JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

12/5新聞から

2005-05-04 04:50:14 | Book
暴力に大小はなく、許される暴力は無いのだ、と作家の三浦しをん。12/5読書日記欄から
漫画 「夕凪の街 桜の国」と小説「ウエイクフィールド/ウエイクフィールドの妻」を紹介している。
両方のホンとも忘れてはいけない記憶 、留めつづけなければいけないことがあることを教えてくれるという評。
 世界でいったん失われたものは完全に回復することは不可能だから、せめてできることをしなければいけない。それが記憶するということだという。
 人にできることの貧弱さ世界の脆弱さにきづいてしまうことの苦しさ、たかが記憶かされど記憶か。
 今できることのひとつであることは確かだ。

            JOHNY

ゆれてみても

2005-05-04 03:55:58 | Weblog
 折れてしまうのではなくて大きくゆれるほうがいいのでしょう。
ホンの些細なできごとで、もういいかもとおもう。すっごく幸せだったりすると、このまま消えてもいいとおもう。
 ココロがゆれだすとじっとしていられなくなって、やがて現実とのズレに苦しくなる。
それでもゆれているうちは関係が続いてくれる・・・。
折れてしまっては花は咲きません。

           JOHNY

5月3日には

2005-05-04 02:48:34 | Weblog
 この日にはいろんなことを考え、イライラしたりします。
なんでここには(講演会)勉強しようとする人がいるのに、身の回りにはいないのだろう。
ツマンナイ毎日いい加減にして。
結局どこにもいないので一人で物を読み考えます。

と思うのが繰り返し。
退屈でしにそうなんです。精神は忙しいのにそれゆえに生じる退屈というジレンマ。
今年もですが。

一人がすきなの・・・もありますが、一人出なければ退屈がしのげないのです。
上野氏が言ってくれた、本の中にでも誰かいてよかったでしょ、独りじゃなくて良かったじゃない、とこの言葉は支えになっています。

ほんの少しだけ希望。
講演会に顔を出してくれた人がいるようでうれしかったりします。

               JOHNY

ミュージカルと

2005-05-04 01:39:01 | Weblog
ゴッドブレスユー
さそわれてミュージカルに行ってきました。
近時はゆっくり何かに向かい合うということができなくなっているので、ひさかたぶりの経験でした。
 水谷先生『夜回り先生』をベースにしているものなのであらすじは知っているもの。
これを誰かの表現ベースに乗せるとどんな風に異なったものになるのか。
まずまずだったかな。
本物の水谷氏を目にしたことがあると、演じられる水谷は、どうしても偽者感が出てしまい感情移入できない。
 演じるという限界がそこにある。今回のものに限らず演じるということは、シビアなトピックになればなるほど難しい。
 本物が背負う運命によってつくられる雰囲気というものは、生半可なことでは表現できるわけも無い。
 シビアなトピックならば本物らしさを追うのではなく、本物的行動を演者自身が行為した場合はどうかということを表現するのが適切かと思う。
 あらためて本物のすごさを意識させられた経験でした。
作品自体はわるいものではないけれど、聴衆のものにしきれていない中途半端さが気にはなりました。
 ワークショップとして進化しながらこれからも講演が続くと考えればまずまずでしょう。
ラストシーンは好感が持てる爽快なものなので後味はいいです。

               JOHNY