ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

スシラ ブディ ダルマ・5章 人間力とナフスmutmainah

2018-03-09 | 日記

さて人間力によって発生するナフスはmutmainah(ムトマイナ)であるとバパは言います。

まずはコーランの記載から。
「(善行を積んだ魂に言われるであろう。)おお、安心、大悟している魂よ、」
   [Q 89: 27](“nafs muṭmaʾinna” 該当部分)

スーフィー マスターのナジュムッディーン・クブラー(Najm al-Dīn Kubrā, d. 1220)、彼はナフスを三段階に分け、ルーフとスィッルとを合わせた五段階のラターイフ論を展開するのですがそこでは
「安寧の魂(nafs muṭmaʾinna)」
となります。<--リンク

Wikiより世界標準の7つのナフス(Nafs)によれば、<--リンク
4. ナフス・ムトマインナ     an-nafs al-muṭmaʾinnah 平和の魂

そしてワヤン(Wayang)での4ナフスシステムからは、<--リンク
4、白はムトマイナ mutmainah すなわち、トゥハン(Tuhan:インドネシア伝統の唯一の神)から与えられる全てに対する感謝を象徴する。

あるクバティナン流派での分類では、<--リンク     
第四がムトマイナmutmainahつまり徳への欲望である。

Gumelaring Jagadの第41節・4つのナフスから<--リンク
4.ムトマイナMutmainah、色は白です。
場所は骨の中にあり、扉は鼻の中にあります。
肉体は常に良いことや禁欲的なこと(タパ ブラタ tapa brata)をやりたいと熱望しています。

そうして、最後はあるトークでのバパの説明からは、<--リンク
スクマ(sukma、精妙体)の色      対応するナフス(nafsu)
第四は白                mutma'inah 気づき、平安

そうして、バパは多くのトークでナフス・ムトマイナ nafsu Mutmainahについて語っています。
以下はそこからの引用になります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

7月20日、1957 バパ
4番目のナフスは霊的な言葉ではムトマイナと呼ばれ、その光は白です。
4番目は降伏するナフス、良いナフスです。
それは良いのですが、その本質はナフスのもので、欲望のものでもあります。
それは、ナフスであり、良い事か正しい事を望む願望です。
人間は、意志と望みを強め、仕事をし、自分が注目することをするために、これらの4つのナフスを持っています。

9月29日1957 バパ
そして4番目はムトマイナmutmainahであり、それは自分が最も賢明であることを望む心の性質です。

8月7日1959 バパ
第四番目はムトマイナmutma'inahであり、ムトマイナはk'esedaranまたは、平和ketenanganでありそれは意識です。
(別訳では・・・
第四番目はムトマイナmutma'inahであり、ムトマイナmutma'inahは、意識(気が付いている事)や平和です。)

12月18日、1959 バパ
第4の生命力は、人に適切に属するものであり、「ジャスマニアJasmaniah」と呼ばれています。
この力が人間の内面に支配されるとき、彼はアラビア語でいう所の「mutmainahムトマイナ」という性格を持ちます。
つまり、彼は人間として行動でき、誠実であり、仲間を喜んで彼を助けることができます。
彼は仲間の人に思いやりを感じます。
ただ彼は依然として、神の存在を信じず、自分への贈り物である知的な力とそれらの卓越性を非常に高く考えています。
そして自分とその賢さのみを信じて、それが自分の神になります。
言い換えれば、彼は自分自身を神とみなし、神があるとは考えません。
彼は自分自身を神とみなし、神によって創造されたと信じることを拒否します。

3月5日1963 バパ
4番目の情熱はジャットミカjatmikaです。
(注:ジャットミカとは礼儀正しく、優雅な状態を表すインドネシア語で形容詞。ここではムトマイナというアラビア語由来のコトバの代わりに使われている模様。)
ジャットミカjatmikaの意味はすべてを受け入れる情熱です。
それはシンプルでいる事であり、奇妙なことを望んでいないことを意味します。

それどころか、あなたは平和になりたいのです。
あなたは平和で意識的な人生を望みます。
あなたはまた、自分の心に平和をもたらす優しい言葉を聞きたい。

あなたは神を崇拝することを覚えておいて、この世のあなたの人生が全能の神によってあなたに与えられたに違いないことを認識しています。
だから、この情熱は以前に言及された3つのものよりも優れています。
なぜなら、それは情熱ですが、それは真実を覚えており、人間が唯一の神を崇拝する絶対的な義務を覚えています。

