ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

スシラ ブディ ダルマ・7章の1 人の世界から物の世界に落ち込む事/

2018-08-26 | 日記

第3章 キナンティ 19節~20節、39節~51節(物質力の章:一部要約あり)
『19、あなたが自分にとっての正しい仕事をすることで、自動的にあなたの神への礼拝、これは人間としてのあなたの内部自我Diri Pribadiが要求している事ではあるが、それが減ずるということは無くなるであろう。
まことにこれは最善の道である。
なぜならその時人は世的な目的の為に働くことのみならず、神への礼拝もまた捨てられなくなるからである。

20、ここに述べた事を行う事により、あなたはこの世での生活のみならず、死後においても真の平和と幸福とを味わうであろう。
・・・・・
39、物質的関心が実際に大きな利益を生み出すとなれば、なおさらのことである。
さらに大きな利益を求めて、彼らは身を粉にしてでも働くであろう。

40、すること、なすこと全てがもうけを生むという喜びの為に、財産に対する愛は彼らの中で際限なく深まってゆき、ついには家族や親しい友人を愛する以上に財産を愛するに至る。
・・・・・
42、とりわけそれが当てはまるのは、常に成功し、何をやっても儲かる人たちである。
もしも彼らが自分の内部自我Diri Pribadiを顧みないと、物の世界の深淵に落ち込むであろう。(注:後述 第5章 メガトルフ 29節~45節 参照)
・・・・・
44、物体の内部にある力の作用というものは、このようなものである。
これらの物質力は人をしてもはや死後の生活、死後も続く事になる人間の存在様式を信じさせなくなる程に強い影響を与える。
だからそのことに気が付いていなさい。
(注:リンカネーションをみとめるバパでありますから、死後も続くことになる人間の存在は大前提となります。)

45、別の言い方では、注意していないと物質力の作用によって(この世で生活している間に)、その人の性格が変化してしまうということである。
そのようなってしまうと、自分のジワJiwaの事を認識する事が一段と難しくなってしまう。
・・・・・
48、そのようになってしまうと(この世で生活している時にすでに)人間というレベルから物質というレベルにまでその存在レベルが落ちてしまう事になる。
そうなった人は、(財産を持っていない、というだけで)豊かでない人達を物同然に扱う様になる。
・・・・・
51、しかしながら、ある人達が、物質力を理解していない、統御していない、という事で貧しい生活をしいられているとしたならば、それもまた間違いである。
そのような人たちはこの世の生活でも不幸であり、そうしてまた死後の生活でも不幸である。
(注:だからラティハンをやって自分の運命、天命をしり、人間としての生活が出来るようにしなさい、とバパいうのです。)』


第5章 メガトルフ 25節~28節、物質力の章:仕事に取りつかれる事(雇主に雇われて働く人の例)
『25、そして雇い主に目をかけられている為に、自分が働いている部署では権力者になった様に感じ、同僚に対して横柄にふるまう者も出てくる。

26、こうした状況の中で、彼はいとも簡単に仕事にのめりこみ、ハート(Hati)や頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。(注1

27、昼夜、彼等は自分の仕事のこと以外は考えない。
そしてついには彼らの内部生命(inner life)も同様に影響を受けて、仕事以外の事は何も意識しなくなるのである。

28、それゆえ、外面的にも内面的にも自分の仕事に専念するのだが、その結果、人生の最後になって死を迎えた時に、彼らが引き寄せられるのはその方向に向かってである。
(注:つまり地球上の特定の場所に引き寄せられる。
つまり、生前に彼がこだわりを持って意識していた、常に考えていた場所に引きつけられる、ということです。
そして、それを通常は地縛霊と言います。
あるいは浮遊霊という場合もあります。
そしてバパの言い方ではそれは「物質力の世界に引きこまれたジワJiwa」という事になります。)』


第5章 メガトルフ 29節~45節、物質力の章:物の世界の深淵に落ち込むこと
物には物質力という一番低いレベルではありますが、生命力を認めるのがバパの世界観になります。
そうして、そのような物質力レベルのジワJiwaが集い、生活している世界としてスシラ ブディ ダルマでは以下の様な「物の世界」を記述しています。
しかしながらそのような世界を我々は通常は認識できません。
そうしてスシラ ブディ ダルマからその記述部分を引用してもただ単に我々は空想を刺激されるだけです。
くわえて、そのような世界の事を認識できなくてもラティハンを続けていく上では何の支障もない様です。
それで以下、その部分の記述は概要のみにとどめて、興味のある読者には原典にあたっていただく事にしたいと思います。

