シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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呪われたヴァイオリン (2) ガブリエリ

2012年12月08日 | 音楽関係の本を読んで
2006年7月15日投稿分__

「呪われた名器チェリーニ」からの紹介です。 呪われたヴァイオリン (1) からお読み下さい。
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ゼノビアの死後、枢機卿はできるだけ音楽を聞くのを避けていたが、20年以上経って70歳の時、彼女の命日をヴァイオリンの演奏で祝ってやりたいと考え、当時のヴェネツィアの名ヴァイオリニスト ガブリエリを別荘に招き、彼女の愛器を弾いてもらうことにした。

ガブリエリは自分の楽器の弦をガスパロの楽器に付け替え、弾き始めた。 楽器は昔通りに素晴しく響いた。 ガブリエリは夢中になって色々な曲を次から次へと演奏し、目は狂ったようになり、顔が真っ青になって、息がつまりそうになり喘ぎ始めた。 そして めまいがしてひき続けられなくなり、へなへなと椅子にもたれかかり、楽器を脇においてうめき始めた。

暫くしてガブリエリはいった __「この楽器には魔法がかかっており、目に見えない炎のようなものが楽器の中で燃えているようです。 それから逃れるため、狂ったようになって弾かねばなりませんでした」

ガブリエリは弱った体が快復するまで、数日間 別荘に留まり、ヴェネツィアに帰っていった。 ガスパロの楽器をひくと、おかしくなるのはゼノビアだけでなく、チェリーニの手にかかってから何か呪いがかかっていることを知った枢機卿は、悪魔払いの呪文を探し出してきて、礼拝堂で香をたき、祈りを捧げながら呪文を一週間唱えた。

数年後 枢機卿はチロルへ旅に出たが、途中で病気になり、死期が近づいたのを知った枢機卿は持ってきたあの楽器をインスブルックの博物館に寄贈した。

彼の死後 ガスパロの楽器はインスブルック郊外のアンブラス城に運ばれ、図書館に置かれて、1646年まで埃をかぶっていた。 さて次は … (つづく)

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