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モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

藤原帰一でレジュメ

2005-05-09 02:39:57 | Book
解題  
藤原帰一 戦争を記憶する(広島・ホロコーストと現在) 2001 講談社 


戦後60年という時間のなかで、過去にあった戦争というものは十分に記録され記憶され語られてきただろうか。
答えは論者によって様々かもしれない。ある人は過去のことは十分記録され語られたといい、またある人は本当のところは何も残っていないし、語られていないというかもしれない。このような言説の違いはどうして生じるのか。
思うに、それは残されてきたものにはある性質が伴っていることのよると考える。現在残っているものというのは、洗練されたものなのである。無数の事実があったなかで、より社会に受け入れられる形にそったものが残されていく。今現在私たちが目にするものは勝者の歴史、記録 ということができるかもしれない。そうであれば論者によって違いがでるのがわかる。あるひとつの見方で納得するものは十分だといい、もうひとつの側面から考える人たちは足りないという。
 過去の本当の姿というものを見ようとするならば、今ここにある歴史や記録を漫然と眺めることでは一面的に過ぎないと考えられる。より深い次元で過去の事実を見ようとするのであれば、記録されてこなかったもの、敗者の記録というものに注目する必要があるのではないか。
この国、日本の言説において、過去の戦争責任に対しあいまいな意思表明しかなされない、その原因も同じところにあるように感じる。戦争に負けたものとしての敗者の視点は多分にあるのであるが、そこから出てきて残ってきた言説は社会に受け入れられるように作られたいわば言説の勝者なのである。ひとつのパラドックスがここにあるように思える。
このパラドックスを解くためには、記された歴史の批判的検討と、記されなかったものを探していくという作業が必要なのである。

 記されなかったものを探す行為とは

公証されたものではなく個人の記憶を検証していくこと、このことはいまだ明らかになっていないことを見つけるための重要な手段である。上野千鶴子の言葉を借りれば、歴史は「無限に再解釈を許す言説の闘争の場」であるという。再解釈を可能ならしめる事実としての個人の記憶なのである。
権力の側から書かれる「正史」が、いかに戦後60年経た今日においても根強く存続しているか、そのことに気付いたものが個人の記憶というものに焦点をあてていく。
私たち自身の戦争観や戦争責任観はいかなる歪みや偏りをもって形成されているのか再考しなくてはならない。戦争がどのような偏見をもとに記憶されてきたのか、そしてどのように解釈されるべきなのかを考える。記されなかったものを探す行為とはそのことを促す行為である。大戦史の再審ということにまで行き着くかどうかはわからないが、その可能性がいつでもあるという姿勢は重要である。
これからの日本のありかたを考えるにつき、不可欠だと考えられることでもある。


本書の構成は次のようになっている。
第一章 二つの博物館
第二章 歴史と記憶の間
第三章 正しい戦争
第四章 日本の反戦
第五章 国民の物語 

この報告では第一章を中心に考察し以下他章とのかかわりをみていくことにする。

1広島、平和記念資料館と 2ワシントン、アメリカ・ホロコースト記念博物館
これら二つの博物館に多くの共通点がある
① 犠牲者を悼む
② 現在の戦争と平和について考えることを誘う
③ 資料の収集と研究 

相違点
戦争と暴力についての価値判断 P19
1絶対悪の核兵器の廃絶
              2対峙した絶対悪とは闘う
① ②③共通のものがありながらも結果として違うメッセージが作られる。もしくは歴史的に異なる選択がなされたといえる。
正しい戦争という価値観でつき動き勝利という形で終戦をみたアメリカと価値観の崩壊を伴う敗戦という形で終戦をみた日本。ここから作られた思想が1と2なのであるが、この思想をもってすべてを語ることにはやはり無理があるだろう。戦争を経験したものしないものすべての者がどちらか一方の思想でくくることが正しいとは思えない。またこれ以外の選択肢というものがありえるのは想像ができる。戦争とのかかわり方は敗者の中でも勝者のなかでも千差万別であるはずだからである。両博物館においては、戦争とのかかわりの多様性ということを無視した思想の創造がされている。部分においてであるが博物館によって私たちの戦争観は作られているのである。
 
記憶の出会うときP30

 日常的には異なる国で異なる場所で異なる戦争観が展開されることはあまり問題にならなかった。それはその相違点が浮上することがないからである。
記念式典などにおいて記憶が出会うことになる。

花岡事件 自虐史観 スミソニアン博物館エノラゲイ展示
ダニエル・ゴールドハーゲン著『ヒトラーに従った自発的処刑者たち』1996
南京大虐殺

藤原はここには生産的なものはなにもなかったという。自分の偏見を棚に上げての議論のため広がりがなかったといい、「異なる記憶の出会いが生み出した記憶の戦い、メモリーウォーズは、新たな認識を生むよりは、偏見の補強しか招いていない。」P32このように書いている。

社会的条件
占領 米ソ水爆実験 アメリカにおけるユダヤ人社会 60年代末期公民権運動 
こういった社会変化と切り離せないのとして記憶は作られていく。
 藤原は博物館は当事者が過去を思い出すための場ととらえ、外部の目からは「すでに忘れられたはずのことを思い出し、記録し、自分が経験したかのように『記憶』する人々を増やす」ための啓蒙機関として活動するものであるとする。またここにあるプロセスはナショナリズムの共同幻想と同じ構造をもっているともいう。「民族」や「伝統」を伝えることと「記憶」を他者に求めることに同質性を見出すのである。
 そのほか重要な指摘として、作られる思想が社会の側、つまり市民の中から要請されている側面があるということがあげられている。戦争についての社会通念作成には博物館展示を見る側見られる側という両者がかかわっている面があるといっている。
 このことからいえるのは誰も無関係ではないということであろう。