以下、第5章 メガトルフ 29節~45節の要約
『29、・・・物の世界の有様は我々の世界の様であり・・・

30、・・・この現世での我々の生活から見れば、そのような物質というものには生命がある様にはみえない。
それは我々が自分たちの生活の為に加工し便利な道具として使用する物としかみえない。・・・

31~32、・・・物のレベルで神との関連をもつ、それを礼拝といってもいいかもしれない・・・

33、このような訳で物は自分の地位を自分と比べてより高い段階である人間のレベルに引き上げてもらおうとして、人の思考に結び付く事を切望している。
(注:このような訳で人は自然を理解でき、それを自分たちの生活に役立てる事が可能となっている、というのがバパの主張です。)

34~35、37・・・このようにして物は人の世界に入り込み、人が生きている間、その人の望みに従い続ける。

36、それが物に定められた生き方である。
人はそのことを理解し、物質力の影響を理解し、それを統御できるようになる必要がある。

38~43、しかし実際には反対の事が起こっている。
つまり人間が物に仕えるのである。
そのために物の段階を引き上げるのではなく、人間が(死後に)物の世界に沈み込んでしまう。

39~42、死後、物の世界に落ち込んだ人はこの世にいた時に持っていた人としての記憶と感覚(Rasa)をもはや維持できない。
そして、物の世界を「当然の事」として受け入れる。

(このような状態は人の本来あるべき死後の生活の状態ではない。
しかし人間自身の行動の間違いによって物の世界に落ち込むならば、そうなってしまう、というバパの主張、警告であります。
そうして、そうであるとすればこの世の生活というのは人間にとっては本当にテストになっている、自分のレベルを改善し向上させるも、低次の諸力の欲望のままに降下させるもその人次第である、という事になります。)

44、(それまでその人に仕えてきた)物にとってみれば、この事(人を物の世界に連れ込む事)は正当な代償に見える。
なぜならば、これらの人々は(彼らが使っていた物に対して)借りがあるからである。・・・

45、しかしながら、その人にとって見ればそのような状況というものは、単に「悪い」というもの以上の事である。
それは人間にとっては「大いなる過ち」である。
人間は物に対して秩序を与えることが出来る存在であるのに、その事に完全に失敗しているからである。』

注1:ハート(Hati)や頭脳
ハートやマインド、あるいは感情心と思考心の様に訳される事もあります。
それで、現代の我々の考え方では「感情も思考も頭脳が作り出すもの」という様に理解しています。
ですから、この部分の訳は我々からすれば、
「ハート(Hati)や頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。」というのは単に
「頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。」とすればよい事になります。
しかしながら、バパの時代では「感情、想像、白日夢を抱く場所というものは肝臓(Hati)である」とされていました。
従って「心、感情、ハートと思考心が具体的に生み出される所」としては「頭脳」というだけでは足らず、「Hati(肝臓)と頭脳」と言わなくてはならなかったのです。
(Hatiについての、このような理解は、1959年5月3日のトークの注釈からの引用となります。)

PS
物の世界に落ち込んだジワJiwaのその後の運命、成り行きに関してはスシラ ブディ ダルマの中では何も記述されていません。

但し、関連する記事(63BCL7.8(ブライアクリフ))地球に定められし時、それから雑記帳36・人間力の階層が7つの内部階層を持つ事についてにはこちらから入れます。<--リンク

さて、バパは「ジワは死後も存続する」といいました。
しかしながら各自の「自己 プリバディPribadhi」 やそれに含まれる「内部感覚 ラサディリRasa diri」がどうなるのか、不明確な所が残ります。

