JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

プライバシー権と

2005-07-18 07:53:27 | Book
 プライバシーとは私生活であるとした場合、その私生活の範囲はいかなるものであろうか。その範囲を公権力によって触れられない範囲とした場合、その領域は思う以上に狭いものとなる。それは情報化社会が進む現在、あらゆるものがコンピューターとの接続を通す必要上、データ化され記録されていることにかんがみれば、およそ私的領域というものは担保できないものであるからである。
このように捉えた場合、プライバシー権というものの射程範囲はどのように定義すればよいかが問題となる。
 
 そもそもプライバシー権というものは憲法上規定はなく、その根拠は憲法十三条に基づく幸福追求の権利の中に求められる。日本においては1964 宴のあと 事件一審判決において「私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利」としてだされたものが最初である。現在使われるプライバシー権は「自己に関する情報をコントロールする権利」として捉えられている。これは「個人に関する情報が行政機関によって集中的に管理されているという現代社会においては、個人が自己に関する情報を自らコントロールし、自己の情報についての閲読・訂正ないし抹消請求を求めることがひつようであると考えられるようになったことにもとづく。」(芦部118)
 
 人格権の一つとしてのプライバシー権の権利の名宛人は公権力であるが、プライバシー権の性質を 「自己に関する情報をコントロールする権利」として考えるならば、名宛人が公権力のみであることでは権利の保障に十分でないことが考えられる。一般私人、企業や団体もその名宛人となることなしには権利の保障は担保されない。そのいみで近時施行された個人情報保護法の意味は大きい。
 さてこのように一般私人にも求められるプライバシー保護という要求は、対公権力においてはよりいっそうの厳密さが要求される。それは多くの場合公権力がその強制力を持って個人情報を収集するという性格、さらにそれらを継続的に利用、管理していくことにかんがみて当然といえよう。
 
 このように考えられるプライバシー権 さて、これと監視カメラの相性はいかがか。

             JOHNY

生存権と成果主義賃金

2005-07-18 05:25:19 | マスメディア
成果主義で手取り二万円営業成績によって増減する給与制度で、六月の手取り額が約二万二千円となった富士火災海上保険(東京)の男性社員(52)が十五日、生存権を定めた憲法に違反するなどとして、三-五月の平均給与約二十一万九千円などの支払いを求める仮処分を東京地裁に申し立てた
 生存権に違反するという申し立てを東京地裁に。
さて憲法25条にある生存権 これにもとづく申し立てというのは 一般私企業と個人の間のものとしては適当ではない。
通常、私人間の争いは憲法が直接適用されない。
民法の不法行為や公序良俗というものに反するということで憲法を間接適用させるということで判断する。この事例もそのように解されるかとおもうが、一度、生存権というものの意味に立ち止まってみることも必要に思える。

 人間性が最高度に尊重される社会を私たちは念頭に置いている。現実がどのようであるかは各自が知るところだが、憲法25条に記される、 健康で文化的な最低限度の生活 をだれにでももたらすことを志向することに異論はないと考えたい。
そのような立ち場からいえば、憲法25条は具体的な権利を保障したものであって個人が直接的に国に対して権利請求できるという性格のものであるはずである。またその考え方として、私企業に最低限度の賃金を払わずにいられるような社会的法状態を看過している という国の立法不作為として考えれば当然に国はその責任を負うと考えられる。
 
とすれば今回事例は憲法訴訟として受け入れられる。
 現実にはそのようにはならず、おそらく異なる法的構成をとることになると思われるが。
つづく

                 JOHNY

テロ犯人と映像

2005-07-18 03:52:05 | マスメディア
世間知らず 新聞をピックアップしてくれています。

 イギリスでのテロ犯人の事件直前写真が公開されています。彼らが何十人もの命を奪った当事者なのでしょう。彼らのこと私たちが認識する必要があるかないかという問題、そのこととも関連し立ち止まって考えて見みたいのこと。
 あの映像はどこからでてきたものなのか。
街中、建物、コンビにニ店内、学校、駅の入り口、あらゆるところにカメラがついている現在、いったん事件が起こればそこに記録された映像が捜査のためとして公権力によってチェックされることが当たり前となっている。今回の例で見れば、これが犯人です と公開される。
 これはどういうことなのでしょうか。
犯人がわかってよかったね という安心感をもたらすものとして肯定すればよいのか。
おもうに映像の使い方として、ある事件の犯人探し という方法は考えられますが、よく考えれば事件が起こってからではその用益は薄い。事前に犯人を捕まえるために利用することを考えるのが、通常行き着く感覚でしょう。
 すでに今の技術で映像の中における人物特定は当然できるものとなっています。とすれば私たちの生活からおよそプライバシーの概念は消えていくことになるのではないか、と不安になります。
 不安を除去するためのカメラに不安を喚起される今日この頃。


               JOHNY