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塩谷直子

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気品高く、常にゴージャス。私の王女様であります羽村ダンススクール中原千景先生よりバトンを受け取りました、小俣ダンススタジオwithミントの塩谷直子でございます。

そして、記念すべきjpclブログ初登場であります!!書面でのご挨拶で大変恐縮ではございますが、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

私ども鈴木幸一と共に今年度JCFに移籍致しまして、初の競技会でありました2020年1月19日を最後に、現在まで表舞台の機会を奪われておりますが、また輝くライトの下で皆さまと共に踊る日を心待ちにしているこの頃です。

さて、自己紹介を兼ねて私の思い出話を少々。
私は昨年までマレーシアで日本語教師を行いながら、月に一度は日本を行き来すると言う、今では考えられない程の慌ただしい生活を送っていました。

マレーシアは一般的に英語が通じますが、公的な手続き、例えば長期滞在ビザを取る、運転免許証を作成する際には現地語のマレーシア語で書類を作成しなくてはなりません。ですので、生きる為に最初の一年は必死でマレーシア語を覚えました。マレーシア語イコールインドネシア語でもありますので、覚えてしまえば2カ国を楽しむことができました。

そして、二年目は商売相手となる華人に騙されない為にも中国語をがむしゃらに勉強しました。これはさすがに一筋縄とは行かず、自宅に家庭教師の先生を週に4時間、上海に留学へも行き、ボランティアで毎朝近所の公園で華人女性を集めてダンスやバレエ、ピラティスを教え、その後彼女達とランチに行き、WeChat のグループで四六時中連絡を取り合い…と密な生活を数年間続けていました。後にそのボランティア活動が認められ、新聞に掲載されるなど表彰を受けました。これ勉強の成果より良い思い出です。笑

また、私が勤務していたケンブリッジ系列のインターナショナルスクールではもちろん英語以外は禁止でしたので、3歳から20歳までの生徒達に、いつも優しく!時には叱る。特にこの叱る英語、きちんと学んでこなかった分非常に苦労しました。人種間同士の揉め事も多く常に国際会議。子どもでも宗教、自国文化の違いが色濃くて、常々日本って平和だな〜。と日本人として感謝してました。
他にも朝の市場では南インドのタミル語を用いてお買い物をしたりと、多言語国家ならではの楽しさがありました。

現在は、16歳と13歳の2人の娘が日本の高校卒業資格を取得する為に本帰国となりましたが、今後は日本を拠点にお役に立てる事があれば、そしてまた自由に海外を行き来出来る日を待ち望んで、語学を維持して行きたいと考えています。そして、仲良くなるパスポートは常にダンス!ダンスがあるからこそ世界が繋がるのだと思い出に浸りながら、、

お次は、細身の身体からは想像出来ないほどの強いハートで人命も救う、皆様の救世主mImI dance の坪井みみ先生へバトンをお引き継ぎ致します。
みみ先生、この度はバトンを受け取ってくださりありがとうございます。
宜しくお願い致します。





チャリティでダンスを披露しました。





日本語教師として。




マレーシアの自宅からの景色。





ダンスを世界中の方々に!



【真・管理人から皆様へ】

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