それで、この件につきましては今後の検討課題としていきたいと思います。

PS
人間力以下の4つのロホの生命世界、それはバパ流の「輪廻転生の世界」となります。
それは地球上を舞台とし、どうやらこの現世にオーバーラップして存在しているかの様であります。
その世界を支配しているのは、従来の教説によればカルマなのでありますが、バパの説明ではカルマにはそのような働きを認めてはおりません。
たとえば、仏教によれば「人は六道を輪廻し、それぞれの世界で定められたカルマが消失する事でまた人として転生する。」とされています。
そうして「人という存在形式の時のみに解脱という事が、輪廻の輪から離れる、という事が可能になる。」と説かれています。
しかしながら、バパの説明の中のカルマにはそのような働き、機能はない様であります。
(バパのいうカルマは単に人の間違いである、という扱いになっています。)

バパが述べている「輪廻転生の世界」からの解脱、あるいは離脱は「ロハ二世界への旅立ち」という形でトークの中に表れています。
それは本来の人間のいるべき場所であり、アダムが地上に降りる前にいた場所でもあります。
そこに到達する為には、当然のことながら普通の人間の段階、ジャスマニJasmaniと呼ばれる段階に到達し、そこからさらに上に行く事が必要になります。
そうしてまた、このロハ二の世界はこの地球上の世界ではない、というのもバパの説明であります。

しかしこの旅立ちの時に邪魔をする者達があり得ます。
それが人間力以下の4つの低次の諸力です。
現世の生活においてこれら4つの諸力との間に、合意、調整、清算、統御が完了していない時には、それぞれの諸力が旅立ちの邪魔をする、とバパは言います。
そうやって、ロハ二ではなくこの地球上のどこかの世界に引き込まれる、そう言う事の次第になるとトークでは述べられています。
・・・・・
以上の事に関連する記事、「バパのリンカネーション論(輪廻転生論)」にはこちらから入れます。<--リンク


連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク


PS
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スシラ ブディ ダルマ・6章の3 人類全体のジワJiwaのレベルの推移/

2018-08-12 | 日記

6章の2からの続きとしてこのページでは「なぜ現代ではジャスマニレベルの人が非常にすくないのか」という疑問、そのような状況に至る事になった経過について考えてみます。

さて、まずはアダムの時代です。
その時代には多くの人がジャスマニレベルにありました。
しかしながら、時代が下るにしたがって人々の間違いの行為の結果として、内部感覚に誤りが蓄積され、ジワJiwaが劣化する様になってきました。
その誤りの正体はバパによれば次の様なものです。
『「間違っている」とは、他の人々を傷つけたり、他の人々の自由を奪ったり、心の安らぎを奪ったり、などをすることを意味します。
あるいは、他の人に属するものを(自分のものとして)取りあげることです。(6月18日,1981)』

そのようにして内部感覚に蓄積された父親と母親の間違いは性的合一によって両親の間で共有され、平均化されます。
同時に父親と母親のジワJiwaのレベルも性的合一によってよって平均化されます。
そうして、生まれてくる子供のJiwaのレベルはその平均化されたJiwaのレベルと同様のレベルとなり、また内部感覚に蓄積された誤り(カルマ)も両親の間の平均化されたものが子供に引き継がれていきます。
そのようにして親から子供にJiwaのレベルと内部感覚の誤り(カルマ)が引き継がれていきます。
以上がバパが主張する、結婚と子供の誕生の時に起こっている状況の説明の要約になります。(注1)

アダムの時から時間がながれて時は1952年、その時にはすでに人々の状況は以下のようでした、というのがバパの表明になります。
第11章 アスマランダーナ 34節
『・・・しかし実際には、きわめて多くの人々が、外見は人間であっても、内部にジャスマニ、つまり人間力をまだ持っていない。・・・』

人口の0.1%なのか0.01%なのかは不明ですがジャスマニJasmaniレベルの人は極めて少ない、とバパは嘆いておられます。
また別のトークでは、「人は良くても動物力のレベルである」と発言されています。
つまりアダムの時代には100%近くであったジャスマニレベルの人々が、いまでは0.01%程度(?)しかいないのであります。
そうしますと、どこかの時代では4つのレベルに同じ程度の数の人々が存在していた事がある、というのは妥当な推定になります。
以下、その様な時代があったという前提で、その時点をスタートラインとして話を進めます。

さて、Jiwaのレベルを数値で表すのも気が引けますが、計算するにはそうするしかありません。
それで以下の様に数値を設定します。

(J)ジャスマニレベル<--87.5
境界値=75(76以上をジャスマニとする)
(A)動物力レベル<--62.5
境界値=50(51~75を動物力レベルとする)
(V)植物力レベル<--37.5(26~50を植物力レベルとする)
境界値=25(26~50を植物力レベルとする)
(M)物質力レベル<--12.5
        (25以下を物質力レベルとする)

