今から800年以上前に書かれた
「鴨長明の方丈記」の一節
京都の大火事とコロナウィルスが
妙にダブってなりません
両方ともに人災です
『さる安元三年(1177年)四月二十八日だったろうか。風が激しく吹き、騒々しい夜、戌(いぬ)の時(午後7~9時頃)、都の辰巳(東南)の方向から出火し、戌亥(北西)の方向に広がった。最後には朱雀門、大極殿、大学寮、民部の省まで燃え広がって、一晩のうちにすべて灰になってしまった。
火元は樋口富小路であったそうだ。強く吹く風に火勢は増し、燃え広がる様子は、扇を広げたように、末になるほど広がっていった。遠い家でも煙にまかれ、近い家ではただ炎を地面に吹き付けるばかりだ。
空は灰が吹き上げられるので、炎の光が照り映え、一帯が紅いに染まる。その中を、風に吹き切られた炎が一・二町を越えて飛び火していく。それに巻き込まれた人々は正気でいられただろうか。あるものは煙にまかれて倒れ伏し、あるものは炎に包まれてたちまち絶命してしまった。
身体一つでかろうじて逃れたものは、家財を運び出すことはできなかった。貴重な財宝も塵となってしまった。その損害はどれほど莫大だったろうか。この大火で公卿の十六の館が焼けた。その外の焼けた家は数知れない。都の三分の二にもおよんだということだ。男女死んだ者数千、馬牛のたぐいは数知れない。
人がなす営みはみな愚かなものだが、これほど危険な京のなかに家を作ろうと財を費やし、心を悩ますことは、大層愚かしいことなのだ。…』
2020年3月
コロナウィルスに想う
笠原 道夫
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