しかし、あなたにとても良いこの第四の情熱は、あなたの内部感覚にはほとんど影響しません。
というのも、前に述べた3つの情熱が常にそれを追い越して、まずあなたに到達するからです。
(注:ここで言う3つの情熱とはアマラ、アルアマ、スピアである。)

9月13日1963 バパ
第四の願望のインドネシア語はムトマイナmutmainahです。
この願望が人に動機を与えると、それは彼らに優しい性格を持たせ、降伏し、何でも受け入れる [以下録音欠如]。

彼らはまた、全能の神が存在する事を覚えています。
第4の欲望、ムトマイナmutmainahは、人間に忍耐を感じさせ、平和を感じ、受け取る権利があるものを受け入れるために(注)、良い欲望ではあるのでが、それは依然として心と思考によって動かされた欲望であり、人間の中にある低次の諸力によっても操作されるものです。

しかし、この欲望によって人々は良い状態になるでしょう。

というのも彼らは食糧を提供することと、彼らがこの世で彼らの人生のために必要とするものに加えて、神を礼拝し、この人生を超えて人生の継続を理解するための良い道を見つけることが人生における真の責任である事を感じることができるからです。

12月5日1970 バパ
普通の人間の生命力から生じるナフス nafsuはムトマイナmutmainahです。
・・・・・・
あなた方がナフス ムトマイナnafsu mutmainahなしで暮らしていたなら、男性は女性に引き寄せられないと感じ、あるいは女性は男性に引きつけられません。
そしてあなたは、他の人間を世界に誕生させるという生命の働きのなかでの、あなたの役割を果たす事が出来なかったでしょう。

8月23日、1971 バパ
男と女が性的合一することで、ナフス・ムトマイナnafsu Mutmainahがその二人(の中)に現れます。
これは人にふさわしいナフスであり、彼はこの世に生きている最高の生き物であることを認識し理解することができます。
すなわち、あなたを内からもそして外からも囲っている神の贈り物を受け取ることができる人間です。
したがって、ナフス・ムトマイナは、ナフスと呼ばれるが、特に良いものであり、聖なるものです。
それは人間のレベルのナフスであり、ワヤンの伝説ではプンタデワ(Puntadewa)またはウィドゴカンコ(Widjokangko)が所有していました。

10月13日、1976 バパ
nafsu alwamahナフス アルアマ、amarahアマラ、supiahスピア、mutmainahムトマイナがあります。
ナフス ムトマイナnafsu mutmainahはそれらの中で最高です。
それはナフスと言えるものの、それは自己利益から解放されているからです。
(あまりエゴ的ではない唯一のナフスがムトマイナです。)

8月13日、1977 バパ
私たちが豊かになり、たくさんのお金を儲けても、私たちは貧しい人たちを助けることを覚えています。
私たちは自分自身と同じようには知的ではない人たちを助けることを忘れません。
我々は、仲間の人間のニーズを見据えることを忘れません。
そして、これはナフス ムトマイナnafsu Mutmainahとして知られているものです。
つまり、本当に良いナフスは、社会の残りの部分と調和して生きて、他の人と何かを共有したいと思っています。

4月23日、1981 -バパ
しかし、悔い改めるナフスはナフス・ムトマイナと呼ばれ、正直であるのですが、4つのナフスの中でそれを持つ人はほとんどおらず、そうして使われることはめったにありません。

6月18日1981 バパ
シンプルで誠実なナフスnafsuであり、受け入れる事ができる唯一のものがナフス・ムトマイナnafsu mutmainahです。
どのくらいの人がこのnafsu mutmainahを持っており、あるいはどれくらいの人がそれを受け入れられるか、誰が正直であり、誰がそのようにできるのか、もし彼らが一万ドル持ち、誰かがそれを求めたら、それを与えるのですか?
(そのように出来るのが)ナフス・ムトマイナnafsu mutmainahです。