上記に表現された数値の意味は、ジャスマニレベルの人と植物力レベルの人の結婚により誕生する子供は動物力レベルである、と言う事を表しています。
つまり
動物力レベル(62.5)=(ジャスマニ(87.5)+植物力(37.5))/2
という事です。
こうやって「両親のJiwaのレベルの平均値が子供のジワJiwaのレベルになる」、というバパの説明を表現する事にします。(注2)
そうして、上記で示した前提に従って、それぞれのレベルに同数の人口を割り当てます。
つまりそれぞれが25%の人口をもっていた、というところから始める訳です。
人口総数は、そうですね1億人としましょうか。

それで、そのような4つのレベルの人々が混在しながら仲良く暮らしていました。
年頃になった男女が、
「①多くの男女がハート(Hati)に喜びを与える事柄だけを基準にして結婚している。」状態、それは、今と同じ状況でが、結婚相手を見つけて結婚します。

その場合は結婚相手の組み合わせは16通りが可能になります。
そして、その結婚から生まれる子供をJiwaのレベルによって以下の様に整理してみます。

表示方法 (男親のレベル)X(女親のレベル)-->子供のレベル

組み合わせ                         人口比率
(J)X(J)ーー>87.5                   6.25%
(J)X(A)、(A)X(J)ーー>75              12.5%
(A)X(A)、(J)X(V)、(V)X(J)-->62.5     18.75%
(J)X(M)、(M)X(J)、(A)X(V)、(V)X(A)-->50 25%
(V)X(V)、(A)X(M)、(M)X(A)-->37.5     18.75%
(V)X(M)、(M)X(V)ーー>25             12.5%
(M)X(M)-->12.5                    6.25%
                            合計100%

親のレベルは4つでしたが、子供のレベルはそれぞれの中間レベルが発生して合計で7つになります。
それから、人口比率も両端から中央へ移動するように変化しています。
そしてジャスマニに注目するならば、25%から6.25%へと一世代下るだけでこれだけ少なくなっています。

つぎは第一世代の子供が成人して親になり配偶者を見つけて結婚し、第二世代の子供が誕生します。
計算は上と同じ事を繰り返すのですが、詳細表示はなしとして、結果のみ以下に示します。

第二世代の
子供のレベル  人口比率(%)
87.5        0.391
81.25       1.563
75         3.906
68.75       7.813
62.5        12.11
56.25       15.625
50         17.188
43.75       15.625
37.5        12.11
31.25       7.813
25         3.906
18.75       1.563
12.5        0.391

結果は
ジャスマニレベルが1.954%
動物力レベルが39.453%
植物力レベルが52.734%
物質力レベルが5.859%
となります。

そして、ジャスマニレベルで親のレベルと同じ87.5のみに注目すると、その人口比率はわずかに0.391%となってしまいます。

さて、ひと世代は30年、長くても35年ぐらいでしょうか。
2世代で70年、3世代で105年、ほぼ一世紀相当になります。
こうして人々が心が好む、それぞれの好みの相手を見つけて自由に結婚をしていくならば、それだけであっという間にジャスマニレベルの人はいなくなる、とそういう事が分かるのであります。
そうして、この計算は各世代が新たにカルマを積む事を想定していません。
そのような新しいカルマが附け加わらなくても、単に「人々が心の好みで結婚を繰り返すだけ」でこう言う事になってしまいます。

それから上記に示したようにして世代を重ねるごとに動物力と植物力のレベル、数値で言うならば50という真ん中の値に大方の人のJiwaのレベルが収束していく事がわかります。
つまり人々が自由に結婚をくりかえす事で、人類のJiwaのレベルは急速に均一化され、真ん中の値に集まっていくのです。

さて、アダムの時代からどれくらい時間が過ぎたのかは定かではありませんが、各世代が新たなカルマを積み、つまり親の世代の平均値より子供の世代のJiwaのレベルの平均は確実に下がる、という条件を上記の計算結果につけくわえるならば、その結果は「推して知るべし」としか言いようのない、あまり見たくない結論に導かれることとなってしまいます。

