*『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。7回目の紹介
『原発ゼロ』著者小出裕章
原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。
原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。
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**『原発ゼロ』著書の紹介
「第2章 もはや東京の一部も放射線管理区域」P68~ より
取り残された人々
事故を受けて日本の政府は初め、半径3キロメートル以内の住民たちに避難しなさいと指示を出しました。「パスを差し向けるから、そのバスに乗って避難場所に行きなさい」と言いました。その人たちは、バスに乗って避難して行きました。
しばらくしたら、半径10キロメートル以内の住民たちに対して、「万一のことを考えて避難しなさい」という指示を出しました。指示されたこの人たちも、迎えに来たバスに乗って避難所に行きました。
またしばらくしたら、「万が一のことを考えて、半径20キロメートル以内の人は避難しなさい」という指示を出しました。そして指示を受けた住民たちは、これも迎えに来たバスに乗って避難所に行きました。
そして、さらにしばらくして、今度は日本の政府は、「半径30キロメートル以内の人は自主避難しなさい」という指示を出したのです。
ここで、半径20キロメートルと30キロメートルの間がどのように汚染されているか、再び図9(67ページ)で確認してみてください。低いところでも6万ベクレル、高いところでは300万ベクレル以上汚染されています。本来ならば、すぐにでも強制的に避難をさせなければならないはずのところです。
しかも、3・11で受けた被害は、放射能汚染だけではありませんでした。巨大な地震があって、津波に襲われて、市や町や村が、もうボロボロになっている、電気もとまっているし、お店も閉まっている。ガソリンスタンドだって閉まっている。道路はほとんど通れない。バスが来て避難所に連れて行ってくれれば、まだ避難できるかもしれませんが、「逃げたかったら勝手に逃げろ」と言われて逃げられる状況ではありませんでした。
そもそも放射能汚染というのは、先ほど読んでいただいたように風に乗って広がるのであって、原子力発電所を中心にして均等に広がるわけではありません。それなのに日本の政府は、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)も持ちながら、その情報を隠し、一律に原子力発電所からの距離で線引きして避難指示を出しました。
そのため特に大変な被害を被ったのが、飯舘村の人たちでした。飯舘村は、北西に延びる、猛烈に汚染されたエリアの先っぽにあります。半径30キロメートルから外れたところです。そのため、原発事故から数ヶ月も経ってから、「大変な量の放射能の汚染されていて、もう住めないから出て行け」と、突然言われてしまいました。日本一美しい山村と呼ばれ、自分たちの村は自分たちでつくると言って、原発からの恩恵は何も受けていない村でした。
※続き『原発ゼロ』著書の紹介は、12/8(火)22:00に投稿予定です。