あなたの周りの誰もがナフス・ムトマイナnafsu mutmainahの影響を受けているなら、それはとても良いことです。

6月9日1985 バパ
それはもうすでに十分難しいのですが、まだ来るものがあります。
なぜなら、ここにはこれらの4つのナフスnafsuがあるのですから。
アマラamarah、アルアマaluamah、スピアsupiah、そうしてムトマイナmutmainahです。

今我々はナフス ムトマイナnafsu mutmainahに来ました。
それはあなたが仲間の人間と常に形成している関係の中に現れます。
あなたが仲間の人間との関係を持たなかったならば、どのようにあなたは国を経営することができ、どのようにあなたの人生をやってゆくことができますか?
それが普通の人間の生命力であるロホ ジャスマニアroh jasmaniahの働きです。

6月24日1985 バパ
ナフスの第4番目の種類はナフス・ムトマイナnafsu mutmainahであり、それは「理解したい」というナフスnafsuです。
物事の理由を理解するのが好きな人は、問題を比較検討します。
「これは正しい方法です」とか、「これは間違った方法です」とか、それは良いとか悪いとか、などなど。
・・・・・
男性と女性。
それから私たちは人間の生命力、ロホ ジャスマニroh jasmaniに来て、それはナフス・ムトマイナnafsu mutmainahを生み出します。
そして、これは、夫と妻の関係、または男と女 - 男性と女性の交流から来るものであり、あるいはそれによって現れるものである。

もう一度、あなた方はそれを取り除こうとすることができます。
しかし、男女間の関係を無視したり横にどかしたりした結果は、あなた方は人類と言うものを作り出す事はないでしょう。
あなたが人間を創造するのはその関係を通っているからです。

しかし、もう一度、あなた方は慎重でなくてはならず、あなた方は良い男性と良い女性を会わせる必要があります。
言い換えると、善良な男性は、適切な、それに相応して良い女性を見つけようと努めるべきです。
それはカップルの中にあるものはすべて共有されるからです。

だから純粋なジワjiwaを持つ男が純粋ではない女性と結婚すれば、彼は彼女の不純物が何であれ半分を得るでしょう。
そして同様に、純粋な女性が純粋でない人と結婚した場合、彼女は彼の中にある何らかの問題やミスの半分を何であっても得る事になります。
それが「一緒になった(結婚した)」と言われたときのことです。
彼らはすべてを共有します。

ここで言われているように、彼の妻は彼について天国に行き、しかし、もし彼が地獄に行くならば、彼女は彼と一緒に引きずり下ろされます。
彼らはお互いにそのようにする以外に選択肢はありません。
従ってパートナーの選択は非常に重要であることは明らかです。

今、あなたが間違った選択をしたと仮定します。
あなたはあなたが仲良くやっていくパートナーを持っていないと仮定すると、あるいはあなたはパートナーが間違っていると感じた時に、だったらあなたはどうしますか?
あなたは神に向かう、変えることができるのは神なので、神は壊れているか適合していないものを改善し、変更し修復することができます。

しかし、人々はこれを理解せず、Subudの人々はオープンされた後、非常に頻繁に彼らはすぐに言うのです。
「オー神よ、私は間違った妻を持っていることが今分かりました。私は行って、正しいものを探す方が良いでしょう。」

彼らは彼らがスタートラインにいる事を理解していない。
そこから彼らは働かなければならない。
彼らは彼らがいる状況を改善しなければなりません。

したがって、男性だけでは不完全であることは明らかです。
完全であるためには、男性には女性が必要であり、または女性には男性が必要です。
しかし、本当に完全であるためには、彼らはまた、子供が必要です。

実際、子供がいないカップルは不完全です。
実際には、自分自身がどのように創造されたかを理解し経験することができるのは子供を持つことによってのみであり、それによって彼らは生命の創造を目の当たりにして経験することができます。(注2

6月25日1985 バパ
そしてナフス・ムトマイナnafsu mutmainahは、人間の「関係を持たなくてはならない」という必要性に基づいており、ひとは彼の仲間の人間との関係を持たなくてはならず、そしてこのナフスnafsuは特に男女の関係に基づいています。

7月2日、1985 - バパ
この世界に住んでいる私たちのために、一番上にあるのがナフス・ムトマイナです。
それは結婚や、人と人の関連において働くようになっています。