それは人類全体としては、常に下方向への、堕落方向への移動圧力を受け続ける、という事ですが、その結果は、人類全体のジワの平均レベルが植物力と動物力の中間の位置、いままでの議論ですと50という数値で表される位置ですが、それが25以下に落ち込む事になる、つまりほとんどの人が物質力レベルのジワの持ち主ということになるのであります。

以上がバパが「現状はそのようである。」と警告している状況が現われる事になった理由の、バパの主張に沿った説明になります。

ちなみに参考例として87.5のジャスマニレベルの人口比率の推移を示しておきます。(各世代での新たなカルマの増加なしでの計算です。)
25%-->6.25%ーー>0.391%ーー>0.00153%ーー>0.00000002%
2500万人ー>625万人ー>39.1万人ーー>1526人ーー>0人
最初に2500万人もいた87.5レベルのジャスマニが四世代目にはもういなくなる、そういう結果になります。(各世代の人口総数1億人としています。)

以上の事から、バパは何度も「若い人は結婚に注意しなさい」と注告したのでした。
しかしながら何分とも「時すでに遅し」の感があります。
つまり今現在もジャスマニでいる人がいたとしたら、ほとんどそれは「奇跡」といってもよい事になると思われます。
(またこれがバパが協会内部に結婚相談所を作る事にとても熱心だった、ということの理由にもなりそうです。)

こうしてバパが希望したような「人類全体のカルマの逆回転」はおこらず、ジャスマニが人類の25%、という状況に戻る事もなく、ロハ二レベルの人類が70000人誕生することもない、そのような可能性は非常に少ないということになりそうです。<--リンク

さて、バパの以下の表明に戻りましょう。
第11章 アスマランダーナ 34節
『・・・しかし実際には、きわめて多くの人々が、外見は人間であっても、内部にジャスマニ、つまり人間力をまだ持っていない。・・・』

そうであれば我々は自分に対して「ジャスマニレベルにすでに到達している」というような自己評価をする事はほとんどが間違いである事を知ることが必要でありましょう。
そうして、そのような現状からスタートしてラティハンでどこまで到達する事ができるのか、それを目標として行動しようではないか、というスタンスに立つのが良さそうであります。


(注1)
この要約の部分の詳細な説明は長くなりますが、ポイントを抜き出した記事であれば
スシラ ブディ ダルマ・6章の2 結婚とカルマの受け渡し<--リンク
を参照願います。
長く詳細な説明は以下のような記事になります。
バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”<--リンク

(注2)
この計算方法の元になっているトークを以下に示します。
6月24日1985 バパ
『男性と女性。
それから私たちは人間の生命力、ロホ ジャスマニroh jasmaniに来て、それはナフス・ムトマイナnafsu mutmainahを生み出します。
そして、これは、夫と妻の関係、または男と女 - 男性と女性の交流から来るものであり、あるいはそれによって現れるものである。

もう一度、あなた方はそれを取り除こうとすることができます。
しかし、男女間の関係を無視したり横にどかしたりした結果は、あなた方は人類と言うものを作り出す事はないでしょう。
あなたが人間を創造するのはその関係を通っているからです。

しかし、もう一度、あなた方は慎重でなくてはならず、あなた方は良い男性と良い女性を会わせる必要があります。
言い換えると、善良な男性は、適切な、それに相応して良い女性を見つけようと努めるべきです。
それはカップルの中にあるものはすべて共有されるからです。

だから純粋なジワjiwaを持つ男が純粋ではない女性と結婚すれば、彼は彼女の不純物が何であれ半分を得るでしょう。
そして同様に、純粋な女性が純粋でない人と結婚した場合、彼女は彼の中にある何らかの問題やミスの半分を何であっても得る事になります。
それが「一緒になった(結婚した)」と言われたときのことです。
彼らはすべてを共有します。

ここで言われているように、彼の妻は彼について天国に行き、しかし、もし彼が地獄に行くならば、彼女は彼と一緒に引きずり下ろされます。(注4)
彼らはお互いにそのようにする以外に選択肢はありません。
従ってパートナーの選択は非常に重要であることは明らかです。
・・・・・』

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以上の内容に関連したカルマKarmaについての記事にはこちらからも入れます。<--リンク

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