営者の悩むところですね。
以上
※追加1_ 創設の中心メンバーであったジェイムズ・グレイソンがイギリス人で、もともとロンドンのウエストミンスターのそばに住んでいたので、「ウエストミンスター」と命名されました。
創設当初の中心的なアーティストは、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団とウィーン・フィルハーモニー木管グループで、1952年からはこれにバリリ四重奏団が加わりました。 彼らはみなウィーン・フィルやウィーン交響楽団など、ウィーンで活躍していた演奏家たちでした。 この初期の室内楽は、録音から50年以上も経た現在に至ってもいまだその輝きを失うことなく、名演の誉れ高い演奏です。
ウエストミンスターは、その演奏内容と録音の良さでアメリカ新興レーベルの中で傑出した評価を勝ち得ていましたが、次第に資金繰りに行き詰るようになり、次々とオーナーが変わっていき、いつのまにか「幻のレーベル」として人々から忘れ去られて行きました。 そしてその後は、日本の MCA ビクター・スタッフが、ニューヨークのビクターの倉庫にマスターテープを発掘しに行き、「幻のレーベル」が見事蘇ったのです。 オリジナルテープから復刻された CD は、一大センセーションを呼び起こしました。
現在ウエストミンスター・レーベルはユニバーサル傘下に入り、2007年は様々な形で珠玉のウエストミンスター録音を再発売していきます。 今回は、創立初期の最も話題を呼んだ室内楽作品を BOX でリリースします。(ユニバーサル・ミュージック)
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※追加2_ 会社が消滅したのか、身売りであったのか分かりませんが、新譜がリリースされなくなってからも、音源は日本の大手レコード会社を転々とし、再発は繰り返された。 しかし マスターテープの素性はいかがわしく初期輸入盤と較べると、音質の劣化は覆いがたいものとなりました。
ある日本人が「消滅した」といわれていたオリジナルのマスターテープを求めてアメリカに渡り、何処かの倉庫に眠っていた数万本の録音テープの山の中から、初期カッティングに使われた音源の一部を発見したのです。
「日本人の執念、優れた感性の証左」とウィーンの音楽関係者は口を揃え賞賛しました。 バリリ自身は「私の生きた証が永遠に遺る」と、復刻された音鮮やかな CD を耳にして驚喜したのです。
1959年に右肘故障で、盛名の頂点で演奏家引退となったバリリにとっては「人生は前向きに生きるべきだ。 きっと良いことがある!」と感慨深かったのでしょう。 蘇った演奏を聴き直して驚くのは、この時代の音楽は、一挺のバイオリンで何と多くのことを語り得たのだろうという、情報密度の高さであった。
以上