12月16日1999 イブ
そして白いものはナフス・ムトマイナNafsu Mutmainahである。

7月12日2001 イブ
白いものは認識したいと思っているので、常に注意を払って行動します。
それは慎重に行動します。

2月28日2002 イブ
白いものは、あなた自身の自己を評価することができるとき、それはあなたがあなたの存在に意識を持っていることを意味します。
白いものはムトマイナmutmainnahと呼ばれています。

3月10日2002 イブ
白いもの、ムトマイナmutma'inahは、自己評価の能力を持っているので、それは人に注意の感覚を与えます。

11月25日2002 イブ
mutma'inahと呼ばれる4番目のものは、自分自身を評価する能力を人々に与えるので、人々がどのようにしたら慎重になれるかを知るようになる。

2月25日2005 イブ
最後の情熱はムトマイナmutmainahです。
それは人間が正しくて何が間違っているのかを判断する事を引き起こします。

だから、これらの欲望をもって、兄弟姉妹の皆さん、あなた方の日常生活を見るにつれて、躊躇したり慎重に感じるかもしれません。
あなたが感じる、私はこれを行うべきかどうか?
これは私のために良い事であるかどうか?
そのようにあなたは賢明に行動し、あなたを危険にさらさない道を選ぶ必要があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上記バパのトークの部分についての英文からの引用は以下を参照願います。
Susila Budhi Dharma・Chapter 5 Human force and nafsu mutmainah<--Link
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
注2
結婚そして性的合一、その結果生まれてくる子供、それらについては通常は意識されない霊的な意味があります。
それらについての詳細な記事にはこちらから入れます。<--リンク
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
PS
二代目はここでも人間力とナフス・ムトマイナの関係については一言もふれません。

したがって、バパがムトマイナの説明で従来の伝統にはない「人と人との関係の必要性の為のムトマイナ」という新たな事柄を加えたのですが、その事については一切の言及がありません。

6月25日1985 バパ
そしてナフス・ムトマイナnafsu mutmainahは、人間の「関係を持たなくてはならない」という必要性に基づいており、ひとは彼の仲間の人間との関係を持たなくてはならず、そしてこのナフスnafsuは特に男女の関係に基づいています。

こうして「二代目の説明はバパの説明のすべてを参照していない」と言う事が分かるのであります。

PS
8月23日、1971年のバパのトークでは
『男と女が性的合一することで、ナフス・ムトマイナnafsu Mutmainahがその二人(の中)に現れます。』
と表現されていますが、単に男女が性交渉をもてばそこにムトマイナが現れる訳ではない事には注意する必要があります。
その表現は、「すでにジャスマニレベルに到達している男女に限られている」と理解するのが妥当であると思われます。

植物力によって生じるナフスはアルアマaluamahですが、このナフスは性欲をもたらします。3月5日1963<--リンク
加えて動物力によるナフスはスピアsupiahですが、このナフスもまた性欲をもたらします。12月5日1970、11月26日1972<--リンク

さてそうすると人が性欲を感じる時、異性を求める時にそこで働いているナフスはアルアマaluamahですか、スピアsupiahですか、それとも望ましい事にムトマイナmutmainahなのでしょうか?
結局はそれが重要な問題、重大なポイントなのであります。

PS
ご参考までに。
Sedulur Papat Limo Pancer(4人兄弟、第5は中心)より引用<--リンク
『ムトマイナ muthmainahの欲望は、良心につながる欲望です。
この欲望は、人体の創始者でもある水の性質によって影響を受けると言われています。』

PS
以上、述べてきた様にムトマイナの欲望には全く良い事だらけで、「なぜこの欲望が人の死に及んで邪魔をするのか?」という様に我々、この地上で暮らす人間には思えてしまいます。
しかしながら、「この地上で暮らす為に与えられた能力、欲望である」という事自体が、この地球暮らしに対する執着心の別の形の表現でもあり、したがって「地球を離れる」と言う事がバパの言う様に「死後の本来の人の在り方である」とするならば、やはり「邪魔をするもの」と言う事になってしまいそうです。
そして、もしその執着心に固執するならば、それがリンカネーションを引き起こすであろう事は想定可能な事であります。


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